「・・他の人を非難したり・・・することは、
殆どの場合、自分の程度の低いことの証明であり、
自分たちの住みよい世界実現の足下を自らくずしていくもので、
非難しないまでも、批評するさえも、また、
『どうもわからない、疑問だ』という言葉を使うさえも、
聞く人にはほとんど非難しているようにとられがちで、
もっとも気づかない・・・への大きな反逆であることを、
静かに、反省してみよう」
・・・青い本のこの文章は最後の方にある。
前の方の文章に比べるとだいぶわかりやすく書かれてあるように思う。
でも、上の文章も深い。
「どうもわからない、疑問だ」という言葉が幸福への大きな反逆だということ。
何故これが全ての人が幸福になることへの反逆なのか・・・
或ることがどうもわからないと、言えるということは、どういうことかといえば、
その、或ることがなんだかわかっている、という前提がある。
例えば、「そこの会場を使えなんて、どうもわからない。疑問だ」
という言葉で考えてみるとわかりやすい。
そこの会場を使うということがどういうことだか、その人にわかっていなければ、
こういう発言はしない。
例だけど、そこの会場を使うということはこの場合相応しくないとか、
そこの会場を使うのは普通A地区の人だけだとか、
(自分たちはB地区なので使えないに決まってるとか)
そういうような考えが既にあるので、そこを使うということは良くないとか、
常識外れだとか、
その人は既に一人で決めている、ということだ。
この文章があるタイトルは、
「みんなの知恵と力と心を一つにして」。
この例がタイトルのようじゃないことはすぐにわかる。
全ての人が幸福になるのに反逆するものであることは、当人にすぐにわかる。
誰が当人でもわかる。
こういう言葉をある種の気分で発するとき、
人は誰でも必ず、ハッピーな気分じゃないので。