ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

笑顔 ②

2012-08-29 21:50:17 | 日々の暮らし・思い出
相手がよく知っている人だから笑顔になる・・・ずっとそうだった。

勿論それは自然とそうなれたんだけど。

ヨーロッパを旅行してた時、エレベーターなんかでそこに居た人とたまたま視線が合うと、

必ずにっこりされた。

日本のエレベーターで視線が合ってもにっこりされたこともないし、

したこともなかったと思う。

何故西洋人は視線が合った時ににっこりするか、

ということが書かれた本を読んだことがあるけど、

自分はあなたの敵じゃないですよという表明だという。

ヨーロッパは日本と違って国と国が陸続きなので、

そういうことをしないと敵と思われるとかなんとか・・・

ふーん、なるほど思った。

日本は仏頂面をしていても敵とは思われないというのは、いいといえばいいのかな・・・

いや、日本はそういう場合、

敵だ味方だなんていう発想すら無いんじゃないかな・・・

今はにっこりされると嬉しいなと思う。

初めて会う人やよく知らない人と顔をあわせた時、

にっこりするのは、あなたのことは何にも知らないけど(あなたがどう在っても)、

あなたを受け入れます・・ということなのかと思った。

それは相手の人間性を引き出す現象なのかな・・

少なくとも獣性は引き出されない。

何か罪を犯して逃げ回っている人に、にっこり笑って挨拶したり、

その調子で付き合ったら、

きっとその人は再びよくないことはしない、しにくいんじゃないかな・・・

凶悪犯がつかまらないのは、“凶悪な事をした”と周りの人が“知らないで”付き合っているから、

きっと普通に付き合っているから、

“凶悪な事をした”人は再びよくないことをしないでいる・・のかもしれない。

獣性が引き出されないでいるのかもしれない。

だから周りと溶け込んで暮らしているのかもしれない。

いや、捕まりたくないからよくないことは“しないように”、

という気が働いているのかもしれないけど・・・

でも、それは、例えば、ムッとして手を挙げそうになったときに、

その行為を“抑える”役目を果たしているだけであって、

周りが「悪いことをしたからまた何かするかも」という視線などなく、

笑顔で接したり、普通に付き合うことで、

自然と、そのような行為をしたく“ならない”というのとは違うだろう。

笑顔

2012-08-29 21:02:51 | 日々の暮らし・思い出
笑顔なんて言葉をここで書いたことがあるだろうか?!

多分無い。

私は若い頃からあまり知らない人に会った時、いつもぶすーっとしていた。

そうしていた自覚がまだなかった頃、

その後に親しくなった人に「ホント、いつも無愛想というか、ぶすーっとしてた」と言われたことがある。

聞いて、ホントだ!と気がついた。

ちょっとだけ知っている人にどう対応していいのかわからなくて、

自意識過剰というような感じでいつもどぎまぎヘドモドしていた。

きれいな人がぶすっとしてるならまだ可愛いけど、

ブスがぶすーっとしてたんだから、本当に可愛いげがなかったろうなぁと思う。

この地に住む事になったとき、いくらか大人になって、

道で会う人とは「必ず挨拶しよう!」と決めた。

そして必ず挨拶した。

本当に決めたとおりだった。ちっともにっこりと挨拶してなかった。

「挨拶しよう」と決めたんで、「にっこり挨拶しよう」と決めてなかったから。

そういう自分だったんだよ~

つい最近そのことに気がついた!

相互作用だなんていろいろ書いて、自分ではそんなことも出来てなかった。

近所のK子さんはいつも眉間にしわを寄せて歩いている。

その人に笑っておはようございますってこの前言ったら、

凄くいい笑顔がにゅっと現われた。嬉しかった。

人のこと、いつも眉間にしわ寄せてる、なんて言って、

自分の顔はどうだったんだろう!?




一人で頑張るより

2012-08-29 09:43:58 | ひとの幸福
あー、あれをするといいんだけどなぁ~

やる気が起きない・・・でも誰かと一緒にやるとやる気が出て来る。

本当にひとの心は面白い。

だから学校に行くのが楽しかったんだろうか、子どもの頃。

夏休みも楽しみだったけど、新学期が始まるのも嬉しくてたまらなかった。

その頃は宿題もそれほどなくていい時代だったのかもしれない。

この前小学6年生が来てて、宿題をかなり時間かけてやっていた。

そんなに時間かかるのかと思って見せてもらったけど、半端な量じゃなかった。

こんなに宿題出すなんて呪うべき先生だね~なんてつい嘴ってしまった。

・・・脱線。

人間というものが、共に存在する=相互関連的に在る=一体で動いている=

人間の身体=小宇宙=宇宙=生命・・と、まぁ書いてしまった。

そう在ることに理解が深まる、そのことで世界は変わる。

そういう事実実際であることを知らないことで、

世界は混迷を続けているのかもしれない。

知ることが何より先なのかと思う。

事実実際に山奥に金塊が在っても、それを知らなかったら、何も変わらないのと同じで。

(しつこい引用だね~)

知るだけで、現状そのままで変わる。


見る 観る

2012-08-29 08:50:51 | ひとの幸福
人の運動をぼーっと関心もなく見てるのと、

関心を持って見てるのとでは脳の動きも違うはずと思うんだけど・・・

・・と、さっき書いた。

見るということについては今までもいろいろと考え、書いてきた。

庭の花に視線を宛てた、という現象は同じでも、

それをどう見てるか・・土を耕し、種を蒔き、成長を楽しんで来た人と、

通りがかりにそれに視線を宛てる人とは違って当たり前だし、

一瞬一瞬その人その人で異なるもんだ。

人だって「好きな人」と観ていてたのが、

一瞬で「嫌いな人」と観るようになるという現象はあるものね~

この観るということと量子力学とは切っても切り離せない関連があると思うよ。

物である脳がすべてを決定するかのような決定論は、

意識という存在をどう考えているのかなと思うけど、

物理学界で量子力学を検討する人が「意識」をどう観ているのか、

意識の状態がどの程度なのかが、

そのまま物理学界に現われているということでしかないのは当然の事だから、

あー、そういう状態なんだと了解する。

人が心理学的方面で成長発達することが物理学的方面に表現されるのは当たり前のことだからね。

脳は年齢が行っても変化するものだとかの話は、

最近テレビでも云ってるし、ジワジワと変化しているのだと思うけど、

脳の研究はあくまで物理的なもので、意識は物ではないから、

脳と心の繋がりはどう“なっている”のかに目が行かないと進まないのかなとも思う。

実際の現状の物理学界や脳科学界のことを全く知らないから、

こんなこと言ってるんだけどね。実際はもっともっと進んでるのかもしれない。

そうだといいんだけど。楽しみ。

「元気をもらった」

2012-08-29 08:03:40 | ひとの幸福
何年か前位からか、「元気をもらった」という表現を聞くことがある。

オリンピックの選手やら、何かを生き生きとやっている人を見聞きした人が

そういうことを言う。

それを初めて聞いた時、なんか違和感を持った。

元気はもらうもんじゃなくて、湧き上がるもんちゃうか?!って。

夫はいいんじゃないか、その言葉遣いでも・・と鷹揚な返事だった。

他者の生き生きとした姿を見ることで、

見た人の中に同じものが引き出される現象なのかと思ったよ。

誰かが身体の運動をしているのを見るだけで、見る人の脳では、

運動してる人の脳と同じ動きが起こっているというのは聞いたことがある。

脳にあるミラーニューロンという神経伝達物質の働きがオンになる現象なのかもしれない。

そういう神経物質が脳に在って、その働きを、

オンにするかオフにするかは意識が先導して行なっているんじゃないだろうか・・・

まぁ、脳のことなど全くのど素人の勝手な解釈ではありますが。

でも、人の運動をぼーっと関心もなく見てるのと、

関心を持って見てるのとでは脳の動きも違うはずと思うんだけど・・・


「元気をもらった」と思う現象は生命の相互関連現象の一つ。

動的平衡状態の姿なのかと思う。

“意識”がそういう状態になるのは、

まさしく“意識”が生命の在り方そのものだからなんだろうと思う。