ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ピアノ練習

2013-03-16 13:54:04 | 日々の暮らし・思い出
バイエル51番まで来ました。だれもそんなこと聞いてないか(^^)

マーチという曲と朝のひとときという曲と、

コントルダンスという、かの有名なベートーベンの作曲の曲も

だいぶ弾けるようになったよ。嬉しいね。

けど、弾けるようになって、次に進んで、その曲を弾かないで居ると、

またある程度弾けなくなる。

体得してない。やれやれという感じだよ。でも、当たり前だね。

一度弾けても、それが続くわけじゃないということを体得してない、ということだ。

状態は変わる。うん、そう。

たった一曲でいいから、どんなに時間が経っても、ちゃんと弾けるという曲を作っておきたいな。

聴いてていい気分になる、うっとりするような奴を。

それはベートーベンのトルコ行進曲じゃないな。

前それを弾けるようになりたいと書いたけど。

それじゃなくて、例えば・・

千と千尋の神隠しの映画に出てくる曲、なんて言ったっけ・・・

アレ、えーっと、思い出せない・・うーん、なんだっけ????

状態 ②

2013-03-16 11:51:52 | ひとの幸福
変わらないことはあるか??

変わらない状態というものがあるか???

よく言われるのは、変わる、そのことは変わらない。って。

それもそうなんだけど。

この世は諸行無常だけれども、常に在る、変わらず在るものって在るんじゃないか。

それは目に見えないものだ。

目に見えるもの、形あるものは全て変わるけど。

私たち人間の、幸福を願ってしまうという本能みたいなもの、

生命の成長すると“なっている”意志、

主体的に生きたいと“なっている”私たちの心、

ひとから命令されずに自ら動きたいと“なっている”私たちの心、

悪いことしちゃったと感じたときにいい気分で居られないように“なっている”私たちの心、

悪いことしちゃったと思った後、人から何も言われなくても、

次はこうしよう、みたいに“なっている”私たちの心、

いろんな事例でそういった事はたくさん、ここで書いてきた。

・・・そういう在るものは絶対変わらない。

ひとによって、場合によって、悪いことの内容・事柄は違うだろう。

自分で「悪い」と思ったこと、感じること、という意味だよ。

銀行強盗してもそれを悪いと思わない場合もあるから。

私もどうしようもない時には盗みもするかもしれないけど、

それをする時はきっと、そのことが悪いと、自分ではなってない時だと思う。

・・そういう在るものは変わらない。

その、在るもの、心って書いてたけどそれは状態か?

在るものは全て今そういう状態に在るんだから状態か・・

状態なら変わる、ということじゃないか???

心は状態だけれど、

・・・ということは、「変わらないそれが在る」ということが変わらない。

そういうことだ!

在るもの、存在は在ることしか出来ないんだから。

だから「存在」っていうんだから。

その「存在」のことを「愛」とか「大いなる意志」とか、

「愛という意志」とか云うんじゃないか。

そのような「存在」がこの世を満たしている。

宇宙を満たしている。

状態

2013-03-16 11:09:40 | ひとの幸福
よく心の状態とか意識の状態とか書いてるけど、

「状態」というのは、広辞苑によれば、

物事がその時そうなっている(特に外面からもそれと分かる)ありさま。ようす。

まぁまぁ!〈感嘆して)実にわかりやすく言ってくれてるね~

“そうなっているありさま”!!

そう成っている・生っている、為っている・なっている

ありさま・在りさま・在り様・・というわけで、

物事がその時そうなっているありさま、ということは、

物事は、いまは、そういう状態に在る。ということで、

物事は、明日は、1秒先は、今の状態ではないかもしれない、ということで。

だから状態というんだろう。流動的。いまはそうなっている。

物事っていうのは物と事。一切の事柄(事の内容)。事物(事と物。種々の出来事や物。ものごと)。

ようするに物事っていうのはこの世に起こる全てのことだろう。

それは状態なのだから、固定的ではないということなんだろうな。

二千年も同じようなことが続いていると、

ついそれを固定的に捉えてしまうけど、二千年変わらないように見えることも、

物事なんだから、その状態は変わることもあるんだろうな。

日本列島が今の状態に生ったのは何万年?前なのかよく知らないけど、

これも状態だから、きっといつかは変わるんだろう。いや、

地震で陸だったところが海になっているなんてところもあるのかもしれない。

いや、細かなところでは常に変化を続けている。

在るものは全てそういう状態に今在る。

すべてが動的平衡という在りようで変わっていく。

こういうことを考えると、この続きはどうしてもこういうことになる・・


変わらないことがあるか?

変わらない状態というものがあるか?


光浦靖子さんの「後回し」のこと

2013-03-16 10:04:35 | 新聞を読んで
一昨日かな、新聞に出てた“執着のない一日”にまつわるいろいろ・・・

後回しすること・・タバコ吸いたいな、となるけど、

後でもっと吸いたくなったら吸おうっと!と後回しにする。

コレ、「後回し」のことで・・

昔、私が娘のことを凄く心配してて、謂わば、その思いにとりつかれてた時、

それに疲れ果て、「もうどうなってもいいや、

その時のことはその時になって考えよう」ってなったことと似てる。

これも「後回し」なんだろうか・・?ちょっと考えよう。

そうなったとき、凄く気楽になった記憶が在る。

「今吸わないで後にしようっと」というのと、

「先のことは今考えないで、その時になって考えようっと」というのは違うのか??

今、吸いたいってなったけど、それは後にしよう・・

あ!今、気づいた。コレは、

吸いたくなったとき→(吸う・吸わない)という二つの選択肢が在る、とわかっている状態だ。

選択肢が在るとわかっているからこそ、今吸わないことを選べるわけだから。

と考えると、

先のことを考えたくなったけど(心配・不安)、その時になって考えよう、というのは、

そうなっている時に、今考える・今考えない(その時考える)

という二つの選択肢があるってことに気づいたってこと?

そういう自覚はなかったけど・・・そういうことなんじゃないか。

心配で心配で・・というトラワレ状態・執着のあるときは、

心配しない、なんていう選択肢があるなんて考えられもしないからね~

もうどうなってもいい、っていう開き直りは、

一種の覚悟だけど、心配なそのことを放り投げるんだろうね。

「心配」という思いが放り投げられるから、

「心配」が手元になくなって、楽になって、でも、考えることはありそうだから、

それは後にしよう、ってなるんだろうな。

なんだか、散漫な文章になっちゃったかなぁ・・