ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

何故悲しく思うのか?

2013-03-22 11:00:21 | 実例体験観察
悲しかったし、寂しかった。

ある事で非難された気がした。

全く不当だと思ったし、抗議したい気持ちも出てきた。

昨日はこれを彼に言おうかと、思ったけど、しなかった。

するとしても、ちょっと自分を観てからにしようと思って、

今こうして書いている。

何故私は非難されたと思うと悲しくなるのか?

非難されて嬉しいひとはいない。

非難したと観ると悲しくなるのは当然だ。

非難というのは解釈。

けど、明らかにそれは非難だった。この前書いたようなのとは違った。

それを非難と解釈しないでどういう解釈があるのか・・・?

彼の癒されてない部分がそうさせる、ぱっと今、それが浮かんだ

私の僻み根性と一緒だ。

今回の例みたいに、非難されなくてもいいことを、彼はたくさん非難されてきた。

“されて来たからするようになる”

そうだ。

たくさん非難された悲しみがまだ癒されてない。うん、そういうことだ。

あ~したら怒られた、こうしたら非難された、悪い成績をもらったら怒られた・・・

子供時代、親の未熟な解釈の元での誤解曲解をたくさん経験して来た。

親に限らないけど、親の影響が一番かと思う。

非難され傷ついたことはとっくの昔に忘れているけれど、

それは潜在意識にちゃんとある。消えない。そのまま残っている。

それが癒されるのはどういうふうにか???

周りである私がそれを在るがまま受け入れることだ。

非難せず。悲しまず。

そうなるには、自分の癒されてない部分が癒されてからだ。

だって、そういう自分でなきゃ非難してしまう。

悲しくなってしまう。

始まりはわたし。私が幸福になることが彼が幸福になることに直接つながる。

“わたし”って云ってるけど、全ての“わたし”だよ。

誰でも自分のこと、私 っていってるでしょう。


コメント
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