ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

気疲れ

2013-04-21 17:15:19 | ひとの幸福
気を使う・・のは自分が悪く思われないため、だし、

気を遣う・・のは相手にとっていいように、という思いで・・・

と、昨日かな、書いた。

これは私の解釈で、広辞苑は「使う」も「遣う」も一緒のようだ。

「気疲れ」を広辞苑で見るとあれこれと心配りをして疲れること。

接待で気疲れする。という例が載ってた。

“接待”というのは相手が心地がよいようにという心配りなんだろうけど、

その裏には企みがあるような感じがする。

他の目的があって、その為に接待するのが接待なんじゃないか。

気疲れするのは“接待”だからだろう。

気を使わない相手だったら、肉体疲れはするだろうけど、

気疲れはしないんじゃないだろうか。

自然なことだから。
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鯛焼き

2013-04-21 17:02:20 | 日々の暮らし・思い出
さっきわりと近くに住む夫の兄弟夫婦が用事で来た。

土産に鯛焼きを持って。

この鯛焼き屋さんの鯛焼き、ほんとに美味しいんよ。

今までの人生のなかで食べたどの鯛焼きより美味しい。

やっぱり甘いものが好き。なかなか抜けられない。

でも、砂糖というのは中毒性があるそうな。聞いたことがある。

本当かな?!

甘いものは美味しい。赤ちゃんがわかる最初の味覚は甘さだという。

塩でも本物は甘い、とか云う。

甘いものでも、砂糖が入ってなかったら中毒性はないんだろうか?

甘さを嫌いな人があるんだろうか?

砂糖菓子は好きじゃなくても、自然な甘さ、野菜の甘さとかは誰でも好きなんじゃないかな。

それに、食べ物に限らず。

ひとは誰でも自分を甘やかしてくれるひとを好きなんじゃないかな。

自分を甘やかしてくれるスイーツ。

自分を甘やかしてくれる親。

自分を甘やかしてくれる夫。

自分を甘やかしてくれる子供。

こんなの、いいよね~。

でもそれって中毒性があるのかな??

それ無しでは居られなくなるっていう。

そうかな???

でも世界中の人全部が自分を甘やかしてくれたらいいな。

そうなったら誰でもが甘やかし、甘やかされ状態だってこと。

そうしたら中毒なんて関係ない。

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ソウルメイト

2013-04-21 16:24:50 | 新聞を読んで
「ソウルメイト」・・この言葉を聞いたことがあるけど、どういうことなのか知らなかった。

今日の毎日新聞の書評欄に村上春樹の新しい小説についてが載っていて、

その冒頭に、この言葉が出てきた。

「文学には異性関係を超越したプラトン的ソウルメイト(片割れ同士のような魂の友)が

描かれて来た。

トリスタンとイゾルデ、キャサリンとヒースクリフ、「1Q84」の天吾と青豆・・」

ソウルメイトとはそういう意味だったのか・・・

プラトン的というからには・・・

片割れっていうのは、器などの割れた一片。一つのもののわかれ。

さっき、書いてた、「何があっても・・」という心の姿勢は、

片割れである自分が相手と一つのものになる、という心境・精神なのかと思った。


片割れ同士の魂の友とは・・・

一つのものが真っ二つに割れた片割れ同士は、正反対という感じだけど、

七・三の片割れ同士や八・二の片割れ同士は似通っているところが結構ある片割れ同士なのかと勝手に考えた。

自分とは正反対の、一番引っかかる人が、

魂の友、ソウルメイトなのではあるまいか・・・???

この世で一番引っかかる人と本当に仲よくなったら、

全てオーケーになる。

それ以外なんか、楽勝!?

正直、そうなるまでやれやれという感じではあるけれど・・・!?

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何があっても・・・

2013-04-21 13:57:56 | ひとの幸福
何があっても変わらない友情・・とかよく聞く。

何があっても変わらない夫婦の情・・とは聞かない。

何かあるとすぐ変わる夫婦の情、が一般的かな。面白いね。

けど、「何があっても変わらない友情」という言葉が世の中にある、ということが、

何かあると簡単に崩れる友情、が多いことを示している。

この世にある友情の殆どが「何があっても変わらない友情」だったら、

こんな言葉が言語化されることはないから。

当たり前のことは関心を持たれることもないから、言語化されない。


何があっても関係・間柄が崩れない・・というのは、

ひとの理想の姿かなと思う。

一見仲がよくても、そのひとの行動が変わるとすぐに仲が悪くなるようなのは、

何があっても・・じゃない奴だろう。

何かあったら・・という奴だ。

それがいけないわけじゃない。ただ、そういうことだなと。

「何があっても」というのは意識が相対性、二元性を超えるということかと思う。

宗教組織なんかに属していて、それから離脱すると、

それまであんなに仲良くしてたのに、離脱した人が災難に遇おうと、

困った目に遇おうと知らん振り。

反対にそんな目に遭うのは離脱したせいだ、なんてことを言う手合いもある。

離脱したひとも前に仲良くしてた人をけんもほろろ状態。

・・というようなことをよく聞く。

違いが在ることを当たり前と捉えられないことから来るのかと思う。

二元性の“正しさ”を固く持つと本当に危ない。

仲よくなれない。

金子みすずの「みんな違ってみんないい」という詩は凄いね。


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仲がいい

2013-04-21 13:34:39 | ひとの幸福
本当に仲がいい・・とはどういうことか???

北朝鮮とアメリカが仲がいい・・ということは凄いことだと書いた。

それはアメリカとフランスが仲がいいなんていうレベルのことじゃないと思う。

趣味が同じで仲がいい、なんていうことはよくあると思う。

そういうのは仲良くなりやすい。

よく価値観が一緒だと夫婦がうまく行くとかいう。

価値観の違いで別れたなんてこともよくある。


北朝鮮とアメリカが仲がいい、というのはどういうことか・・・

人と人、国と国、違いがあるのは当たり前なんだけど、

その違いを認められることが“仲がいい”の始まりかなと思う。

何故違いを認められないかといえば、

自分と違うものをダメとする考え方、

自分の考えを正しいと突っ張る気持ち、

・・があるからじゃないかと思う。

これがあると仲よくなれない。

ものの見方がそれぞれなのは当たり前のこと。

一人一人全く違う世界を生きている、そのことが心底わかる人が増えると、

世の中はもっと穏やかになるのかなぁと思う。


仲がいいとは、違いが在ることを認められるもの同士になること。

いま、同士と書いたけど、片一方が真にそれを認めると、

認められなかった一方も必ず相手を認めるようになる。

そこが心理の面白さだ。



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