ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

3才と2才 ②

2013-04-30 14:00:04 | 日々の暮らし・思い出
イブ母は、レストランという公共の場であまり騒がしいのは他の人に迷惑が掛かるから、

どうしたもんかと思う・・と言っていた。それもそうだ。

でも店の人や周りから特にクレームがなかったらあまり気にしなくてもいいんじゃない?

居酒屋とか料亭じゃない、お子様ランチがあるような店なら・・

と私は思ったのでそう言った。文句言われたら、そこから出たらいいし。

イブと母と話したとき、こんなふうな私だったんだけど・・・


子供のことを五月蝿いと思う人は、

五月蝿い子供が居る可能性の高い場所に行かない方がいいという考えもある。

五月蝿そうな大人が居る可能性の高い場所に子供は行かない方がいいという考えもある。

五月蝿い大人の居ない所の方が子供は伸び伸び出来る。

伸び伸び笑い、伸び伸び泣ける。

五月蝿い子供が居ない所では大人は落ち着ける。

伸び伸びする。

けれど、今回のような場合もこの世にはある。

いろんな大人が居る所で子供は育つ。

屈折した大人や疲れた大人が居る所でも子供は生きている。

子供は自分で場を選べない。

今の時点ではしかたのないことと割り切ることが必要なのかな・・・

どんな状況だろうと幸福になる意欲が高い個はそれなりに状況を利用するか・・・

結局のところ、まぁ、なんでもいいか・・になるよ。
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オバマ大統領のジョーク

2013-04-30 13:16:53 | テレビを見て
今朝のNHKのニュースみたいなので、海外トピックというのをやっていて、

それに、「アメリカのオバマ大統領がジョーク乱発」だって。

何を言ったんだろうと興味津々で見てたら、議員食事会で。

大統領選挙のとき対戦相手のロムニー氏は、

自分を中傷する記事の為に100億円を使った。

そんなことをするくらいなら、候補を降りてくれたら100億円やると言えばよかったのに、だったか、

100億円くれたら降りたのに、だったか、どっちだか忘れたけど、発言し、

その場は大爆笑になった、というもの。

私も笑っちゃったけど、日本の首相を争う選挙のことでこんなジョークを安倍さんが言ったら、

日本はどういう展開になるだろう?と思った。

真面目な日本は、そんな賄賂絡みの話を冗談にせよ、言うなんて!

・・ってなるんじゃないかなぁ。
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ケンカばかりしてる・・・と猪瀬知事

2013-04-30 12:50:44 | テレビを見て
国際オリンピック委員会(IOC)の倫理規定に反して

立候補都市のイスタンブールを「イスラム教国は互いにけんかしている」

などと批判したとされる問題について、

報道陣に「発言の中で誤解される部分があれば、表現不足だからおわびしなくてはなら

ない」と述べた・・・これはネットのニュース記事からのコピー。

さっきテレビでもやってた。

イスラム教国は互いにケンカしている・・・実際日本よりそういうことは多いのだろうと思う。

事実そういう状況にない国より、そういう状況に在る、ということは云える。

そのような国より平和な日本の方が相応しいと言いたかったのだろう。

ケンカしてるから悪いとか、ダメだとか批判するつもりで言ったのではない・・・

とは思う。

花屋であの花よりこの花の方が水揚げもいいので、持ちがいいですよ、と

客に言ったら、あの花の産地からクレームが来たとか、

あの花この花を扱う市場からクレームが来たとか、

そういうことと基本的には同じことだと思うけど、国家間は難しい。

花なら・・水揚げがよいことを他の花と比較せずにアピールすれば

よかったのに、その花を売る人はその花の産地のひとだったので、

ついつい水揚げがいいことに力が入ってしまって・・

相対性を使って言ってしまった・・・

ということなんだろうと思う。

その発言は批判ではなく、ただの観察なんだと言っても、

言わなくてもいいことを言った・・のかと思う。

表現する、言語化する、ということはそれに関心を寄せているということには違いないから。

そういうことに敏感になってるIOCは、

一言詫びを入れろと猪瀬知事に言ったんだろうか・・
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小さな子供と規制

2013-04-30 11:15:05 | ひとの幸福
小さな子供は皆自分勝手だ。自分の思い通りに行動する。

砂場で玩具の取り合いをする。

一方はそれを返してと泣く。

その行為は相手を規制する行動なんだろうか???

その行為はそれを自分が使いたいという意志の表れで、

相手を規制するものじゃない・・・

でも相手にとってはそれは規制になる???

規制の意味はおきて。きまり。規律を立てて制限すること。

自分が使ってた玩具を手放したときに他の子がそれを持って行ったことに泣いたのは、

きまりやおきてを相手が破ったからと云って泣いたわけじゃない。

「返して」と泣きながら言っている子供に対して、

それを返さないで平気な顔をしてる子供は、

きまりやおきてがあることを知らないからそうしているのじゃない。

泣いた子と同じにそれを使って遊びたいからだ。

遊びたい同士がケンカ状態になる。取り合いになる。

それに対し、身体の安全さえ観ていれば、周りは何もしようとしなくていい。

やはりそう思う。

ただ、黙ってそういう二人を引き離すことは規制ではないように思う。

そこから関心が離れるようにしたらいいのかと思う。

子供は違うことにすぐ集中出来る生き物だからね~

いつも周りがそうしていたら、そういうことを根に持ったりすることはないと思う。

周りが問題視することが問題を生む。

眠ろうとすると眠れない・・のと同じ量子力学的現象だ。

その反対をいけばいい。

それはその現象自体(取り合い)を、

きまり・正義を楯にとってなんとかしようという思考とは正反対のもの。

その行為は今までの動的平衡を壊し、新しい動的平衡をもたらす革命。
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3才と2才

2013-04-30 10:35:46 | 日々の暮らし・思い出
イブの母親から昨夜電話があり、久しぶりにお喋り。

友人が訪ねて来てくれたそうで、

その友人は園児に対し一切の口出しをしないという方針の保育園に子を入れているという。

教育的プログラムの一切ないような保育園らしい。

その保育園に子供を入れている彼女も2才に規制はしないよう。

そのことで友人にストレスはないよう。

その友人と友人の子供2才とイブ3才と彼女との4人でレストランに行ったときのこと・・・

2才と3才はそれぞれ思い通りに行動する。

やる前に止める人はその場に居なかったので、

2才と3才はそこでケンカのようになったらしい。

結構派手なバトルだったらしい。

イブ母は、ただレストランという公共の場であまり騒がしいのは他の人に迷惑が掛かるから、

どうしたもんかと思う・・と言っていた。それもそうだ。

でも店の人や周りから特にクレームがなかったらあまり気にしなくてもいいんじゃない?

居酒屋とか料亭じゃない、お子様ランチがあるような店なら・・

と私は思ったのでそう言った。文句言われたら、そこから出たらいいし。

二人でいろいろとお喋りしたなかで、

その時その時の親の覚悟があればいいのかな、とイブ母。

そんな結論になるように仕向けたわけじゃなかったよ。

私も本当にどうしたもんだろうかと一緒に考えた。

保育園にその日行かれなくてもいい・・・

レストランから怒られてもいい・・・

風呂に入らなくて汚れた身体のまま寝てもいい・・

・・その時その時の子に対し、他にもいろんな覚悟があるだろうけど。


6月にイブやアダムがここへ来る予定だ。

そのとき、4才近いイブにどんな対応をする自分なんだろうか???

去年の秋にイブたちとひと月近く暮らしたとき、

小さな子供についての対応は身体の安全だけに気をつけて他は

何もしようとしないで居るのが一番だな、と思ったのが収穫だった。

そんな事、多分体得できてない今の私だと思う。

でもそれを意識して行為行動したいと思っているんだけど・・

どうなるだろう???

それがすごく楽しみだ。









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教室

2013-04-30 09:28:34 | 日々の暮らし・思い出
昨日ドライブに行った。

温泉に入る予定はなかったのだけど、天然温泉という看板に惹かれて案内板の通り行ってみると、

なんだか自分が通った小学校のような建物がある。

渡り廊下みたいなものもある。

聞いてみるとここは元小学校で、何年か前に今みたいな温泉施設になったよう。

温泉に浸かった後、ここらの牧場の牛乳で出来たアイスクリームを

元教室・今食堂で食べた。

アイスクリームも美味しかった。教室も懐かしかった。

教室の後ろの方に座り黒板を見ながら食べた。

4年生の時、こんな後ろの方の席に座ってて、隣の子とお喋りしてたら、

チョークが飛んで来たんだよ、と夫に話した。

あれは体罰だったんだろうかなぁ・・でもよく命中したもんだ。

チョークを投げられてなんと思ったのか、確かな記憶じゃないけど、

恥ずかしく思ったような気がする。

それは投げられて当然みたいな感覚もあったということだ。

中学校の時は音楽の授業で後ろの方に立たされたことを憶えている。

自分が何をしたのか、何をしなかったのか、まるで憶えてないんだけど、

何か先生の気にいらない事をしたんだろうと思う。

立たされた時の自分の心を憶えていないけど、多分屈辱感はあったろうな。

それと先生への反感。

皆が座って授業を受けているときに、一人立ったことで私の何が改善されたんだろう??

どんな効果があったんだろう??私に対してだけじゃなくて。

やっと気づいた。チョークもこれも見せしめだったんだ。

こんな事をするとこんな目に遭いますよ、という。

こんな目に遭いたくなかったら、こんな事は止めましょうという。

そうかぁ。体罰とは何かなんて改めて考えたことがなかったけど、

体罰とはその名の通り罰なんだ~。

そういう体罰を受けても、自分が悪いことをしたんだから当たり前だ、

みたいな感覚を持っていたことに、書いていて気がついた。

当然感は当然感だからこそなかなか気づかない。


罰っていうのは、それを“させないように”するために行なうもの。

どんなことであっても“させようとする”“させないようにする”思考はうまいこと行かないね~

それで、確かにそれをしたり、しなくなったりする効果があるかもしれないけど、

それはいっときのことだし、心理的副作用の方が大きいだろうし、

また、それが要因になって様々な心理的歪み・歪み的言動を生むだろうなぁ。

そしてそれは続く・・だ。


やっぱり体罰は前時代的。
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