天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

祈りの心

2023-12-05 08:38:00 | 宗教
🔴23令和5年12月4日実践心学
[祈りはエネルギーの源泉]ライン日記

祈りにもふたつの道があります。神仏を見るためは、見神の祈り。もうひとつは、自分の生き方を、変えるために祈る人がいます。

見神の祈りをしている人は、目の色が妖しいのですぐにわかります。御神尊様も、若い頃の修行の目的は、これにあったと語り、修行が深くなる連れ、それは妄想と断定しています。

祈りは人生のエネルギーです。まさかこんなこと、喜びも悲しみも、それを乗り越えるのが『祈りのエネルギー』です。『足らざるを足す心の準備が祈り』から生まれます。いちど祈りを体験することです。やります!
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永遠の安息地

2023-10-18 08:20:00 | 宗教
🔴23令和5年10月17日実践心学
[宗教は人の心に合掌心を養う]ライン日記

宗教とは、人の心の永遠の安息所。また宗教なき国は滅びゆくとは、何人かがいっています。また、宗教とはアヘンなりといい、その権力で弾圧をしています。

そこは御神尊様の、足あとを辿れば明快です。なにしろ29才のおり、東京の全国宗教者会議で『宗教と科学は手を結び、科学的宗教でなくてはならない』と叫び、旧来の宗教に袋叩きにされた経緯があります。今はまた、この時代に迷信的行為で、人心を乱すところがでています。

これを御神尊様は『宗教が世を乱すとは考えられず、宗教を利用する悪徳、非宗教的なことにある』といわれます。真の宗教は『合掌心によって精神生活を、家庭社会の明朗化』の絶対性にあると結んでいます。やります!

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宗教と世界平和

2023-03-08 08:21:00 | 宗教
🔴23令和5年3月7日実践心学
[合掌は永遠の安息所] ライン日記

今朝は頭から難問です。宗教は人間世界を明るくするのか。それとも世の中を救うのか?社会的にも、宗教といわれるものは、どれが良くて、どれが悪いか。

ほとんどの宗教が政治と、手を組んでいるのも問題にされます。私たちにとって、選択肢にする材料がありません。なぜなら、ほとんどが事情が生まれて、手近の宗教と縁をむすぶからです。

世界を俯瞰(ふかん)すれば、宗教が絡んだ戦争の絶え間がありません。御神尊様は、合掌は永遠の安息所といわれ、人心を浄化し明朗生活を実現、地上天国をめざすものです。やります!

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救済の道

2021-06-08 08:44:00 | 宗教
令和3年5月25日人生の処方箋
[登り道は いくらもあるという]ライン日記

けさは、言葉をつくせませんが、許してください。
歴史を振り返れば、幕末の手前ヨーロッパでは産業革命が起こり、蒸気機関が発明され世界は変わりました。以来、あらゆる科学、化学は長足の進歩をとげたものです。

この10年ほど前には、数学上、最大の難問『フェルマーの最終定理』が解明されました。300年間、数学者の多くが解けずに犠牲になりました。

それぞれの道を究めるのに、山にたとえて登り道はいくらもあり、頂上はおなじだからといわれます。でも、宗教に限りオウムが出現してから頂上は違うことがわかりました。

私の思いは、山は登り口を間違えたら、とんでもない頂上に立ち、登る為なら手段を選ばないこともわかりました。

その中にあって『御神尊様は20年に及ぶ、修行と臨床の末、まったく新しい救済の道』を発見したのです。我田引水といわれるでしょうが、人の為にならない宗教行為から『人が寄り付きやすい和合の道』の実現こそ、私たちの願いです。やります!


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天地公道

2019-12-29 10:00:00 | 宗教

2019・12・28、天地公道
[天地にふたつなし、神に多神なし]

新年を迎えるに当たり、31日までは、一年の心のあり方を見つめる特集とします。

さて、『天はふたつ』あるはずはなく、『地もふたつ』はありません。『天地はあくまでひとつ』のものです。これには異論は無いと思います。

『八百万の神(やおよろず)の神』といわれる『古来の神、観念』『外来の宗教に見られる一神教』や『他の神の存在を否定する』ところもあります。

もうその時点で神の存在は『天地を離れ、人間を離れ、信仰の対象の外に出てしまう』ことになりませんか。

天地自然は、あらゆる生物を生かそうとしています。
その間にあって、人間も天地に応じて働き、命の糧を得ることができます。

その天地の偉大な力に、天地の無限の力に、私たちはその自然の力に、こうべを下げ、合掌するではありませんか。

そこに『天地ふたつなし』当然『その慈悲を神と見る』こともできるでしょう。
『真実の神こそ、明快にそこにあります』やります!

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