天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

捨てる

2021-01-29 19:18:00 | 新陳代謝
令和3年1月29日人生の処方箋
[古きを捨てて新につくこと]


私たちは、ともすればマイナス思考の傾向にあります。それを世間では自己否定などで、潜在意識に刻まれると表現されてます。

しかし、確かに心理学はそうでしょう。でも、御神尊様は多くの人に運命開拓を願っています。単なる処世訓ではありません。

命がけの病気、うまくいかない仕事、人間関係など、の根底には、何故、過去の事情が住み着いているのでしょうか?それは解くことのできない、解く方法を知らないが故の過去のわだかまりが住みついて、あなたを明日が見えない、今がどこにあるのかもわからない状態にしているのです。

それを『古きといい、古きを捨てよ』といわれます。今がかすむのはあまりにも性格が、頑固で強情でわがままであったり、家族に強くあたるなど。そこからさまざまな事情がうまれます。

ならば、人にはそれぞれの事情があることだから、何事もゆずらなければ、世の中は成り立たないと思うことができれば、その瞬間が、古い過去と決別することのキッカケです。

これを『古きから、新しきへ』生命の新陳代謝といいます。
それは、『解けよ解け、解き得ざるものは、速やかにこれを捨てよ』の救いのことばに示されています。やります!

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心を繋ぐ

2021-01-28 12:58:00 | 信仰
令和3年1月28日人生の処方箋
[喧嘩はするとも 無駄な喧嘩はするな]


世の中は『対立と和解の繰り返し』ですね。個人の立場から国家間の国際問題まで。個人的には、何かでスイッチが入り感情に着火します。その相手が、夫であったり、妻であったり、子供であったりするわけです。

よくよく見ていると、その相手が本当に嫌いでもないようです。たまたま弱い立場、職場でキレるわけにもいかず、家庭で怒りの炎があるひとことで暴発するのです。

とかく世の中の夫婦は、お互いが遠慮がなくなり勝手なことをいいっぱなしでケンカします。このようなケンカは、たとえ愛情表現のもつれであったとしても、実にムダなケンカです。

いうだけいって、やるだけやっていいから後で手を握り合い、より仲良くするのならケンカも無駄にはなりません。

なかなかできないことではあるけれど、夫婦生活の円満は保たれないのです。できる限り感情を抑え短気に走らないように、でもケンカするなら、仲直りできる覚悟ですることです。

『合掌もって手を繋ぐ努力を惜しまない』これが私たちの運命製造のありかたです。やります!

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捨てる努力

2021-01-27 10:23:54 | 新陳代謝

令和3年1月27日 人生の処方箋
[事情をすてよ 悩みを捨てよ」

 人間は目の前の出来事にならされていく習慣があります。だからこそものごとを、事情(問題のある状況)に育てる名人でもあるのです。

それでいて『どうしてこんな目に遭うのだろうか?』は、誰でも共通の思考回路です。天地は今にしか存在していません。私たちも今に存在して命をはぐくんでもらっています。

天地は前に進み、人間の心は昨日に明日へと、その時の環境と事情により、定まるところを知りません。

その間をついて、心に事情が生まれ隙間が生じます。

『❶憎みであり』『❷思い悩む我が心』『❸この心が招く不自然こそ』反逆の正体です。

その反逆は次のムダをうみ『時間の浪費、生活の乱れ、らしさの無価値』この3つの無駄が不幸せへの生活です。

『人間は朝から晩まで楽しく笑って暮らせる』ようにできています。その中をわざわざ、不愉快な時間をすごしています。これは無駄でしょう。

この『3つの無駄を捨てる』には、まずどうしょうもない事情は御神尊様に預け悩みの元を断つことです。これで健康回復間違いありません。やります!

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日々洗う

2021-01-26 08:41:00 | 新陳代謝
令和3年1月26日人生の処方箋
[なんじ今日より 我の念の翻弄に時をかさず]

最近気づいたことがあります。
最近認知証検査で56才程度といわれました。なぜ目が良くなった?
良くわかりました、あさのをことばは6年目を迎え、毎朝発信する事で目を洗われていることを悟りました。

あさ、ことばを探し続けてきました。気づいたら、日常視力、動体視力、夜間視力が良くなったうえ、しかも、白内障も緑内障も、ストップして現状維持でブレーキがかかっています。ありがたいことです。

目を洗うとは、心を文字で洗うことです。日々見て読むから、自ずと邪気が洗い流されていくことになります。

私の我はひどいものです。脳出血で意識不明から、この世に生還した時、ベッドで『反省と懺悔で有り余る時間』を使いました。

そして『短気の我』『固いという我』『恩着せの我』『完全主義の我』に翻弄され続けた人生でした。それでいて偉そうに人の相談に、預かるなど傲慢もいいとこ。

とにかく一瞬たりとも『我の念に翻弄されない』こと。心の堤防を高くしなければなりません。『反省と懺悔』肝心は実践あるのみです。やります!
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日常生活の乱れ

2021-01-25 16:23:58 | 運命と生活

令和3年1月25日

[なぜか 人間は焦りを重ねたがる]  

『自然に合わせる』といっても、なかなかピンとこないでしょう。

なにしろ『人間へ自然に任せきりの生活をせよ』といわれるのです。   

ではどうしたらいいのか?

一木一草ことごとく自然に委ねて、雨にも日照りにも動ずることなく、昼を待ち夜を待ち、春夏秋冬の訪れを待っているが、しかし人間は焦る、また焦る。なんだろう。?

焦りのゆえに、かえって過去のまま、今を忘れてしまう。 

  

さらに事情があると、囚われ思い悩みそこから憎み咎めで、心を痛めていくのです。

楽しかるべき日常を自ら掻き乱してしまう。

昨日のこと、過去のこと、これこそ自然への反逆です。 

 

そこから不幸が始まり、病気となります。

とにかく求めすぎだから焦る。

これではいけないとまた焦る。

それでは目の前の扉は開かないもの。 

  

とにかく焦らず、過去という名に心を委ねず、囚われず憎まず、それでこそ日常生活は乱れずにいるから、自然体なのです。神の意思そのものです。やります! 

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自然に任せる

2021-01-24 16:01:00 | 運命の認識
令和3年1月24日人生の処方箋
[草木の自然にすべてを 委ねているが如くあれ]


天地宇宙におけるすべての動きが自然の動きであり、すべての事象が自然の働きです。自然の動き働きは、あらゆる生物に生命をあたえ糧を与えています。

したがい、人間の力などは取るに足らないものです。昼夜を通じ、春夏秋冬を通して、与えられる天の恵み地の恵みによって人間は生きて、生かされています。

草木の姿をみれば、雨が降れば雨に風が吹けば風に逆らうことはありません。しょせんは抵抗するすべなしと、合わせているのです。

陽の光りも雨も風も、与えられる恵みをそのまま受け、いかに日照りが続こうと冷静に雨を待っています。ところが、人間はさにあらず、ともすれば自然に反逆してまでも生きようとします。

学ぶより反逆の姿勢が強いようです。人間の自然に任せているかどうかは、人間関係に現れるからすぐにわかります。
その結果、天地は病や不幸せなどの事情で、修正を迫ってくるものです。やります!

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運命の峠

2021-01-24 15:58:00 | 運命と心
令和3年1月23日人生の処方箋
[人間はなかなか簡単に死ぬものではない]

まして『病人必ずしも死ぬとは決まっていない』とは御神尊様のことばです。『病気には生病と死病(気病)』があって、今にも死にそうな病人が、医者が匙を投げたにもかかわらず、心機一転してケロリと治った事例は無数にあります。

『死病は(気病)であって、生きるも死するも心の持ちようひとつ』です。御神尊様は『心は運命の製造者なり』『心は病気の製造者なり』このことばを掴んで、立ち上がれば必ず救われるといわれます。

しかし『人間らしくない心、死を怖がる心が自らを心理的に追い込む』ものです。つまり、心は運命の峠なのです。

目の前に立ちはだかる、人生の壁をロッククライミングするには、強力なロープが入ります。どんなにぶら下がっても、危機一髪であなたを守り切ります。

そのロープこそ『合掌とやります』で『絶対こだわらないこと』『止まらずに前にすすむこと』『尻込みしないこと』やりますの気力を奮い、死への妄想を断ち切ることです。やります!





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人生の支柱

2021-01-24 15:54:00 | 人生
令和3年1月22日、人生の処方箋
[合掌とは敷石になることなり]

柱が家を支えているように、敷石はいくつもあってその家を支えています。

今はマンションなどもありますが、これとても支柱は岩盤に届くように、しかも耐震装置なども使われています。

つまり、言うまでもなく見えるところより、見えないところにこそ、専門家は設計の重点を置いています。

それは建物のことですが、同じように人間関係はどのようにしていますか。柱の一つひとつは夫婦であり、親子でもあります。

昔から『あの家はとうとう潰れた』といわれたものです。特に大きな商家の場合に言われました。家がつぶれたわけではありません。人間関係が潰れたといっています。

家族の心の支えがなくなり、精神的に離ればなれになり、もっといえば、人間の心がつぶれたというわけです。

家庭というものは、そこに住むもの同士が支え合い、助け合い、力を合わせて立てていくことに努めれば、微動だにすることなく、幸せの原動力、健康のもととなるのです。

合掌の力をもって陰の功労者、敷石、つまり礎石に進んでなろうではありませんか!やります!

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心を磨く

2021-01-24 15:49:00 | 信仰
令和3年1月21日、人生の処方箋
[人間心はガラスに似たり]

その日その日により、気分がいい時、わるい時があります。
考えてみれば、気分が良ければその日は幸せといえますね。
それが続けば、未来に続きます。

良い気分とは、磨き上げたガラスのように先が透けてみえるようなものでしょう。だが、日にちを重ねるとほこりがつき、先が見えなくなるのとおなじです。

永遠の幸せを願うならば、三度の食事は体の糧、合掌は心の糧。幸せの前に生きるために、毎日同じ米、野菜、肉、を食べて血肉をやしなうように、心にも合掌と道のことばで養わなければなりません。あなたの心は曇りガラス?それとも透明ガラスですか?やりますで磨き上げましょう。やります!
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迷わない心

2021-01-23 17:00:34 | 運命と心

令和3年1月20日

[初心に帰れ 初心忘るべからず]

 

ところで『初心ということば』の始まりは、室町時代1336年以降から使われていますが、能の観世流、世阿弥を始まりとしています。

 

『初心は最初のころの新鮮な気持ち』を表現することばです。

さらにこれに年齢を加えると、何事によらず未熟さ、つたなさが見えてくるものです。

 

若い頃の未熟さを忘れず、経験を重ねても決して油断をしてはならないと、戒めのことばに変化します。さらに老後になっても『初心』は人間的レベルの高さにつながることでもあります。

 

御神尊様は不思議なお方で、私たちが体調の不良やちょっとした気の緩みが出ると必ず呼び出され、その場にいなくてもわかるみたいだったと、いわれました。

 

そこには迷いが、姿かたちを通じてあらわれるもの、初心を失わずにいれば行動に迷いもありません。

 

おかげで、私は今日まで御神尊様とのご縁を心に刻んで、人生の階段を登ってこれました。そして『初心に帰れ、忘れるな』に導かれています。皆さんの初心はどこにありますか?やります!

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