天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

10/22 自身の見える化

2018-10-25 11:02:51 | 運命の原理


組織には、社是・社訓・建学の精神があり、理念や方針があります。
個人にも、それは必要でしょう。
私たちは、「熱しやすく覚めやすい」傾向があります。

「運命開拓に挑戦」生き甲斐ある人生、幸せを求めてきました。
しかし、明日のシナリオはありません。
どうすることもできない時、運命だからと諦めてきた来た人がほとんどです。
でも、信仰の道を知ったからには、
「あなたが、人生のシナリオを書いていかなければなりません」
具体的に「生活目標」を立てていくことになります。

1 #この1週間は、人の悪口をいわない。
2#朝早く起きる
3#家族、兄弟姉妹間の対立はさける。
4#おはよう、おやすみ、ありがとう、行ってきます、ただいま。
5#はい、わかりました。など、それぞれ不得意があるはずです。

自分自身に、精神的暇を与えず、目標貫徹に努力を惜しまないこと。
自分を変えることは、運命開拓に直結しています。
生活目標で、自分自身を見える化してみましょう。

開運の扉が開きます
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10/21 愛の交差点

2018-10-22 11:15:51 | 信仰


さて、十字の信仰といえば、キリスト教のようですが、まったく関係ありません。

昔から、犯罪者をハリツケの刑にするために、日本にも西洋にも十字架はありました。
ただ、この忌まわしい十字架を、神と一体の尊い存在にまで高めたのは、キリスト教と聞いています。

御神尊様は、目には見ることはできないけれど、〈祈りと、道の教え〉とで見る気でみれば、天地の公道として、目の前《十字の信仰》が開けていると教えています。

神に向っての祈りは縦の道、人に祈るは横の道。
この縦と横の交わるところに、十字の信仰があり、その交差点に〈愛の生活〉があります。
これを立体的信仰といいます。
神の恵みをいただこうとするならば、天地の公道、《十字の信仰》を歩まねばなりません。
信仰が誤解されやすいのは、人を忘れて、神への一辺倒の祈りに偏してしまうからです。

善隣の道は、神を中心にしながら、人と人がお互いに理解といたわりをもって、寄り添うところにあります。

結論は、十字の信仰により、それぞれの家庭の愛の交差点が、癒される場所でありたいものです。

それこそ、神様のうてなにいだかれて、幸福健康のあらざるなし、です。
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10/19 幸福の土台

2018-10-22 10:53:19 | 運命と生活


不幸の原因は、すべて〈人との和を欠くところにある〉と説かれています。

そして、人は死ぬまでの時間、〈人の心と我が心を合わせる〉ことに努力すること、ともいわれています。

ところが、様々な事情に左右され、心が離れた生活をしょうとする人間が、あまりにも多い。
世の中の、表に現れる事件の真相は、全てそこにあります。

ほとんどの人が、道徳を振り回しています。
正義を振りかざしています。
怒りの言葉で、人を裁いていきます。

そんな皮相的なことではなく、生きとし生きるもの、すべてが、〈和合に生きる使命がある〉ます。
自己主張にこだわり、頑固を発揮しては駄目です。
心が切れて離れ、人との和合ができなくなって、〈不可解の憂き目に泣く〉のです。

和合こそ、幸福の土台です。
天地は、〈いかなることがあろうと、繋がることの大切を〉示しています。
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10/18 泥田に咲く蓮の花

2018-10-22 10:40:09 | 運命と心


信仰に生きている人でも、苦しみに出会うと、信仰が崩れやすい。
そして,苦しみから逃れようとします。

信仰の本来の意味は、苦難を解決する力です。
では信仰には、どのような意味があるのでしょうか?

(ひとつは)自らの苦しみから、人の苦家族の苦を理解し、人様に手助けできる人になれる。

(ふたつは)〈自分の我〉ゆえに、生活に迷い悩み、破滅の道から救われ、生き方そのものが改まります。

(みっつは)御神尊様の〈我に苦難を与えたまえ〉と、苦しみに向き合うことによって、如何なる事情も乗り越える、精神力の持ち主になり、家族を守ることができます。

いづれにしても、苦しみ、病んで、追い込まれている迷い心です。

このとき、我が身の足らざるを足してくれる、神からの啓示であると、積極的な意味を見いだすときです。
〈神は、泥田に咲く蓮の花のように〉その美しさに慈悲の手を伸べてくれるでしょう。
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10/17 懊悩の自覚

2018-10-20 20:27:20 | 新陳代謝


懊悩とは、悩む時間が長く、深く内向して、処理できないことです。

御神尊様の修行の眼目は、《人間と運命》がありました。
修行者のなかには、人間を離れて、単に神仏を見たいと、山にこもり、滝に打たれる人がいました。

御神尊様も《若いころは、それを目的として、行をしたこともあった》
と語られています。

それを、《見神》といわれ、《行中に、心身がきわまると、刹那的に、人間の姿をした、神を見る‼️》ことがあった、と語られています。

しかし、それをもってしても、《運命的、現象》は、いかんともし難く、《運命の解明》は、厚い壁にはばまれまのでした。

初一念は、岩をも通す、病者の枕辺にはべり、臨床に次ぐ、臨床の結果
《不幸は悩みの姿にして、病気は悩みのあらわれなり》つかまれたのでした。

現に、不幸病気に、苦しむ人の心中には、必ず懊悩の念、が秘められているからです。

神に、すがり、頼ったとしても、自分の性格上より作られる懊悩を自覚することが大切です。
これの〈切り替え〉によって、〈速やかに〉改善して、わだかまりの解消に努めましょう。
それが本来の、信仰生活です。

今こそ、邪気、邪念を断つのです。


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10/16 天地公道

2018-10-20 20:20:11 | 信仰



神様から見れば、人間の作った〈〇〇宗〉でなければ、などとは、問わず。まして、〈〇〇宗の神殿に囲われているのでなく〉
御神尊様は20年の、御苦行の旅路で、天地を師匠として、〈石を枕に、川の水で口をすすぎ〉
星空を仰ぎ、草のしとねに休む、毎日。

天地の動き止まざる〈天地の公道をつかさどる、姿に神を見ました〉
人びとの心中に、神の子としての、〈神明の舎〉を発見されました。

願わずとも、〈和合の生活〉のところには、常住神と共にあり。
笑顔すずれこぼれる道をあゆむこと。
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10/15 一歩踏み出す秘訣

2018-10-20 20:12:31 | 運命と生活


さて昨日は、生かされるのも今日1日の覚悟で臨み、その日のことに当たるとき、容易に目的は実現するといわれます。

しかし今朝は、今日こそは、今日こそはと、かけごえばかり、
いっこうに生活習慣が変わらない生き方を、心配されています。
当然悩みは、複雑化するだけです。

おかげのよろこびがないまま、家づくりも停滞するでしょう。

とにかく、一歩を踏み出しましょう。。
かならず、ことは成るのです。

一歩を踏み出す秘けつは、誰のためなのか考えて下さい

あなたを、長年にわたり支えてくれた、家族の存在のためにこそ、行動をおこしましょう。

ためらいは、道をふさぎます。
合掌の一念で、家族ともども、笑顔の道をひらきましょう!
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10/14 神様の慈悲

2018-10-20 14:07:33 | 運命と心


人生の迷いは、心のむくまま 気の向くまま、
〈昨日が気になるかと思えは、明日に気を揉む、〉今日の所に身体はありながら、その器のなかで、跳んだりはねたりする。
今日に居ながら、今という時間に心は落ち着かない。

このように書いてみると、運命の扉は重い。
重くてひらきそうもない。
神様も非情に見えるほど、力がないように見える。
たしかに、無力です。

神様は、今の所にしかいないのです。
今しか、たすけようがないのです。

あなたも、覚悟を決めてください。
〈今日限りのいのち〉と、ならば、
人生に思い残しの無いように、今日のすべきことを片付けてみましょう。
断言しているところに、神様の強い意思と、慈悲をかんじますね。

力のない人ほど、心配性です。

任せましょう。
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10/13 自然の意義

2018-10-13 12:26:11 | 運命と心


何かに心がとらわれたら、全く違うことをしてみることです。

〈自然に解決する〉というのは、何かおかしい気がします。

私たち夫婦は、長年のあいだに、「ありがとう」「おはよう」「おやすみ」などの、言葉が、自然に使えるようになりました。

これが〈自然の意義〉 だから解決するのです。
外で鍛え、家にもちかえれば、ますます清清しいのです。

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10/12 人生の羅針盤

2018-10-13 12:12:44 | 運命と心


御神尊様は、《人生は苦悩なり》と御聖経に記されておられます。
人の一生は、常に悩ましく、定まるところがありません。
人の心が定まりなく、変わりやすいという、自然作用とまでいわれています。

しかしそれが、そのまま、人の運命を左右するばかりか、人の人格までも、影響を与えるものであるという、大きな真理について、無関心無知なのが、実に悲しいことです。

天地は、風雨にさらされながら、一時として時間的にとどまらず、切れず、離れず、
夜の闇は、昼の光をうみ、昼は夜の暗さに吸収されます。
それっきり、切れて離れることはありません。

天地に真似して、生きよ‼️

信仰とは、合掌とは、
自己の気ままと、ワガママに訣別して、
単純に、明快に《きらいなもの、嫌いな人を好きになること》これに、尽きます。

《為になり、自分の幅を拡げる》とは
〈苦悩を超え、喜びの人生〉を示しています。

気にいらないことが、人生の羅針盤となります。

問題が、目的と方向をとらえてくれています。

さあ、船首をたてなおしましょう。

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