私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!
21019・12・31、人間関係と運命
[人間心は通うものである、通ずるものである]
人間の心は必ず通じるものです。とは言いながら、それ相当の努力もいるものです。
とにかく、楽におかげを手にしようと考えるのが、私たちです。努力を惜しんではなりません。
わたる世間は鬼ばかりなどと、ヒットしたテレビドラマがあります。確かに、相手が理解してくれない。と嘆きあきらめる人が増えています。
運命的に見れば《いつかは必ず理解し合える》と信じあきらめないことです。またその気にさえなれば、いつでも切り替えて、新たな心になれるのが人間です。
自尊心やプライドのために、自分の非を認めたくない時もあるでしょう。それでも生まれ変わろうとする人間力を内在するのが人間です。
求めたいのは、またあきらめて欲しくないのは《よく話すこと。よく語ること。》そして、気に入らないからと、無口にならないことです。御神尊様は無口は『心の糸が痩せている』と、表現されています。
心の糸を太くするために祈りましよう。やります。!
2019・12・30、天地公道
[天地は片時も分離することなし]
この人生を愉快に楽しく、何の屈托もなく日々生きることができるようにありたいものです。
どんな困難も人生修行と、乗り越えて行く生き方が持てれば最高ですね。
このような理想に近い、『生き方を何によって学ぶ』かといえば、最も身近な『天地に学ぶ』ほかはありません。
まず、『天地は片時もはなれる』ことがありません。これが、学ぶべき大本です。
『天なる父と、地なる母』とが夫婦喧嘩して口もきかない、などということはありません。天と地ほど仲の良い関係は他にはないからです。
天はその恵みを地に降り注ぎ、地は受けた恵みを我が子の生物に分け与え、新しい生命が芽吹いていきます。
その『天と地の片時も分離する』ことのない慈悲を学び、これを人間関係の中に生かし、『誰とも切れて離れない生き方』をマネしてこそ、ここに『天地の妙理』が働き、人生の喜びはそこからしか生まれませんね。やります!
2019・12・29・天地公道
[天地は汝の生まれた処であり、生きる処であり、終わる処である]
私たちは、残念ながら『天地から逃れて生きる』ことはできません。この騒々しい浮世から離れ、静かに暮らしたいなどと、思っても身の置き所がないですね。
天地は、私たちの生まれどころ生かされどころ。さまざまな事情に遭遇しながらも生きています。
しかしやがて『生あるものは必ず死し、形あるものは必ず滅す』いつか終わりがきます。
しょせん人間は天地から離れては生きられません。
ならば、天地の働きで『新陳代謝や愛の生活』を悟り、幸せな人生でありたいものです。
人は、悩みや病気の解決など、さまざまな願いがあります。解決は簡単なことです。
『人間関係を切らず、天地人ひとつのところにいる』
『人に向かい手を合わせる』貴方の背後から、天地が真っ先に合掌しています。合掌
2019・12・28、天地公道
[天地にふたつなし、神に多神なし]
新年を迎えるに当たり、31日までは、一年の心のあり方を見つめる特集とします。
さて、『天はふたつ』あるはずはなく、『地もふたつ』はありません。『天地はあくまでひとつ』のものです。これには異論は無いと思います。
『八百万の神(やおよろず)の神』といわれる『古来の神、観念』『外来の宗教に見られる一神教』や『他の神の存在を否定する』ところもあります。
もうその時点で神の存在は『天地を離れ、人間を離れ、信仰の対象の外に出てしまう』ことになりませんか。
天地自然は、あらゆる生物を生かそうとしています。
その間にあって、人間も天地に応じて働き、命の糧を得ることができます。
その天地の偉大な力に、天地の無限の力に、私たちはその自然の力に、こうべを下げ、合掌するではありませんか。
そこに『天地ふたつなし』当然『その慈悲を神と見る』こともできるでしょう。
『真実の神こそ、明快にそこにあります』やります!
2019・12・27、改善観と運命
[人は幸福を望む]
人から大切にされ、尊敬されるほどの人は、例外なく他人を大切にしています。
他人のことを我がことのように思い、労を惜しまない人ばかりです。
肉親に恵まれず、そのため愛情を理解できずに成人すると、愛情知らず、孤独に落ちていくということでもあります。
人嫌いになり人に寄り付くのが苦手になり、常に頭の中は自分のことだけです。
しかし、人間には自分だけの生活というものはありません。人と共に、家族と共に労苦を分けあい、家のため世の中のために尽くしていくものです。
私は縁あって、御神尊様の教えに触れることで、孤独と縁を断ちました。人と仲良くすることで、願う幸福、健康に恵まれることを学びました。
何も特別なことはありません。自分自身の機嫌をとり、そこから生まれる笑顔こそ、まずは人に尽くす始まりであり、すべてです。
そこから喜びが湧き、その努力に比例して自ら幸せを実現できるものです。やります!
2019・12・26、心と運命
[不幸は幸福への足場なり]
人生上手く行かない理由に、金、仕事、人間関係、子供の病気など。人間の逆境にはきりがありません。
こうした逆境に立たされた時、それをバネにはなかなかできるものではありません。誰もが相手を恨んだり、自分の不運を嘆いたりします。
こんな場合にこそ、[不幸は幸福への足場]にして、合掌心を養い、明るい態度で臨みたいものです。
考えてみれば、人生は逆境のひとつ、ひとつによって、自分の進むべき正しい方向をつかみ、天地の慈悲に叶うようになっています。
苦難こそ人生の生き方を、教えてくれる神の啓示です。
逆境と苦難を慈悲と受け止め、喜んで受け取り努力するのみです。やります!
2019・12・25、心と運命
[心の糸はー]
[人間食うだけでは生きられはせじ]といわれます。
たしかに、食べるだけでは生きていけないは現実があります。
それは日頃、本音で語り合える人間関係ほど、共に生きるよろこびを感じるものです。
その心を通わすとは、『見えない心の糸』をつないでいくことです。
その出口、入口は、[眼によって、耳によって、口によって、心によって繋がる]にあります。
すべては、『見方、聞き方、話し方』を指しています。人の心は常に動き続け変化しています。
昨日と今日ではちがいます。
好き嫌いで片寄りがちではなりません。決めつけず、ありのままに受け入れることが大切です。
そして常に心がけることは、『ありがとう』『お疲れ様』『おはよう』『こんにちは』と、感謝といたわりのことばです。人と人の心を繋ぐ大切な修行です。やります!
2019・12・24、祈りと運命
[無邪気は祈りに勝る祈り]
『祈りとは神殿の前で合掌する』だけではなく、日常生活の中で、夫や妻、子のことを思い続けるのも祈りの姿です。
『神様と人間との間からは不平は出ません』『不平は夫婦親子、人間同士の間からうまれます』
ほんとうの祈りは、この家族間の問題を祈りから見ればどうでしょうか。
子供を見ていると、実に天真爛漫(てんしんらんまん)です。
《今鳴いたカラスがもう笑う》のように切り替え、その上さらに切り替えるのです。それも自然そのままに。
『子どもは、邪気を使ういとま』がありません。『邪気は人間によって作られた』ものです。『無邪気は天地の計らい』です。物事にこだわるな。囚われない人になることを求めているのが天地の願いです。やります!
2019・12・23、心と運命
[解けよ解け、]
長い人生の中、手に余るのは感情の処理です。これに泣かされている人は、多いものです。
悲喜こもごもの人生も、感情豊かな人間なればこそ。自分を苦しめる『悪感情の処理こそ肝心』です。
『解けよ解けよ、解いて結んで人生を楽しめ]
と続きます。『事情を解きなさい』と、『その感情も処理せよ』のふたつの意味が込められています。
複雑な事情があって、うまくいかないような場合があるとすれば、『事情の解決と共に、感情のシコリも取り去るように努めよ』といわれています。
つまり、[事情に絡んだ感情〕を処理しない限り、いつまでもその苦しみはおわりがないのです。
捨てます。そして、やります。!
2019・12・22、人格と運命
[人に優しく、人生はこれに尽きる]
『人に優しくの言葉』には前提があります。頭はひくく、腰もひくく、言葉もていちょうです。
『優しさとは』まずもって家族に注がれてこそ。
その喜びや楽しさからの『笑顔』が、周囲の人々に影響を呼ぶものです。それを『幸せ』といいます。
『人生』は、ことばと、態度の暖かさと、思いやりこそ幸せのもと。
これに尽きるようです。努力しましょう。やります!