令和2年10月10日
[成功は師なり 失敗も師なり 文字は師なり 天地自然は師なり]
私達の歩む道と、世間一般の道とどこが違うか?
限られた対象を救うことではなくて、すべての人が救われる道の探求に、全身全霊をささげられたのが御神尊様です。
けさの真意は、スペースが短かいだけに誤解されそうです。その誤解をあえて恐れずに、少しとりついてみたいと思います。
御神尊様はこれまでをふりかえり、『修行の過程で成功の場合もあり、失敗の場合もあった』といわれます。
成功はそれが臨床例となり『失敗のときはなぜなのか?』『その欠陥を修正し、反省と改善』をしたもの。このようにして『成功を師とし失敗もまた師』として、修行を重ねたといわれます。
『生きた人間の師』がいなかっただけに『自分の足跡を師』としたわけです。
その間の模索、手探りが20歳から40歳までの修行になりました。
あらゆる宗教書、経典の研究、そして自らの体を通じて臨床体験を積み、やがて『行間の文字、字間の文字、無字の字をも読み取る』努力によって『姿なき師に教え導かれて、天地の真理に到達する』ことができたのです。
小学6年時代の成績表には『卒業の見込みこれなく候』と書かれていたのは有名なこと。
それが、人間なんらかの、目的を持ちやる気で『やれば必ずできる』『為せば成る』『天地自然のはたらきこそ師と仰ぐこと』で道はひらけたのです。やります。!