元年、5・17、愛と情の実践生活
[愛と情は別である。情は見えないもの、愛は見ゆるもの]
御神尊様のことばの分析は、独特のものがあり、しばしば感動させれてきました。今朝もそうですね。忘れられないことばです。
さらに、[情は人間本来の持ち物][誰もにあるもの]といわれ、[愛は]その誰もが内蔵している[情の発露が愛の行為]である、といわれます。
今朝は、別の視点から語ります。私も高齢者になり、とかくいつまで運転するか、免許証は返納するのか。悲惨な事故が起こるたびに、夫婦、親子の話題になっています。
昨夜も、高齢者の心がテレビにでていました。60代までは、自分の運転に、慎重なのに、70〜80代は急に、まだ若いと妙な自信を持つという、データが紹介されました。
私もやがて返納する時を前提にして、次のような考えで、しばしの安全運転をしています。
❶夕方の薄暮のライトは、早めにつける。なぜなら、ライトは、前方の確認とともに、歩行者に車の存在を知らせるため。
❷夜は、運転しないようにしています。歩行者が確認できないときがあるからです。
❸走行中は、交差点に入る時、スピードを落とし、青でも左右を確認して、油断をしないこと。
❹ひとりで運転はしない、家内と四つの目で、助けてもらうこと。
❺横断歩道に人がいる場合は、必ず止まり歩行者を優先すること。
人を慈しむ情は、誰にでもあるといわれます、しかし、愛はその情をいかに、日常生活に表現するかです。それぞれに年齢に応じて、表現方法はありましょう。私の日常生活の一端を占める運転にも、愛を表現することは、お互いのいのちを守る祈りの実践でしょう。