令和3年9月6日人生の処方箋
[意味のない仕事はつかれる]
目的がはっきりして、誰かの役に立つとわかっていれば疲れを感じるどころか、苦しい中に楽しみがあるものです。
宗教には、様々な修行や修練というものがあります。たとえば、集団で家庭訪問をするとか。土を耕し、もっこを担いで運び、また持ち帰るというのもあります。線香一本燃え尽きるまで祈るもあります。一時期、花を繁華街で若者に売らせとか。空中浮上という修行もありました。
では、なぜこのようなことを真剣にするのでしょうか?それぞれ道は違うけど、立てている旗は世の中を救い誰かのためになる、なりたいがあるからでしょう。
でも手段方法が間違えば、社会の指弾を浴びて法の裁きを受けることになります。意味のない死事より、志事でしょう。やります!
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