信仰にお陰はつきもの。
お陰の生まれるきっかけは、「幼児におちょうだいをしてごらん」といって、素直に手を出すところと、表現されることがあります。
しかし、人間の心は変わりやすいもの、
「元の木阿弥」とは、よく言ったものです。
道に初めて触れた、感動は消え、「おかげがない」と、とんでもないことを、言われるかたがいます。
おかげは、神様からの下されもの。「私は、貴方をみています。」と、実在のあかしが、〈まず、おかげ〉です。
私たちは、示された道を、みずからの、努力で〈おかげ〉を生み出すのです。
まずは、日常生活の明朗化すること、自分の手の届くところですから、
私たち夫婦は、気付いたときは、「ありがとう」「おはよう」「おやすみなさい」「行ってきます」「ただいま」と、大きな声がけが、習慣です。
これが、生活の明朗化、
おかげがないと言われるのは、不明朗だからです。
明朗化こそ、私と家族の幸せ、変わることが、〈新陳代謝〉です。やってください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます