もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

北方領土の日

2021-02-07 04:16:15 | 短歌

悲願なる北方領土の父祖の墓お参り出来る日々を夢見て

 

日本政府が1981(昭和56)年に制定。

1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。

北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ある。

江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定された。その後、1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となった。

第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。

しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いている。

    

北海道人にとっての北方領土とは重いものがあります。

納沙布岬から見る貝殻島は本当に目と鼻の先のようです。

根室近辺には北方四島が戦争で失われてから移り住んでいる方も多く、でもみんな高齢になり「返せ北方領土」が悲願です。

今でも北方領土返還のための署名活動は続いております。

イベントをかかえる市や町には必ず北方領土返還のブースがあります。

札幌の雪まつりで見た方もいると思いますが、見かけたら署名に是非参加して下さいね。

亡父はカムチャッカ半島から二つ手前の「幌筵島(ホロムシロトウ)」に戦争で4年も行ってました。

千島列島には思い入れがあります。