大鉄球打ちつけ壊す時のあり見る者すべてに後遺症残し
1972年(昭和47年)2月19日、連合赤軍のメンバー5人が、管理人の妻(当時31歳)を人質にあさま山荘にに立てこもった。
山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警機動隊が人質救出作戦を行うが難航し、死者3名(うち機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(うち機動隊員26名、報道関係者1名)を出した。
10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕された。
人質は219時間(約9日)監禁されており、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録である。
酷寒の環境における警察と犯人との攻防、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊など衝撃的な経過がテレビで生中継され、注目を集めた。
2月28日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、18時26分には民放、NHKを合わせて視聴率89.7%に達した。
同日のNHKの報道特別番組は、平均50.8%の視聴率を記録した。
これは事件から49年以上が経過した現在でも、報道特別番組の視聴率日本記録である。
私も夫の兄弟たちとテレビにかじりついて見ていました。衝撃的な事件でした。
こういう衝撃的な事件は誰にも負の気持ちだけ与えていて、嫌なものですね。