昨日の夜。支部の来年度の行事計画を決めるために、常任役員会を開いた。
これまで、会議について、ただただ言われることを「まぁこれくらいならば良いじゃない」というように考えて、対応していた。
しかし、支部長という役になり、支部内の先生方から色々な意見を聞き、それをまとめるという事になると、そういう訳にはいかない。
うちの支部では、例年ならば、5月に総会を行い、行事報告と決算の承認を得る。しかし、今年は5月に緊急事態宣言が出されて行えなかった。
先月11月の例会で、中止となった行事も多々あり、教区などへの納付金も減額となったりと、様々な事があったため、昨年度と今年度の行事についての説明と補正予算を作成して、支部費の減額などの承認を得た。
その時に、様々な意見が出て、それを元にしての会議でもあった。
この議事を進める上に、一日かけて資料を作成して、相談をした。
この会議は、あくまでも、行事を確定させるまでの、草案や方針を決める会議として開催した。
会議を通して、会議とは、皆さんの意見や思いが交わされて、その思いをそれぞれが理解して、お互いの中にある物が変化し、一つの結論を導き出していく、これが会議だと思った。
自分の思い通りにするための会議、これではいつまでたっても良いものになるはずはない。これでは、戦争とかわらないと思った。
「おさしづ」でよく「談じ、談じ」という言葉が出てくる。「談じあい」という言葉もよく使われる。
世間では「議論」という言葉を耳にする。さらには「論争」という言葉もある。
「談じあい」と「議論」翻訳すると同じようになるかもしれないが、日本語では、ニュアンスが違うと思っている。
「談じあい」はお互いを認めて、お互いを高めるようなイメージを、私は感じている。
良い話し合いが出来るといいなぁ。そういう関係が構築されればいいなぁ。と思う。
そうそう。「おさしづ」に会議の意見をまとめる上に、半々でなかなかまとまらない場合もある。そうした時の納め方なども書かれてあったと思う。
どうか、親神様・教祖、大難は小難にとお守りください。