あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

大教会の月次祭。。東京オリンピック・旧友から。。。

2021年07月24日 06時55分27秒 | 思った事

昨日、無事に大教会の月次祭を終える事が出来ました。

祭典準備の時間に間に合うように教会を出て、準備からさせて頂いた。

体調は、締め切った部屋に入ると体がかゆくなる。

だから、窓を開けて、風を通して過ごした。

以前にも書いたが、このコロナ禍でも、直属教会の会長夫妻は、強制されるわけではないが、一人もかけることなく準備からつとめている。

本人の身上や事情はあるが、コロナだからとして、来ない人はいないのである。

これがとても不思議に思えて仕方がない。(^^)

 

さて、

東京オリンピックの開会式が行われて、20時からNHKで様子が放映された。

その開会式のプラカードを持つ役に、同級生の奥さんが出られた。

前日に、グループラインで突然その情報が入った。

それもこの同級生、とても苦労の中を通った人だが、長い間連絡はなかった。

グループライン上で、みんなその奥さんを応援した。(^^)

テレビでは一瞬なので、あれか?と思いながら見ていたが、

テレビ画面を画像で上げてくれる者がいて、確認できた。

長い間、連絡はしていなくても、それぞれが心掛けて、気遣って、とても楽しいひと時だった。

 

みんなそれぞれに癖性分がある。その癖性分をも乗り越えて、和していける。

ここが何よりも大切な事だと思う。

そのためには、必要な事、注意すべきことなど様々な事がある。

学生の頃には、何度彼とぶつかったことか。お互いの性分が許せずに。。(^^)

 

ともかく、テロなどが起きずに、無事に開会式が出来て良かった。

これも無観客だから出来た事だと思った。

会場の外でライブ配信していた動画を見ると、デモをしている人々もあった。

それぞれの主義主張がぶつかり合っている。ぶつかる事が悪いわけではない。

ウソをついて、追従で、更には脅迫でと、誠真実ではない主義主張は、親神様には許されない。

これまでは「みゆるしてきた」というものも、表に出て償いをする事になるだろう。

また、今日のニュースを見ると不自然な事ばかりが起きていたようである。

 

陽気ぐらし世界はまだまだである。

 

その陽気ぐらし実現に向けて、それぞれのいんねんに応じた役割があると思う。

世界中では、地震から大雨から、ダム決壊などと、ワクチンどころではなくなっているところもある。

これらをどのように見るかもそれぞれである。

これからも、様々な情報を追いかけて、陽気ぐらしへ成人するための記録を作っていきたいと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は大教会の月次祭準備だったが。。。

2021年07月22日 22時52分20秒 | 思った事

今日は、大教会の月次祭の準備の日。

午前中から出かけて、準備と会議を行った。

それ以外に、私の用事も済ませた。

ところが、大教会について少し経つと、頭がかゆくなり、顔もかゆくなる。

普段なら泊まるのだが、余りにもひどいため、夕づとめをして、教会へ戻った。

教会に帰って、すぐさま風呂に入り、以前かゆくなった時と同じように、マキロンを振りかけたら少し治まった。

教会に帰って来たお陰で、「復元」グループとnotへの投稿が出来た。

 

このブログには、書きたいことがあって、書きかけの文章がいくつかあるのだが、公開するまでには至っていない。

また機会があれば、手直しをして公開したいと思う。

 

では、明日の月次祭に備えて、おやすみなさい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内も世界もへだてなきよう。。。。『正文遺韻抄』

2021年07月21日 06時50分02秒 | 正文遺韻抄

資料として、書換えておく。
「内も世界もへだてなきよう」  『正文遺韻抄』231頁

 この道は、信心している者も、また、していない者も、みな同じように思って、みな隔てないようにという。
それ、どんな者でも、仇に思わないように。
この心を台として、信心しない者には、理を聞かせて、信心させるように運ばなければ、「内も世界も隔てなきよう」とは言えないだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医者も薬も神の教え。。。正文遺韻抄

2021年07月21日 06時26分59秒 | 正文遺韻抄

資料として、書換えておく。
「医者も薬も神の教え」  『正文遺韻抄』232頁

 医者、薬、拝み、祈祷も、易、判断も、皆、これまで人間の修理のために、神が教えておいたという。
けれども、これは一時的な理で、神の教えておかれた守護で、その場その場は助かったであろう。
しかしこれでは、心を直すことは出来ないため、また、元に戻るか、そのまま治ったとしても、またいつか理が現れて、身上に迫る。

 例えるならば、飯の上のハエを、追い払うのも同じことである。
一時はいなくなるけれども、追わなければ、また寄ってくる。
そこで、この飯を、他のところへ動かしてしまえば、ハエを追わなくても、ハエは来ないようなものである。
この度は、神が表へ現れて、何かいさいを説いて聞かすという。

 それ、聞かして頂いた話の理によって、心を今までと切り替えて、今までの心は、ハエが付く飯のようなものなので、これを他へどかしてしまって、切り替えた良い心を、また、元の心に変えないようにすれば、それ、医者や薬、拝み祈祷、易判断、全てこれはいらない。

 

以上。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

部内の月次祭で嬉しかった事。。

2021年07月19日 21時38分23秒 | 思った事

昨日は部内の月次祭でした。

いつも通りに全員マスクをして、おつとめを勤めました。

直会は無しで部内の奥さんが作ってくださったお弁当を持ち帰ります。

うちの教会と違って、この教会では身上の方が数人おられて、毎月おつとめを終えた後に、元気な者(私と部内教会の後継者など)がおさづけを取り次がせて頂いています。

 

表題に書いた嬉しかったこととは、

うちの奥さんが、初めて、御守護を頂いた話を皆さんの前で話してくれ、それによって、おさづけの取次ぎがより一層ありがたく感じられて、皆でつとめる事が出来た事です。

その話しは、私たちが結婚して、熱田分教会に来たばかりの時の話でした。

私が椎間板ヘルニアで、突然の激痛でうちの奥さんにおさづけを願って、不思議と一晩で痛みが無くなった話です。

その話は、私の方から何度も皆さんにも話し、このブログにも書いています。

しかし、おさづけを取り次いだ奥さんからの視点は違ったものでした。

まったく、天理教を知らないものが、それも若い時におさづけはもらっていたものの、全く信仰など意識した事がない、至らぬ者が、取り次いだおさづけで、不思議を見せて頂いた。という話しでした。

そしてまた、二人の子供の喘息で、両脇に抱えているためにおさづけは取り次げないが、南無天理王命と唱えながら、両脇に抱えながら背中をさするだけで大人しくなった不思議なお働きの話でした。

この話は、私も初めて聞きましたが、この話以上に、私が嬉しかったのは、うちの奥さんがしっかりと話をしてくれたことなのです。

私たち夫婦は、全く天理教の教会に入るつもりはなく、サラリーマンをするつもりで結婚をしました。

しかし、私の親の言うままに、この教会に入る事になったのです。

私は、親のいう事だからと思っていましたが、妻にすれば、納得のいかない事ばかりでした。

ましてや、教えも全く聞く事もなく、人助けなど思いもよらない事でした。

そんな二人ですので、普通の教会の様にはいきません。

教えてくれる前会長さんもありません。

ただただ、信者さんの言われるままに、「では、そうしましょうか」と歩んできました。

大教会から言われることも、伝えはしますが、すべて信者さん方の思われるようにして頂きて来ました。

ですから、すべては伏せ込みだと思って、青年のつもりでどんな事もして来ました。

そうした中、私の身上の度に、うちの奥さんに私がやって来た事を一つずつ手渡して聞きました。

代表的なものは、女鳴物の調弦です。

教会に入った数年間。大教会の婦人会の先生に来てもらって女鳴物の練習を月に1度行う事にしました。

誰も来なくても、うちの奥さんの練習のためにと始めました。

ところが、開始の時までに調弦が出来ていなければ、すぐに練習が出来ません。

うちの奥さんはやったことがないので、全く無関心でした。

そこで、私がピアニカを片手に覚えました。 数カ月かかりましたが、出来るようになり、それからは、月次祭の女鳴物の調弦は、部内も含めてすべて私がしました。

しかし、私が首の手術をした時に、丁度奥さんは大教会の婦人会で調弦の機械が使えるようになってきていましたので、私の代わりに奥さんが調弦をするようにとしました。

そして、3年ほど前、私が車から飛び降りて、脳震盪と鎖骨骨折、肺気胸の身上になった時に、私がいついなくなっても良いようにと思って、奥さんに、私が話をする前に婦人会としての話をするようにと言い渡しました。

うちでは、奥さんが婦人会の話をして、私が話をしますが、部内では、部内の後継者が話をして、うちの奥さんが婦人会の話をして、私が最後話をします。

そして、今月のうちの月次祭の時に、奥さんが「婦人会では、自分のたすかった話や神様の御い守護の話を皆さんにしましょう。 と言われています。」と話をしたのです。

その話を聞いた私が、あとから奥さんに「それならば、あなたの御守護頂いた話をまずして下さい」と言っておいたのです。

その時には心良い返事はありませんでした。

ところが、先ほどの部内の月次祭での話となったのです。

夫婦ですので、なかなか相手のいう事を素直に聞いて実行する事は出来ないものです。

しかし、今回話をしてくれたのです。

私はいつも信者さんに、自分の見せて頂いた不思議な話をしていますが、奥さんはなかなか無いのです。

また、話しをして下さいと言っても、「私なんて」と言って話そうとしないのです。

それが、今回してくれました。 ほんとうに良かったと思いました。

 

また、今回の部内での私の話は、ここで書いた逸話編「本当のたすかり」について話をしました。

様々な身上事情がありますが、すべては、心を切り替えるためのお知らせである事。

そのためのおたすけであり、おさづけ、おつとめであると話をしました。

来て下さる信者さん方は高齢であります。

高齢で体は動かなくなってきますが、心は動くのです。

心の切り替え、心の気づき、これが大切だと、会長になって28年経ちましたが、ようやく素直に話すことが出来るようになったと、これまた喜ばせてもらいました。

これからもどうなる事か分かりませんが、親神様にもたれて、「急いて急かぬ道」を心に歩みたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この時は、情報をそのまま信用して、本当にバカでした。。。これから先の事。

2021年07月17日 20時24分06秒 | 思った事
 
go toキャンペーンって? 

今朝テレビで、「政府がGO TO キャンペーンを東京都除外で行う」と発表し、各関係者があたふたしているとのニュースを見た。今、また、新型コロナが、ほぼ東京のみだったのが、日本中......
 

一年前を振り返るという事で、メールが来た。

この時は、本当に政府のいう事や、マスメディアのいう事をそのまま信じていました。

この時にはすでに、トランプ大統領は、治療薬を推薦していたのです。

そして、治療薬を試した病院もあり、二つともニュースに出ていたのです。

これは、後日、アメリカ大統領選挙の時に、情報の不信さを知って、ユーチューブで情報を集めていた時に知りました。

それなのに、医学会や議会は、治療薬を進めずに、ワクチンへ走ったのでした。

大統領選挙の時には、ワクチンの事までは分かりませんでしたが、子供を誘拐拉致する団体があり、それを助ける団体がある事を知りました。

闇で人身売買、そして子供から薬を作っており、それを撲滅させるために、トランプ大統領も苦心をしていたと知りました。

これらについて確信を持ったのは、ユーチューブがこうした子供たちの情報を次々と削除していたからです。

 

けれども、子供たちの安全を確保するために、公には出来ない。と

トランプ大統領から、公に一切そうした言葉が出てこないところから、そのように感じました。

 

その時、光と闇の戦い。善と悪との戦いとよく言われますが、中国共産党、共産主義との戦いだけではなく、様々な戦いが行われていると私は思いました。

そして、誰がどの勢力なのか分からない。

それが現状だと、アメリカ大統領選挙で、トランプ大統領が議員の中から徐々に、そうした人があぶりだされる様を見て、これまた思いました。

 

それから、余計に親神様の御守護を願い、「元の理」に手を付けました。

世界の事を知り、ものの見方が変わったことから、これまで聞いていた教えの見方も変り、新しい発見が次々と出て来ました。

すべては親神様の懐住まいで、今起こっている事も、それぞれが成人するためものと思えるようになりました。

 

親神様のお望みは、心助けです。魂の成人です。

すべてはそのための、事柄であり、そのための教えなのです。

以前、

この事を、敷島大教会を目覚めさせ、倍化運動の元となった、増野道興先生の伝記を読んで思いました。

「神様の教えが届いていない」と感じて、「人々には教祖が説かれた教理が必要だ」とそれを説くために身を粉にして巡教に歩かれたのでした。

それによって、敷島の信者、教会数が倍以上になったのでした。そして全教的な倍化運動が起こりました。

けれども、

その後の道の歩みを見た時、その倍化という事だけが、独り歩きして「教祖の教えを説き、人間の成人を目指す」ことはなくなり、ただ単に教会数を増やすばかりになったようであります。

 

さて、先回「本当のたすかり」について書きましたが、その次の逸話「清らかな所へ」

清らかな所へ。。。逸話編 148 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

が、とてもこれに重なる気がしています。

それについて話をしたいと思います。

 

ここでの教祖のお言葉、

「前生のさんげもせず、泥水の中より清らかな所へ引き出した者を、又、泥水の中へ引き入れようとするから、神が切り払うた。」

このお言葉は、

「明誠社へ深谷源次郎先生を戻したら、明誠社が良くなる、信者が増える」と思った、講元の出直しに対してのお言葉であります。

この「前生のさんげもせず」とは、亡くなった講元の事であります。

そして、「泥水の中より清らかな所へ引き出した者」とは、深谷源次郎先生の事であります。

それをまた、「泥水の中へ引きいれようとするから」として、明誠社を泥水と言い切っておられます。

 

ここで、同じような講であっても、泥水と清らかなものとがあると分かります。

そして、泥水になる一つの基準は、「前生のさんげが出来ているか」ということと思えます。

つまり、形は同じであっても、そこにいる人々の心。これが問題だという事だと思われるのです。

 

いま世界では、様々な団体があります。お道でもそうであります。

その団体を行っている人々の心ひとつで、泥水にもなり、清らかにもなるということであります。

そして、親神様は、清らかな所を望まれており、人々を泥水から清らかな所へと引き出したいとして、様々な事をされると思われるのです。

 

清らかな所へ引き出してもらうか、そのまま泥水の中にいるか、それはそれぞれであります。

よく、教会がとか、法律がとか言う人がありますが、問題は形ではなく、人の心であるという事です。

 

そして人々の心を成人へと向かわせるのは、増野道興先生が思われた、「教理を説く事、教理を聞く事で」それにより、親神様の不思議なお導きが次々と現れると思えて仕方がないのであります。

今、コロナで困っている人があります。また、ワクチンを打ったがために困っている人もあります。

そうした方があれば、おさづけをさせて頂く。お話を取り次ぎ、おつとめで平癒を願う。

これがこれから、どんどん増えてくると私は思うのです。

その為にも、今のうちに、しっかりと教えを身につけておく事。これが大切ではないかと思うのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当の助かりについて。。。

2021年07月16日 07時58分59秒 | 思った事

先日、人口削減のためにワクチンを使用しているという話しを、議員さんがストレートに講演している動画を共有した。

「ついに出て来たか」と思った。

そして

「これが出て来たから、必死になってデマに注意をと政府が言い出したのか」と思った。

海外での情報、また海外でのワクチンやコロナに関する情報を、追いかけている者にとっては、政府やマスメディアがどれだけ情報を隠蔽して、国民を誘導しようとしているかは常識の話である。

完全に中国共産党の日本版である。

こういうことをしているのが、政府であると決めつけるか、その背後にある共産主義と決めつけるか、はたまたディープステートと呼ばれる権力者の集団と捉えるか。それはそれぞれであると思う。

けれども、情報が隠蔽・改ざんされて、多くの国民に公平に知らされていないのは事実である。

 

そして、先に述べた「人口削減」というシナリオが実行されているという話しを聞いた人々がどのように感じるだろうか。

とそれを心配した。

私は、これまでの政府やそれに付随する組織の対応を見ていて、(ゲサラ・ネサラ・金本位制なども含めて)現実にありうるとも思えてきている。

けれども、このシナリオはとても人々に影響を与えすぎる事だと思うと共に、説明が難しいために書いては来なかった。

 

そうした中に、親神様は何を我々に教えようとしているのかと常に考えていた。

うちの月次祭12日を終えて、ふと「本当のたすかり」という言葉が思い浮かんだ。

13日の投稿は、本当は「本当のたすかり」について書くつもりだったのだが、共有する情報があまりにも多く、近況だけのブログになった。

昨日、改めて「本当のたすかり」を書く上に、逸話編を探した。

そして、なるほどと思える事が、その後の話にあった。

それで、昨日は資料として、逸話編・3篇を投稿したのであった。

 

「本当のたすかり」とは、結論から言えば、心が建て替わる事である。

そして、

心が建て替わるとは、それまで思っていた価値観が変わるという事。

であり、

その価値観とは、互いに助け合える、「真実誠」の心を使えるようになる事である。

そのために、必要な事は、

この体はそれぞれの心に貸し与えられた「かしもの・かりもの」を台として思案する事であり、

常に自分自身の心・人の心を「八つのほこり」で思案して、修正することである。

この事を、逸話編から思えたのである。

 

まず、逸話編 147「本当のたすかり」を見て見よう。(下のリンクを押せば、別ウィンドウで資料が表示される。※PCの場合)

本当のたすかり。。逸話編 147 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

ここで重要と思うのは、教祖のお言葉

「少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなく、それが本当のたすかりやで。」

であると思われる。

この「前生のいんねんもよく悟れる」この言葉をどう思われるだろうか。

まず、「前生のいんねんを信じる」ためには、「魂は生き通しであり、この体はその魂にかりているもの」を得心していなければ出来ない事、つまり「かしもの・かりもの」得心される必要がある事を理解されるだろうか。

その「かしもの・かりもの」を理解させるための

「明治15年、ふしぎなたすけを頂いて、足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり、年来の足の悩みをすっきり御守護頂いた。」

という不思議な御守護ということである。

ここに書かれている「足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり」このような事は通常あり得ないのである。

それを見せる親神様がおり、その親神様から体をかりているという証拠を見せられたのである。

 

そして、次に

いつまでも忘れなくて」と言われている。この言葉もどのように思われるだろうか。

「いつまでも忘れない」という事は、「人間は忘れる」という事を前提として言われているのである。

「忘れないように」と、わざわざしているという事である。

では、次に

人間は「何を忘れるのだろうか。」という事になるだろう。

これについては、短い言葉なので推測でしか言えないと思うが、考えられることを上げて見る。

1:この不思議な御守護

2:この不思議な御守護を頂くために定めた心

3:この不思議な御守護を頂くときに聞かされた話

4:少し残った不自由な体に対して教祖に申し上げて、この時に話された話。

などが考えられる。

このように考えれば、もっと細かい事も思いつくと思うが、

ともかく、忘れない事が大切な事であり、それを親神様は望んでおられるという事である。

 

さて、このような事を言われた後に、教祖は

真実救かる理が大事やで。息をかける代わりに、この本を貸してやろ。これを写してもろて、たえず読むのやで。」

と言われている。

ここでハッキリと、「身上がすっきりと助かる」ということよりも「真実救かる理」が大切だと言われている。

そして、そのために必要なことを次に、

この本を貸してやろ」「たえず読むのや」と示されている。

この本というのは、

おふでさき17号全冊をお貸し下された。

と示されている。それを「いつも読みなさい」と言われたのである。

そして、これを実行されているのである。

本当のたすかりのためには、「おふでさき」は必須アイテムと言える。

 

さて、

昨日書いたブログの最後に「おふでさき」について書いた。

あの時は何気なく、その言葉が出て来て書いたのだが、この逸話編を見てびっくりした。

この「本当のたすかり」は記憶にあったが、この中の「おふでさき」の部分は記憶になかったのである。

 

だから、余計にしっかりと資料を提示して書かせてもらおうと思ったのである。

 

昨日、資料として投稿した他のもの、

清らかな所へ。。。逸話編 148 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

ふしから芽が切る。。。逸話編 141 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)

についてはまた後日話をしたいと思う。

 

ただ、今回のこの「本当のたすかり」という話しを、なぜ今したのかというと、

「おふでさき」も17号の最後

このはなしあいづたてやいてたならば
なにゝついてもみなこのとふり (17-74)

これをはな一れつ心しやんたのむで (17-75)

と結ばれている。

「このはなしあいづたてやいてたならば」これは

「この話、合図立てあい出たならば」となり、

この「おふでさき」に書かれている事は、「合図があって物事が立てあう(重なって現れてきた)ならば」と解する事が出来ると思う。

その時には、

「なにゝついてもみなこのとふり」これは

「何についても、皆この通り」となり、「どんなことでも、すべてはこの話で示した通りになる」と言われていると思える。

そして、最後に

これをはな一れつ心しやんたのむで 」は「これを、一れつの者は思案を頼むで」となり「この事を、世界中の人々はしっかりと思案をして欲しい。それを親神から頼む。」と言われていると思える。

「予言の書」と前回書いたが、この「合図立てあい、出たならば、何についても、みなこの通りになる」という言葉からすれば、「合図をしっかり見極めれば。それによって、先の事が書かれてあるので、それを知る事が出来る。」とも解釈できると思って、書いたのである。

 

先の逸話でもそうだが、その時だけの物語にしてしまっては、とてももったいない事だと思うのである。

今現れてきている事、それぞれの身近に起きてきている事に照らし合わせて、思案する事。

それがこれから大切になるのではないかと思う。

 

最後に、コロナやワクチンなど様々な事が言われている。正直何が正解かは、身近に起こってみないと分からないのである。

けれども、起こる前から教えられる情報から考えて行動する事、これは人間の特権なのである。

他の動物では出来ない事なのである。

人間は知恵の御守護を頂いているからこそできることである。

この知恵をどのように使うか、これもそれぞれの心次第。

また、どのような知恵を授けて下さるか、どのような思案を浮かばせてもらえるかも、それぞれの心次第である。

 

そして、どんな身上になっても、この逸話のように、心次第でどんな御守護も頂けるのある。

 

ともかく、「本当のたすかり」を目指して、頑張っていきましょう。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふしから芽が切る。。。逸話編 141

2021年07月15日 18時40分08秒 | 逸話編

141

【ふしから芽が切る】

 明治17年3月上旬、明誠社を退社した深谷源次郎は、宇野善助と共に、斯道会講結びのお許しを頂くために、おぢばへ帰った。夕刻に京都を出発、奈良へ着いたのは午前2時頃。未明お屋敷へ到着、山本利三郎の取扱いで、教祖にお目通りしてお許しを願った。すると、

 「さあさあ尋ね出る、尋ね出る。さあさあよく聞き分けにゃならん。さあさあこのぢばとても、48年がこの間、膿んだり潰れたり、膿んだりという事は。潰れたりという事は。又、潰しに来る。又、ふしあって芽、ふしから芽が切る。この理を、よう聞き分けてくれ。だんだんだんだん これまで苦労艱難してきた道や。よう聞き分けよ、という。」

とのお言葉であった。未だ、はっきりしたお許しとは言えない。そこで、深谷と宇野は、「我々五名の者は、どうなりましても、あくまで神様のお伴を致しますから、」と申し上げて、重ねてお許しを願った。すると、

 「さあさあさあ 真実受け取った、受け取った。斯道会の種は、さあさあ 今日よりさあさあ 埋んだ。さあさあ これからどれだけ大きなるとも分からん。さあさあ 講社の者にも一度聞かしてやるがよい。それで聞かねば、神が見ている。放うとけ、という。」

と、お許し下され、深谷、宇野、沢田、安良、中西、以上五名の真実は、親神様にお受け取り頂いたのである。

 

・・・・・・・

斯道会(しどうかい)

このことについては、「天理教事典」深谷源次郎をの項を張り付けておく。

以上。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清らかな所へ。。。逸話編 148

2021年07月15日 18時27分20秒 | 逸話編

148

【清らかな所へ】

 斯道会が発足して、明誠社へ入っていた人々も、次々と退社して、斯道会へ入る人が続出して来たので、明誠社では、深谷源次郎さえ引き戻せば、後の者はついて来ると考えて、人を派して説得しようとした。が、その者が、これから出掛けようとして、二階から下りようとしてぶっ倒れ、七転八倒の苦しみをはじめた。直ちに、医者を呼んで診断してもらうと、コレラという診立てであった。そこで、早速医院へ運んだが、行き着く前に出直してしもうた。それで、講中の藤田某が、おぢばへ帰って、教祖に伺うと、

 「前生のさんげもせず、泥水の中より清らかな所へ引き出した者を、又、泥水の中へ引き入れようとするから、神が切り払うた。」

と、お言葉があった。

p247

・・・・・・

斯道会(しどうかい)・明誠社(めいせいしゃ)

天理教事典には、この項目での説明はなかったが、「深谷源次郎」に書かれていたので、それを記載して理解の一助として置く。

深谷源次郎は、明治14年に入信をしているが、その2か月後に、奥六兵衛を講元として「天倫社明誠組」(明誠社)が作られる。その会計として源次郎はつとめていた。その中に不思議なお助けを頂き、心を定めて白熱的なお助け活動を始めて、信者が増えて行った。

ところが「明誠社」の講元が信仰を踏み外すようになり、何度かいさめたが、声は届かず、源次郎は「明誠社」を脱退して「斯道会」を結成して講元となった。

この逸話編は、その時の話である。

また、逸話編141 『ふしから芽が切る』は、「斯道会」結成する時の話である。

・・・・・・・

「天理教事典」を以下に張り付けておく。

以上。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当のたすかり。。逸話編 147

2021年07月15日 16時56分54秒 | 逸話編

147

【本当のたすかり】

 大和国倉橋村の山本与平妻いさ(註、当時四十才)は、明治15年、ふしぎなたすけを頂いて、足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり、年来の足の悩みをすっきり御守護頂いた。

 が、そのあと手が少しふるえて、なかなかよくならない。少しのことではあったが、当人はこれを苦にしていた。それで、明治17年夏、おぢばへ帰り、教祖にお目にかかって、そのふるえる手を出して、「お息をかけて頂きとうございます。」と、願った。すると、教祖は、

 「息をかけるは、いと易い事やが、あんたは、足を救けて頂いたのやから、手の少しふるえるぐらいは、何も差し支えはしない。すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。人、皆、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事やで。息をかける代わりに、この本を貸してやろ。これを写してもろて、たえず読むのやで。」

と、お諭し下されて、おふでさき17号全冊をお貸し下された。この時以来、手のふるえは、一寸も苦にならないようになった。そして生家の父に写してもらったおふでさきを、生涯、いつも読ませて頂いていた。そして、誰を見ても、熱心ににをいをかけさせて頂き、89才まで長生きさせて頂いた。

p245

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする