あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

昨日はいつもと違った。動けて嬉しかった。。今日は。。。「おふでさき」は記録の書であり、今も先を示している。

2021年07月14日 10時50分47秒 | 思った事

月次祭も無事に終わって、昨日お下がりも配らせて頂いた。

普通ならば、昨日は私がダウンして、奥さんがお下がりを配りに行ってくれる。

ところが、それが反対だった。

朝、奥さんから、「今日は調子が悪いから、一人で行ってくれる?」と言われた。

何も考えずに「うん」と私は返事をして、用事をしていると、電話が鳴った。

奥さんが出ると、部内の奥さんから「お下がりを届けてもらうのは、午前中がありがたい」との事だった。

いつもは、午後から出かけるのだが、そういう事で、私はこれまた、何も考えずに「うん」と答えた。

いつもは会計をするのだが、昨日は私の誕生日で、多くの方からフェイスブックやラインでお祝いのメッセージを頂き、

その返信をどうしようかと、文書を作っていたのだった。

少したって、奥さんから「早く行かないとお昼過ぎになるよ」と催促される。

そこで、簡単なお礼だけを書くだけにして、「そうだな」とこれまた何も考えずに準備を始めて、教会を出る。

そしてその方面の家へお下がりを届けて、一度教会に戻る。

やり残した会計を済ませて、改めて大教会へ「月次祭の御礼」とそちら方面へのお下がり配りへ出かける。

夕方教会に戻り、奥さんに「大丈夫か?」と尋ねると「大丈夫。あの時はふらついて仕方がなかった。」との返事だった。

私たちは、同じ年である。

私自身は首の手術をしてから、ほとんどお下がり配りには出かけなくなって、奥さんひとりの事が多くなっていた。

それが、何ともなく名古屋一周を済ませる事が出来た。そして留守が一軒もなかった。

それぞれの家の方の顔を見せて頂けたこと、そして何よりも自分自身の身体が動けた事がとても嬉しかった。

 

そして今日は、朝一番から気になるニュースが目に付き、これは記録すべきと記事とコメントを記録した。

この作業が結構時間がかかる。

けれども、以前「これは絶対にフェイクニュースで、人心を誘導している」と思ったニュースが、コメントの書き込みが激しい事から削除された事があり、こうした事がフェイクニュースの証拠となるのに!と悔しく思ったことがある。

しかし、こうしたコメントを読むと、本当に色々な考えの人がある事が分かる。

国内のニュースで3件もしてしまった。

最後のニュースは、途中で読み込みがされなくなり、「コメントが消されたか!」と慌てた。

以前と全く同じ状況になったのである。

幸い、画面には表示させていたので、その分だけは記録できた。

 

相対的に、コメントを見ていると、人を誹謗中傷するコメントは少なくなり、都合の悪い事を削除する事も少なくなったように思う。(YouTubeはまだまだひどいようである)

ともかく、様々な情報が飛び交っている。

 

以前「予言」として、教祖が戦争が起こる事について「神が心配」といわれた言葉を紹介したが、本当にそうだと思う。

また、「あくじはろうて」とか、ほこりの中に入らないようにと、注意をされている。

しかし、どれだけ先に言っておいても、聞く耳を持たねば、変わらないのである。

それも、「おふでさき」に記録されている。

 

「おふでさき」には先に知らし置く、として様々な事が書かれて、そのようになっているのだが、周囲のものは聞きいれないために、「ざんねん」と言われるのである。

「おふでさき」や「おさしづ」また「ひながた」で、先の事を知らせてくれているのだからと思い、自ら悟ろうとする事が大切かと思う。

親神様は、大難は小難にとしてやりたい。小難は無難にしてやりたい。

これが親心である。

 

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7月 月次祭無事に終えました。

2021年07月13日 10時05分00秒 | 思った事

昨日は、7月の月次祭でした。そして、私の60才の誕生日でありました。

フェイスブックまた、ラインなどで多くの方から誕生日のお祝いのメッセージを頂きました。

そして、ケーキ屋さんに勤めている娘が珍しく早く帰って来て、お祝のケーキを初めて買って来てくれました。

皆さんのお心を本当に嬉しく思いました。皆さま、誠にありがとうございました。

届かぬ者ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

さて、私がこの「熱田分教会」に来たのが、平成5年で、今年で満28年です。

熱田分教会が設立のお許しを戴いたのは、「明治25年6月9日」なので、今年で満129年です。

 

月次祭へ来るのも来ないのも、すべてそれぞれの心次第、親神様のお導き次第として今日まで歩んできました。

(子供たちだけは、学校を休ませてつとめさせました。)

お陰で、子供たちは仕事の都合をつけてつとめてくれています。

 

今では、妻が話をして、その後に私が話をするようになりました。

本当に遅々とした歩みですが、これからも親神様に凭れて歩みたいと思います。

 

これから、お下がりを配りに回ります。

 

 

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用事を終えた後に。。。ふと神殿を撮ってみたら。。。

2021年07月10日 06時59分58秒 | 思った事

昨日9日、教庁での用事を済ませた後、神殿参拝をして名古屋へ帰ろうと、真南棟をくぐった時、正面に見える神殿が気になった。

昨年、新型コロナが蔓延して、初めての緊急事態宣言が出された時、南礼拝場の障子が全て閉まったことを思い出したのである。

そこで、真南通りに思わず車を停めて写真を撮った。

真南通りのきれいな両側の花は、農事部の人たちが管理してくれている。

これが真南棟からおやさと大路まで長く続いている。これを写真に治めたいと思うと、これだけ神殿は遠くなる。

去年と今年は、新型コロナのために「こどもおぢばがえり」が中止となったが、本来今の時期は、この花の外側に、おやさとパレードのために階段状の席が作られて、旗などで飾られているのである。

おやさと大路を越えたところを中心にするとこのようになるのだが、

この場所には、黒門があったのである。

新型コロナが始まる前に、黒門の解体が行われて、現在の状況になった。

おやさとパレードのリハーサルで、飾り付けられたフロートが、この黒門を越す時に、支障がないかと係の人が一生懸命にチェックしていた事を思い出す。

 

神殿の障子を中心に撮影するとこのようになる。

真南通りは南に向かって下っているので、障子と同じ高さで撮影する事が出来る。

さて、昨年神殿に誰も上がれないように障子が閉まった写真を見た時に、「これは大変な事になる」と思った。

そして、戦争状態の感覚になった。

どうしてそのような感じを思ったかというと、この日本は自由の国である。

人の行動や発言も制限されない。また宗教も制限されない。これが通常である。

それが、政治の方針によって、参拝者を神殿に上げないという事になったのである。

つまり、通常ではないという事であり、それが戦争という事に結びついたのである。

その時はただの感覚だけだったが、あれから1年以上たち、様々な情報を調べた時、

現在、世界では中国共産党の「超限戦」という考えが浸透している。

しかし、そうした事は日本のメディアでは全く言われない事を知り、情報が特定の人々によって操作されている事を知った。

 

親神様は、人間を創られた元の神様である。

人間たちが共々に楽しく暮らす姿を見たいと望んで人間とこの世界を作られたのである。

しかし、人間はこの「共々に助け合って」という事を知らない。

親神様が、「陽気ぐらしをさせたい」と望まれても、そんなことは知らないとして、自分本位の考えをする。

ましてや、近頃は「詐欺」が横行している。

反対に、詐欺は人の心や言葉をうまく利用する。

天理教ならば「互いに助け合うのでしょ」として、その言葉を利用する者もあるだろう。

人を信じやすい人ほど、人の事を心配する人ほど、騙されやすいのである。

 

何とか、心良い人々が守られますようにと、撮影後、南礼拝場でおつとめをして名古屋へ向かった。

 

亀山で休憩している時にふと、この新型コロナなどなどでこれから先を不安に思っている人々の事と、神殿の写真が心に浮かんだ。

そしてFacebookに、上の写真と、

「先が分からないと不安に思う方があれば、臨床実験中のワクチンを「安心安全」と言い切る政府に疑問を持たない自分を考えてみる事をお勧めします。」

とメッセージを投稿した。

書いてみて、今振り返ると、

不安に思うのも、それぞれの心である。

臨床実験中、治験中なのに「安心安全」とは絶対にありえない事なのである。

それなのに、そのように言い切る事に、疑問を思わない、その心が問題ではないかいう事である。

 

親神様は、心通りの守護を下さる。

自らの心を点検して、正さなければ、正しい方向へと導かれない。

どれだけ良くなろうと思っても、正しくなければ、正しくはならない。

正しいと思い込んでいても悪ければ、悪い方へ引き寄せられるのである。

 

自分の心を見分ける。そのための材料が私たちの周囲に散りばめられているのである。

不安になってパニックになると、正しい心は使えなくなるのである。

先を不安に思うよりも、今の現状を冷静に思案する事の方が前向きだと思う。

 

「心の守り、身の守り」である。

 

さて、今日も一日頑張りましょう。

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平日の神殿。。。不明な言葉に隠された真実。。。

2021年07月09日 08時10分34秒 | 思った事

只今7月9日、朝、詰所で朝食を頂いて、教庁が始まるまで時間があるので書いている。

昨日、神殿奉仕であったのだが、やはりおぢばはありがたい。

色々と学ばせて頂く事があった。

すこし紹介したい。

結界内に座らせて頂くと、参拝者のようすが良く分かる。

昨日は、平日なので、参拝者がことのほか少なく感じた。

朝5時がおつとめである。

6時頃はほとんど参拝者がなかった。それが、7時を過ぎて8時ごろになると、ボツボツと参拝者が増えてくる。高校生は良く分かるのだが、出勤前の方のように思える。

9時過ぎになると、教養掛のハッピを来た人が増える。修養科生を送り届けた教養掛の先生たちが参拝に来られるのだ。

その後は、静かな参拝場になり、その中真剣におつとめをされる方が、ちらほら見受けられる程度になる。

そして、お昼になると、昼の休憩時間だからだろうか、また参拝者が増える。

最近思うのは、一人での参拝者以外に、男女のカップルでの参拝者も結構見受けられることである。

お昼を少し過ぎると、修養科生の参拝者が増えてくる。詰所へ帰る途中での参拝か、ひのきしんの合間の参拝だろうか。

そして2時ごろから夕方まで、また一般の参拝者がちらほらと見受けられ、5時ごろまた少し参拝者が増えてくる。仕事帰りの方々だろうか。

コロナ前ならば、朝8時ごろと夕方の4時頃に、学校のおつとめがあったが、それは今ない。

そして夕づとめとなる。今は7時半で、一番遅い時間ある。

この朝づとめから夕づとめまで、だいたい7回ほど結界内に座る。

それ以外の間は、本を読んだり、調べ物をしたり、休憩したりして過ごす。

とてもゆったりとした時間が流れる。

 

今回、結界内に座りながら、「いわんいえんの理を聞き分けよ」という言葉が思い浮かんだ。

人間は様々なしがらみの中に生きている。その中で調和を取って進めようとすると、この言葉がとても大切だと思う。

人はそれぞれに心が違う、考え方も違う。それを知った上に、調和を考えて物事をすすめる。これはとても高度で重要な事だと思う。

ところが、これがなかなか分からないのである。

言われた事だけが、本当の事、本心だと思うとそうではないのである。

 

ある先生がこんな話をして下さった。

京都では、人に頼みごとを言われて「そんな至らぬ私が。。。」と答えることがあるが、これはOKという事なのだ。という話しである。

ある奥さんが、人に講師を依頼された。その時に「こんな至らぬ私が。。」と返事をされた。その奥さんは、違う地方から嫁に来られた方で「こんな至らぬ私が。。。」を断りの返事だと受け取り、違う方を探されていたところ、ある方から、「それは違います。講師のための勉強をされてますよ。」と聞き、初めて言葉の使い方の違いを知ったとの事である。

これはその習慣や性格を知らなければ、人の真意は分からないという例であり、誤認してしまう例だと思った。

ちゃんと意思を確認すること。「はい。いいえ。またはどのどちらでもない」と。

「いわんいえんの理」という言葉はとても奥が深いが、人間の生活をするためには、人間の都合の良いように使われてしまう言葉のようにも思った。

 

日本人の結論をはっきり言わない習慣。

多くの人がするならば、自分の考えなしにそれに従うという習慣。

これをしっかりと考えなければならないような気がした。

自分自身を振り返って、これが出来ていなかったとすごく思っている。

「私はこう思う。その理由は。。。」と話したり、「その言葉の意味は?」は「そう思う理由は?」と尋ね返すこと。

ただ、その理由は?と問われた時に、理由が言えない場合がある。それは考えがまとまっていないのである。

そうした時にどうするか。これもとても重要だと思う。

まだまだ勉強が足りない事を感じた神殿奉仕だった。

 

これから、部屋を片付けて、出かける準備をする。

今日も一日頑張りましょう。

親神様、教祖、どうぞよろしくお願いいたします。

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無事に支部例会も終わりました。。。

2021年07月07日 22時30分20秒 | 思った事

3日かけて、12ページに渡る連絡報を今朝作り上げた。

(説明しながら、誤字脱字を見つけて、お詫びをした。)

連絡報の説明以上に、「全教一斉においがけデー」や「天理時報手配り」の事について、支部としてどのようにするか話し合う事が多かった。

連絡報は、テープをほどいてあるので、読めば良く分かるので、簡単に済ませて、協議事項に時間を割いた。

大まかな方向性が決まったので、あとは布教部の先生方で詳細を決めて頂いて、来月発表してもらう事になった。

 

それを終えてから、おぢばへ。

明日は本部の神殿奉仕である。

これは今、詰所で書いている。

 

今日一日無事に終える事が出来た事を御礼申し上げます。

親神様・教祖、ありがとうございました。

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『復元』目次

2021年07月07日 10時49分57秒 | 復元

『復元』全 巻 目 次

(2021年7月7日 あつたかい図書室より転記)

【立教169年現在で48号まで発刊】 
号数
著者
題名
頁数
発行日
備   考
 
 
 
 
 
 
創刊号
中山正善
 
昭和21年4月18日発行
 
上田嘉成
古老聞書
1
 
諸井慶徳
別席教話の古記録
16
 
山沢為次
教弟列伝素材(その1)
32
 
梶本楢治郎
教祖様の思ひ出
40
 
上田嘉成
教理概説稿案
53
 
By Prof.S. Yoshida
"The Trial Translation Of The OFUDESAKI"
89
 
2号
山澤為次
教祖様御伝稿案(1)
1
昭和21年7月26日発行
 
上田嘉成
古老聞書(2)
80
 
吉田清一
おふでさき英文試訳
89
 
3号
山澤為次
教祖様御伝稿案(2)
1
昭和21年9月26日発行
 
上村福太郎
管長奥様御歌集其の1
84
 
飯降尹之助
永尾芳枝祖母口述記
115
 
4号
諸井慶徳
原初天理教に於ける表明文書
1
昭和22年1月26日発行
 
上村福太郎
管長奥様御在学当時の御作品(其の1)
44
 
吉田清一
おふでさき英文試訳(3)
63
 
5号
山澤為次
教祖様御伝稿案(3)
1
昭和22年3月26日発行
 
高野友治
天輪王講社名簿調査報告(上)
28
 
吉田清一
おふでさき英文試訳(4)
74
 
6号
山澤為次
教祖様御伝稿案(4)
1
昭和22年6月26日発行
 
上田嘉成
みかぐらうた注釈稿案
44
 
上田嘉成
陽気勤年表
75
 
橋本清
天理教会由来略記(明治24年稿)
84
 
吉田清一
おふでさき英文試訳(5)
95
 
7号
管長様 ※
辻忠作手記本教祖様御伝について
1
昭和22年7月26日発行
 
上田嘉成
おふでさき年表
55
 
吉田清一
おふでさき英文試訳(6)
74
 
8号
宇田川文海
天理教教祖御略伝(明治33年稿)
1
昭和22年8月26日発行
 
山澤為次
教祖様御伝編纂史(前半)
39
 
上村福太郎
管長奥様御在学当時の御作品(其の2)
88
 
9号
中西牛郎
教祖御伝記(明治35年稿)
1
昭和22年10月26日発行
 
諸井慶徳
教義学概論(1)
41
 
10号
山澤為次
教祖様御伝編纂史(後半)
1
昭和22年11月26日発行
 
山澤為次
教祖様御伝に関する文献一覧表
58
 
上村福太郎
管長奥様御在学当時の御作品(其の3)
79
 
11号
山澤為次
教祖様御伝稿案(5)
1
昭和23年2月10日発行
 
高野友治
天輪王講社名簿調査報告(下)
19
 
桝井孝四郎
お屋敷建物変遷について 自元治元年 至明治21年
48
 
山澤為次
みかぐらうた字句考
56
 
12号
山澤為次
教祖様御伝稿案(6)
1
昭和23年4月18日発行
 
諸井慶徳
教義学概論(2)
45
 
13号
山澤為次
教祖様御伝稿案(7)
1
昭和23年7月26日発行
 
柏原源次郎
教祖様のお話
34
 
上田嘉成
教祖様の世界観
37
 
14号
山澤為次
教祖様御伝稿案(8)
1
昭和23年10月26日発行
 
清水由松
教祖様にお目にかゝった頃
40
 
山澤為次
和歌体”此世始まりの御話”控え対照表
50
 
15号
吉川萬壽雄
神の古記対照考
1
昭和24年4月18日発行
 
小西定吉
教祖様に救けて頂いた話
20
 
大竹芳松
入信の頃
33
 
白藤義治郎
梅谷四郎兵衛先生教話
45
 
16号
諸井政一
正文遺韻補遺
1
昭和24年10月26日発行
 
柏原源次郎
因縁と戦う
31
 
上村福太郎
古老話
39
 
17号
松村吉太郎
教会設置当時の思い出
1
昭和25年7月26日発行
 
柏原源次郎
因縁と戦う(2)
2
 
天理教教典・教典稿案対照表
19
 
18号
梶本宗太郎
教祖様の思い出その他
1
昭和26年1月26日発行
 
柏原源次郎
因縁と戦う(3)
27
 
村上英雄
元初話星象論
39
 
吉田清一
天理教教典英訳(1)
72
 
19号
中山正善
教祖の立場
1
昭和27年4月18日発行
 
深谷忠政
「おさしづ」に於ける「一」について
67
 
上村福太郎
教祖様の奈良監獄御苦労余聞
91
 
20号
上田嘉成
教祖存命の理
1
昭和27年5月26日発行
 
21号
杉本重雄
教祖様のお言葉を頂いての霊救談
1
昭和28年7月16日発行
 
上島かつ
みな側の川 ※
5
※教祖ご在世当時のお屋敷の様子
深谷忠政
「おさしづ」に於ける「矛盾」について
14
 
天理教東京教務支庁年譜表
43
 
22号
中山正善
外冊「おふでさき」の研究1 ※
1
昭和29年2月26日発行
※章立ては次の通り、第1章概説1:外冊の意味。2:種類と所在 附号外のお歌。3:伝譲の由来。4:現在の保存状態
山沢為造
山沢為造略履歴
43
 
梶本宗太郎
教祖様のお話
54
 
上田嘉成
『おふでさき』に於けるにほん・から・てんぢくに就いて
77
 
23号
中山正善
外冊「おふでさき」の研究2 ※
  5:正冊との対照
1
昭和29年8月26日発行
※正冊に赤字で外冊の文字を入れた対照表。
24号
中山正善
外冊「おふでさき」の研究3
  6:正冊との差違
1
昭和29年12月26日発行
 
25号
中山正善
外冊「おふでさき」の研究4
  7:姿態の比較
1
昭和30年1月25日発行
 
26号
中山正善
外冊「おふでさき」の研究5
  8:用字の特徴
  9:各号の特徴
  10:疑冊の研究
1
昭和30年1月26日発行
 
27号
上田嘉成
天理教祖の世界観1
1
昭和30年2月26日発行
 
28号
上田嘉成
天理教祖の世界観2
1
昭和30年3月26日発行
 
29号
教祖伝編纂委員
御教祖伝史実校訂本(上)
1
昭和31年3月8日発行
 
30号
教祖伝編纂委員
御教祖伝史実校訂本(中1)
1
昭和32年9月26日発行
 
31号※
神之最初之由来
1
昭和32年10月26日発行
※天理教教祖伝叢書1
鴻田忠三郎他共編※
最初之由来
11
※清水与之助・諸井國三郎・増野正兵衛
辻忠作
ひながた
19
 
32号
教祖伝編纂委員
御教祖伝史実校訂本(中2)
1
昭和32年11月26日発行
 
33号※
中山新治郎
稿本教祖様御伝 ※原本写真版
1
昭和33年1月26日発行
※天理教教祖伝叢書2
中山新治郎
教祖様御伝 ※原本写真版
105
 
34号※
諸井政一
道すがら外編
1
昭和33年6月26日発行
※天理教教祖伝叢書3
35号※
宇田川文海
天理教教祖御略伝
1
昭和33年11月26日発行
※天理教教祖伝叢書4
36号※
中西牛郎
教祖御伝記
1
昭和34年7月26日発行
※天理教教祖伝叢書5
37号
教祖伝編纂委員
教祖伝史実校訂本(下1)
1
昭和37年4月26日発行
 
38号
上田嘉成
稿本中山眞之亮伝
1
昭和38年12月31日発行
 
上田嘉成
中山眞之亮歌集
 
 
中山正善
中山眞之亮手記書目誌 ※
 
※初代真柱様手記の目録
山澤為次
稿本中山眞之亮伝年譜表
 
 
(39号)
中山真之亮
教祖御履歴不燦然探知記載簿
 
 
 
(40号)
中山正善
おふでさき用字考1
 
 
 
(41号)
中山正善
おふでさき用字考2
 
 
 
(42号)
教義及史料集成部
二代真柱中山正善年譜
 
昭和47年12月
 
43号
二代真柱の思い出 第1集
1
昭和52年4月23日発行
 
44号
二代真柱の思い出 第2集
1
昭和52年5月26日発行
 
45号
二代真柱の思い出 第3集
1
昭和52年6月26日発行
 
(46号)
二代真柱の思い出 第4集
 
 
 
(47号)
 
教祖伝史実校訂本(下1)
 
立教152年
 
48号
教義及史料集成部
二代真柱中山正善年譜 ※
 
立教160年11月14日発行
※「復元42号」の増補改訂版

以上

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7月5日おふでさき

2021年07月06日 22時51分17秒 | 思った事

7月5日 朝 読んだ「おふでさき」です。

3号 77才老女 明治7戌年1月ヨリ 

このたびハもんのうちよりたちものを
はやくいそいでとりはらいせよ (3-1)

すきやかにそふぢしたてた事ならば
なハむねいそぎたのみいるそや (3-2)

しんぢつにそふぢをしたるそのゝちハ
神一ぢよで心いさむる (3-3)

だん/\とせかいの心いさむなら
これがにほんのをさまりとなる (3-4)

いまゝでハなによの事もハかりない
これからみゑるふしぎあいづが (3-5)

こんものにむりにこいとハゆうでなし
つきくるならばいつまでもよし (3-6)

これからハ水にたとゑてはなしする
すむとにごりでさとりとるなり (3-7)

しんぢつに神の心のせきこみわ
しんのはしらをはやくいれたい (3-8)

このはしらはやくいれよとをもへども
にごりの水でところわからん (3-9)

この水をはやくすまするもよふだて
すいのとすなにかけてすませよ (3-10)

このすいのどこにあるやとをもうなよ
むねとくちとがすなとすいのや (3-11)

このはなしすみやかさとりついたなら
そのまゝいれるしんのはしらを (3-12)

はしらさいしいかりいれた事ならば
このよたしかにをさまりがつく (3-13)

このはなしさとりばかりであるほどに
これさとりたらしよこだめしや (3-14)

このよふのにんけんはじめもとの神
たれもしりたるものハあるまい (3-15)

どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ
それがたん/\さかんなるぞや (3-16)

このたびハたすけ一ぢよをしゑるも
これもない事はしめかけるで (3-17)

いまゝでにない事はじめかけるのわ
もとこしらゑた神であるから (3-18)

 

少し前までは、「ざんねん」ばかりのお歌が心に止まっていた。

それが、最近変わって来たように感じている。

このお歌は、お屋敷の掃除が終わって、人々の心を澄まして、柱を入れて、新しい歩みを始めるというお歌である。

親神様の掃除は一通り終わったのかなぁ。。。

なんて思ったりして。。。

 

note のテストを始めている。

今日は画像を張ってみた。

小雨ながらも。。。|きたろう|note

 

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「復元」を研究する。。。

2021年07月05日 19時35分23秒 | 復元

昨日7月4日、横田基地での花火大会の映像を見た。

雨の中での花火大会、普通ならばありえない事である。

アメリカ独立記念日に対してのものとの事。

アメリカもトランプ大統領派と、バイデン支持派と分かれて、情報戦を行っている様子である。

それらについては、私のFacebookの情報から分かると思う。

さて、これを見て、ふと思いついたのは、「復元」である。

そこで、Facebookに『「復元」を研究する』というグループを作った。

「復元」を研究する | Facebook

そこへ逐次、私がスキャンした資料を研究材亮として提示したい。

(グループへの参加希望の方は、直属教会・所属教会・氏名をご連絡ください。)

さて、

「復元」とは、第2次大戦「太平洋戦争」が終わり、宗教の自由が保障されて、教祖のお話をそのままに伝えられるようになった事から、2代真柱様が提唱された言葉である。

以下に「復元」第1巻に書かれた「序」を記す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(『復元』創刊号)

 すべてが元に復る旬が来ました。
新日本、新発足、新建設、新時代、新入等と、あらゆる面に新の字が時代の寵児然と巾を利かす様になりましたが、その新は必ずしも木に竹を継いだ様に現れ来るものとは思はれません。必ず生れ出る旬があり、生れるに至る努力があつて始めて現れるものであります。根のない新生命は決して出現せないものであります。

 革新の数年を経て、戦争の終結と共に復元の時代となりました。すべては一新されて、革新以前の事々を思ひ返す様になりました。一見恰も夏来ると共に不必要となつた冬仕度を、冬と共に、再び恋ひしたふて、探し求める様に、革新以前をあこがれる様にも見えますが、去年の春は決して今年の春ではない如く、復元は決して革新以前に復する事を意味するのではありません。

 蓋し復元と復旧とは決して同じ事を意味せないのであります。以前の姿に復し、又懐旧の情に遊ぶのは決して復元ではありません。あくまでも、元を極め、根源をたづねる所に復元の意義があり復元の活力があると信ずるのであります。
   いかほどにみゑたる事をゆうたとて
      もとをしらねばハかるめハなし 四 

 と教祖様もお教下されてゐますが、元は尋ねてもたづねても、尋ね尽きないものであり、又探ぬれば探ねる程、新しい活力のわくものと信ずるのであります。復元こそ新天地、新文化の母であるとさへ云ひたいのであります。

昭和二十一年新春
     中山正善識

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「復元」に対する思いがつづられています。

諸藩が約75年前で、再販でさえ約52年前で、今から相当昔の話であります。

 

編輯後記(『復元』創刊号)

○今度、真柱様の特別のお力添によりまして、集成部から「復元」を刊行することになりました。その主眼とするところは、教義や史料に関する研究乃至調査の素材を少しづつでも纏めて行かうとするにあります。斯うして纏めて行けば、他日の集大成に役立つだらうといふのが、其の主なる目的であります。
○素材でありますから、中にはまだ/\検討を要すべき点、精査を要すべき点も多々あります。従つて、本誌に発表されたことを以て、一から十までを全部其のまゝ正鵠なものとされるのは、各筆者の甚だ迷惑とするところであります。と申したからとて、無責任なことを書かうといふのではなく、要はお互ひに激励し合ひ叱正し合つて、少しでも啓発されやうといふ真摯な気持からの執筆であることは勿論であります。
○故に本誌の配布についても、如上の主旨をよく理解して読んで頂ける人、また自ら進んで書いて頂ける人といふことに限定いたしました。最初からしかつめらしい規約を拵へるのも如何かと思ひますので、先づ斯うして見当でやつて行くうちには「復元」の同人といふか会員といふか、よい協力者がだん/\出来てくることを念願して止まない次第であります。
○創刊号は主として集成部員の手になる原稿で編輯しましたが、今後は多くの協力者を得て、益々内容の充実を期したい所存であります。どうか、全幅の御支援のほどを切にお願ひ申します。(やまさわ)

一、本誌は集成部の史料集成を第一の目的といたします。史料と申しましても、長持や倉の底に入つてゐるのもあれば、古老の頭の中にだけ残つてゐるのもあります。それは集めなければ散逸するし、筆にせねばそのまゝ消えて了ふ事もあります。之を集めて印刷刊行して置けぱ、まづ大体に於て永遠に残ります。どうか、そのお積りで御保存願ひます。
一、次に本誌は本教の指導者の方を同人として、読んで頂く方は必ず三月や半年に一度は書いて頂いてお互に勉強さして頂かう、教へられたり教へたりさして頂かう、と言ふのが第二の目的であります。この事は、一般の教信徒へのお話の材料集にも成りませう。この趣旨で皆様方の御寄稿を切望いたします。
 では之にて「復元」の健かな発育を祈り乍ら。(うへだ)

再版に際して

 復元の初の頃の巻、特に創刊号に対する再版の希望は、以前から度々ありましたが、この度、その手初めとして先ず創刊号を再版させて頂きます。漢字は、将来の若い人々にとつて読みやすいように、すべて新漢字といたしました。 昭44・9・26 編者誌

 

これからの、心を澄ます材料になりますように。。。

 

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ここ数日間の出来事。。。6月30日から。。

2021年07月03日 16時27分09秒 | 思った事

数日前の6月30日、フェイスブックに「6年前に書いたことについて書いてみませんか」というメッセージが出た。

ちょうど講社祭で、「その方は今どうしているだろうか」と話題に出た方の事だった。

(今調べたところ、この2015年の7月からこのブログを開始している。ちょうどその境目の時の投稿である。)

その時を思い出して、フェイスブックに共有したのだが、このブログにはない事なので、その時の事と30日に思った事を書いておく。

・・・・・・・・・・・

2015年6月27日

《熱中症 注意》その中《大難は小難の不思議な時の御守護》
25日、病院への付き添いで信者さん宅へ。
介護の申請の方法などを聞きたいと思っての付き添い。
その方は85歳の高齢。
いつもは一人で行くそうだが。とてもしんどいようで、本人が奥さんの付き添いを希望したので3人で歩いて行く。
ふらつきながらボチボチ歩いて近くの病院へ。
診察になって、先生から私に「ところでどういう関係ですか?」と問われて「知り合いの天理教のものです。」と応える。
するとすぐさま「私の方から、要介護の申請を出してあるのですがどうなっていますか?」と尋ねられる。
「え?」
私は要介護の申請をするためにはどうしたら良いか、尋ねるために付き添って行ったので、目が点になった。
要介護申請を出すと、本人の状態を見るために介護センターから訪問があるとの事。
奥さんいわく、その訪問を「忙しいからそれどころじゃない」と、断っていたとの事。それなのに「認定証が来ている」との事。そして、奥さんはその訪問を断った理由を何度も繰り返して言うばかり。
初めて会って初めて付き添った人ならば、何が何だかチンプンカンプンで腹がたつ処である。先生もあきれ顔。
お陰さまで、私は先日、その娘さんの転院を手伝い、その事情と奥さんの性格を知っていたので、「ともかく書類を探して、役所へ連絡しましょう」と先生と奥さんに話す。
そして先生がご主人の様態を見て、「点滴をするからその間に書類を探して来て下さい」と支持を下さる。
探すと「認定証」と「連絡をください」という役所の人のメッセージを発見する。介護センターへ連絡をするが担当者が不在。
認定証をお医者さんに見せて、点滴を終えたご主人を車で連れて帰る。
家に入ると室内が蒸し暑い。「クーラーは?」と聞くと「今年はまだつけていない」との事。
「これだ!」と思いすぐさまクーラーをつける。すると間なしに介護センターから電話があり、事情を説明して、担当者と私が付き添って会う日取りを決める。
日取りをきめ終わったところ、ご主人の顔を見るとしっかりした顔になり、口調も落ち着いた。
二人におさづけを取り次がせて頂き、ひと安心して教会へ戻る。
周囲の方の親切な見守りと、親神様教祖の不思議なお導きに感謝をして、布教所の月次祭へ。
無事に月次祭も終えて教会へ戻る。同級生の会議がおぢばで予定されていたが、さすがにそこまで走るだけの体調が良くない。断りのメールを入れて、26日本部月次祭は夫婦で日帰りする事にして、ゴロゴロする。
広島で布教の家で通わせて頂いた、痴呆症の方の事を思い出した。
 
・・・・・・・
と記している。
これを目にして、30日には
 
なんということでしょう。今日布教所の月次祭で、どうしているだろうか?と話題になった方の事が出て来た。
もう6年前になるのだ。
何も語らない方で、本当にどうしようもなくなると、私に声がかかっていた。
そんな中での事柄を書いていた。
この後、病院に入院する事になり数年点滴だけで生きておられたが、家族との縁が良くなり、娘さんが最後をみとられた。
今は全く教会とはつながっていないけれども、本当に不思議を沢山見せて頂いた。
 
と書いた。
 
このご夫婦の事は常に気にしていたが、段々と月次祭にも来られなくなり、月次祭のおさがりを持って行くだけになっていた。
それでも、持って行くと喜んで下さり、引っ越しの手伝いもさせて頂いたりした。
 
けれども、この奥さんの目が白内障であった事にはさすがに気が付かなかった。
精神的なものを持っておられるので、つかず離れずしか出来ない。
ともかく、ひと月無事にお連れ通り頂けることを願いながらの日々だった。
 
そうした中に、娘さんの転院、ご主人の身上と重なり、上記に書いたことが起こって来たのである。
その後突然、奥さんが教会へ来られて、たしか介護申請に対して約束をした日だったと思うが、ご主人の調子が悪くなったので、断って欲しいとの事だったと思う。
その時に、奥さんが電話帳の番号が見えない事が分かった。
何ということだと思い、すぐさま電話帳を見て長女さんに電話を入れて、病院へ連れて行ったように思う。
 
そのまま入院となり、高齢のために開腹手術はせずに、点滴での治療となった。
それから約一年余りだと思うが、長女さんは懸命に両親の世話をされた。
私は妻と共に、数日ごとにおさづけに通った。
 
長女さんにも家庭があり、両親に付きりという訳にもいかない。
そして、お母さんは施設に入り、身上のお父さんは別の病院に転院した。
 
それからどれだけ立ったか覚えていないが、身上のお父さんが亡くなられた。
お葬儀をさせて頂いたが、「お母さんにそのことを伝えるとどうなるか分からない」と言われて、伝えずに行った。
 
しかし、いつかは伝えなければならない。そこで、葬儀の写真を撮っておいた。
不思議な事に、葬儀を終えて後、それまでは怖いからと言って、断固として断っていた白内障の手術をお母さんが受けられた。
そして、一年祭を教会で勤めることにした。
その時に、亡くなったことを伝えて、お母さんと共に来てもらった。
兄弟と久々に会えたことがとても嬉しかったようで、ご主人が亡くなったショックは少し和らいだようだった。
 
心配していた娘さんがほっとされた事は大変覚えている。
 
私たちの出来る事は、ただただ寄り添うだけである。
親神様・教祖にどうか無事無難にお連れ通り頂く事を願って、そう思いながらの日々だった。
 
コロナになるまでは、毎月そのお母さんには面会に行っていたが、今では行けない。
 
神様のお話を聞き分けて、結構になる人もある、しかし、なかなか聞き分けられない方もある。
これも仕方がない事である。
 
しかし、その時その時にご縁を頂き、お世話させて頂けることを喜んでさせて頂く。
こうしたことも、親神様・教祖の導きがあればこそである。
 
今、コロナで行事がないから、ネットで調べて、色々な事を学ぶ事が出来る。
これも親神様の御守護があればこそと思いながらいる。
 
そうそう。
30日の講社祭で、コロナの話になり、「会長さんが言っておられたように、世界中と比べたら、日本の感染者や死亡者は本当に少ないと、新聞に出てました。」と話をしてくれた。
ようやく発信し始めたかと思ったが、やはり、大手マスメディア責任は重い。それをつくづく思った。
 
7月1日は大教会の例会である。
青年会・少年会・婦人会・学生担当が集いおつとめをする。
私はそれに属さないので、教会からの御供を妻に渡しておくのだが、
朝の新聞配達を終えて休んでいる妻の姿を見て、運転して行ったらその間でも楽ではないかとふと思った。
 
私は、大教会の130周年を終えて、名称録を作り直すことしたので、そのデータの確認作業をボツボツと始めている。
これは大教会でも教会でもできるので、大教会でするかと思っていた。
 
すると、中学の息子が体操服を忘れた事に妻が気が付いた。あわてて中学まで走る妻。
帰ってくると、大教会へ出発の時間である。
なにやら、婦人会からの宿題があったようで、これまた慌てている。
 
「あとは車の中で」と言って、後部座席に載せて大教会へ、
ふと浮かぶが神心ではないが、
大教会へ行くつもりで準備をしていて良かったとつくづく思った。
 
2日は教区で支部長会議である。
コロナであればこその事が起こったが、素晴らしい対応で、会議が無事に終わった。
そして、新しい動きが始まる予感をもらった。
 
今日は3日、大教会の名称録のデータの確認作業を行う。
どうも、このデータの確認作業は辛い。なかなか進まない。
気を紛らわせながら、ぼちぼち行う。(他ごとで気を紛らわせないと、目が見ずらくなったり、体が痛みだすのである。)
それでも、何とか区切りまで出来た。これで次の工程へ行ける。
 
その作業をしながら、ユーチューブをラジオ感覚で聞いている。
そして気になったものを記録代わりにFacebookに共有している。
 
それを聞いていると、どんどん、これまで隠されていた事が明らかになってきている。
日本のマスメディアではまだまだ隠されているが、世界ではアメリカ大統領選挙の不正しかり、コロナウィルスに関しても、ワクチンに関しても、これまで陰謀論として隠され非難されていた事が、正されている。
 
善悪を分けるには時間がかかるのだろう。
どうぞ皆さまご注意くださいませ。
 
親神様・教祖どうぞ、大難は小難にとお守りください。
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既成概念と教理・教祖のひながた。。。

2021年07月02日 21時38分11秒 | 思った事

ある人のコメントを見ていたら「既成概念にとらわれて、本来の信仰を見ることが出来ない。」という言葉を見た。

既成概念という事から考えて見たい。

まず、「既成概念」を検索してみると、

既成概念

読み方:きせいがいねん

既成概念とは、すでに世間広く浸透し「そういうものだ」と定着しているような、認識考え方枠組みを意味する表現。すでに出来上がっている概念物事捉え方)。
 
と出て来た。

つまり、「テレビの報道は絶対に正しいのだ」「天理教の会長のいう事は絶対に正しいのだ」
という事である。
 
「テレビの報道でも、間違った報道をする事もある。」「天理教の会長でも人間である。間違ったことを言う事もある。」
 
これが正しい見方であろう。
 
ところが、人間というものは、自分の好むものを正しいと思いたいものである。
我が子供が間違いを起こしても、「我が子に限って」と思い込んで、詳しく聞かずに人を非難したりするものである。
 
これは、よくテレビドラマでよく見た。
また実際に、そのような場面にあった事もある。

さて、そんなことで、「既成概念」で見誤る事のないようにする必要があると思う。
 
そうした中に、私が思う、既成概念にとらわれていないかという事を数点書いておきたい。
 
一つは人の魂について、そして宇宙人についてである。
 
以前、『正文遺韻抄』で「人間の数について」を掲載したと思う。
この文章を読んで、皆さんはどう思うだろうか?
 
 
また、「こうき話」16年本を読んでどう思われただろうか?
 
私は、この二つの資料に出てくる「天」という言葉がとても気になっていた。
 
「人間の数」では、
鳥でも獣のでも、人間を見て、ああうらやましいものや、人間になりたいと思う一念より、生まれ変わり出変わりして、だんだんこうのうを積で、そこで、にその本心を表してやる。すると、今度は人間にうまれてくるのやで、
 
と出てくる。
そして「こうき話」では、
 
 此の訳左に
 くにとこたちの命は、天にては月様なり。この神は男神にして、御姿は、頭一つ、尾は一条(註:ひとすじ)の大龍なり。此の世界、国床を見定め給う。此の理を以てくにとこたちの命とゝ云う。又国を見定め給う故に国見定めの命と云う。人間を宿し込み給う時に、上より突くが故に月様と云うなり。月様が先に立つ故に日月とは云われず、月日と云う。三十日を又一月と云う。仏法にては、釈迦如来と現れ、仏法を授け給う。又、先に出でて法を始め給うにて、ぜんじゆう様と云う。人間身の内目の潤いの守護の神様なり。則(註:横に?)目は此の神様のかりものなり。
 おもたりの命様は、天にては日輪様、此の神は女神、御姿は頭十二の三条(註:三すじ)の尾に三つの剣ある大蛇なり。この神様は人間宿し込みたもう後は、日々に身が重くなる故に、おもたの命と云う。日々に理を増す故に日輪様と云う。尾に三ツの剣ある故に、此の理をあしきな女は邪険と今にても云うなり。頭十二ある一つの頭にて、十二月の間、一月づつ頭代わりて守護を事。日々代わりて守護。又、十二時(註:十二とき)つゝ頭代わりて、目を一時とす守護ある故に一ケ年を十二月と定め、一日を十二時(註:十二とき)と云う。十二支の方頭(註:ほふかしら)を取り巻きありて守護あり。此の理を以て十二支と云うなり。仏法にては三尊(?)(註:三づん)の弥陀如来、又、心澄んだる理を以て、勢至観音、大き見える故に、寛大とも云う。観音と云うも同じ理なり。人間の身の内温みの守護の神、又温みは此の神様のかりものなり。
 此の二柱の神様は、此の世の人間の実の親様。人間には此の世御照らしの如く入り込み、御守護なされ、故に、自由自在を叶うことなり。
 後なる神様は、此の二柱の神様の守護に依って、御働きあることなり。
 国さつちの命、この神様は天にては源助星、女神様なり。御姿はかめなり。かめと云うは、皮強き、地につきても踏ん張り強く、倒れぬ者で、土色なるの故、くにさつちの神と名を授け、女一の道具に仕込んだ故、亀甲(註:かめこ)の理を以て、おめこと云うなり。おなごと云うも同理なり。人間皮繋ぎの守護、仏法にては普賢菩薩、達磨大師、弁天、結びの神、黄檗山(註:おふはくさん)の神の守護なり。此の世の金つなぎ、または、よろづつなぎものは皆此の神の守護なり。人間の身の内皮つなぎは、(此神様の借ものなり。万づつなぎ物は、此神の守護なり。《補・梶本本22》)
 月よみの命様は、此の神は、天にては破軍星にて、男神なり。御姿はしちほこと云う。又、鯉のこせたる者も同ことなり。しちほこと云うものは、勢い強く、変にしゃくばるもの故に男の一の道具に仕込み給う。男の道具は此の理を以て、せいのこと云う。又、男と云うは、とこわ宿し込みのとき、突くが故に、此の理を以て月よみの命と名を授け給う。仏法では、八幡様と云う。聖徳太子様、此の神様の御守護なり。人間身の内骨の守護なり。
 (雲読之命《補・梶本本22》)、神様は、天にては朝明神の星となり。女の神にして、此の姿、うなぎなり。此の者は、頭の方へも、尾の方へも出入りする者で、つるつくものである故に、人間の飲み食い出入りに使うた道具なり。故に、くもよふみの命と名を授け給う。仏法にては、文珠菩薩、龍王、神農、薬師如来、水神様。此の神、飲み食い出入りは、此の神様のかりものなり。此の五柱神様の守護によつて、これを五体と云うなり。
 かしこねの命、此の神様は、天にては未申の方に集まる星なり。男神にて、御姿はかれと云うなり。此の者は身薄き者で、故に、人間の息の、風の道具に使うた。故にかしこねの命と名を授け給うなり。仏法にては、大日如来、円光大師様、此の神様の守護なり。人間の息此の神様かりものなり。息は風、風で吹き分けて物を言わすなり。
 人間身の内は、六柱の神が入り込みて守護を下さる故に、自由に叶う事故、これ全く、此の神のかりものなり。此の六柱の神様は南無阿弥陀仏なり。南無と云うは、目、温み。阿弥とは、皮繋ぎに、芯の骨なり。陀仏とは、飲み食い出入りに、息の事なり。南無阿弥陀仏と云うは、人間の身の内の事なり。これで身の内六台と云うなり。火と水は一の神なり。風よりほかに神はなし。息は風なり、風は神なり、如何なあしきも吹き払うなり。
 おふとのへの命、この神様は、天にては宵の明神の星なり。男神にて、御姿はくろぐつな也。此の者は勢い強く、引きても切れぬ者故、人間の食物、立毛、万物引き出しの道具に使うた神なり。引き出すには大綱が要る。又、引き出す者は玄人(註:くろと)と云う。何事にても、先立つてする者は、玄人云う名今にあり。此の理を以ておふとのへの命と名を授け給う。仏法にては、不動明王と名を授け給う。尚又、弘法大師、役行者、此の神様の御守護なり。故に百姓の神なり。
 たいしょくでんのみことは、此の神様は、天にては艮の方にあつまる星なり。女神にして、御姿ふくと云ううをなり。此の者は、食えば中る(註:あたる)ものである故、人間の死に生き、縁を切り道具に使た。ふくと云うもの、人間も大食すれば、寿命を無くなる。よく中る故に、此の理を以て大食天の命と名を授け給う。仏法にては、虚空菩薩、妙見菩薩、鬼子母、県さん、此の神様の守護に同じ事なり。此の神様は鋏にて、よろづ切る。
 (伊邪那岐の命、此《補・梶本本22》)神、天にて、天の川隔てにして現れある星なり。七夕様と云う。げぎよふ、または、人魚とも云ううをなり。此の者は今の人間なる様な姿にて、心も真っ直ぐなるもので、これを雛形として、人間の種に使たもの、これは人間の父様なり。この証拠に、伊勢の内宮様、天照皇太神宮、此の神なり。
 いざなみの命は、此の神様は、天にては天の川隔てにしている七夕様という星なり。女神にて、御姿は白くつななり。しろくつなと云うは、此の者も人間の肌にて、綺麗なる者、心も真っ直ぐなるもので、これを人間の苗代に使うた。これは人間の母親なり。此の証拠に、伊勢の外宮様、天照大神宮様は此神なり。

と、全てに天での星が現わされている。
 
つまり、私たちの魂は、全て天の星々に、宇宙に関係しているのではないか。と思えるのである。
 
地球上の事や日々の事ばかりで、そんなことない。という「既成概念」にとらわれると、この発想にはならないと思う。
 
これが正しいかどうかは分からない。
 
しかし、「元の理」を思案する時には特には、「そんな魚がいるわけない」という既成概念にとらわれていないだろうか。
 
昔の先生方は、教祖の言葉を聞いたそのままに受け止めておられた。
 
そうした中に、親神様の不思議を見せて頂いて来た。
 
しかし、私たちは教えを、今の世界の常識といわれる、既成概念という色眼鏡で見てはいないだろうか。
 
今、中国共産党の侵略によって、また、アメリカの情報開示が始まったことにより、それらを元に研究をして、世界や日本の歴史を見直す動きが出てきている。
 
そしてインターネット上では、今まで学校で教わったこととは異なったことが言われ始めているのである。
 
また、色々な宗教もそれぞれの教えを、公の場で話し始めている。
 
しっかりと「既成概念」にとらわれずに、教祖の教えをひも解く事が大切だと思う。
 
そうそう。
一番「既成概念」に囚われやすくて、それによって理解しずらい事は、「宮池へ身を投げようとされたこと」や「黒ほうそうのおたすけ」ではないかと思っている。
 
また「仏教見立て、神道見立て」という十柱の神様のお働きも、これから大切な事だと思われる。
 
思うがままに書きました。
参考になれば幸いです。
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