戦争が終わって75年、戦争を語ることのできる人はもうごくわずかになってしまいました。うちの父親はすでにこの世にいませんが、敗戦後シベリアに抑留されていたそうです。
今もうちに残されているのは捕虜収容所で作らせられたというアルミ製のフォークとスプーン。日本人捕虜は食器も自分で作らねばならなかったのだそうです。フォークは何故か先端が六つに枝分かれしています。他にホーローのような皿があったはずですが見当たりません。
収容所では何もかも没収され、わずかに残された女性の写真が一枚、女優高峰三枝子の写真です。これも没収されそうになったのですが、ワイフの写真だと言って没収を免れたそうです。シベリアではどのような地獄を見てきたかは語ることはありませんでした。いつ日本に戻ってくることが出来たかは忘れてしまいましたが、母親はすでに世を去っていたという話は聞いた記憶があります。
これがその高峰三枝子さんの写真です。
そのうち過去の戦争なんて話題にもならなくなってしまうのでしょうか。
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