鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山、紅葉はまだもうちょっと

2019年10月10日 | 鳥海山
10月10日ともなれば、紅葉もけっこう進んでいるのですが、今年は
滝の小屋は無人。
ここで申し込めばタクシーがここまでやってくる、ということはありません。

山ではやはりプリズムファインダーのある一眼レフの方が使いやすいですね、重いですけれど。モニター見ながら撮影するミラーレスも持参しましたけれど使いにくい。直射日光でモニターが見えなくなる、普段こういうところで使用している人は何か工夫しているのでしょうけれど。
それと、安いトレッキングシューズで歩いたら、足の裏が岩を直接に感じて、良く言えば自然をじかに足の裏が感じ取りました。(安い)トレッキングシューズは山を歩くものではありません。街中を歩くためのもののようです。鳥海山はやはり、ビブラムソールで歩かないとダメですね。自分のソールは2度張替えしました。その当時で張替えは左右で6000円でした。以前は近所に張替えしてくれるお爺さんがいたのですが。

こういう昔の標識、いいですね。
小屋の前の登山案内板には河原宿小屋が「河原宿小屋跡」と書かれていました。
2011年(平成23年) 震災を口実に閉鎖されてからもうそんなになるんですね。
滝の小屋に泊まった登山者が河原宿まで散歩に登ってきて、「ここにも小屋があったんだ、こっちにすれば良かった。」という声は何人もの人からききました。
再開してほしいですね。あんなにいい場所にある小屋はなかったのに。
そう思いませんか。

鶴間池の周りもまだ全く緑です。



平成3年(1991)台風第19号

2019年10月08日 | 鳥海山
平成3年(1991)、台風第19号が鳥海山を襲いました。
直後のブルーラインから見る杉林ですが、途中から折れた杉の木が何か所か見られました。

激しかったのは山頂です。写真はありませんが山頂小屋のうちの一棟(千蛇コースを登った時、正面に見える一棟、確か南館だったか。)が吹き飛ばされ、裏の谷にひっくりかえっていました。

そのあとに発行された「山と高原地図 鳥海山」には、「頂上御室は91年秋台風19号で倒壊(現在使用不能)」と記載されていました。
今年の19号もかなり大きいようなので下界でも最大の注意が必要です。


鳥海山で見かけなくなったもの

2019年10月08日 | 鳥海山
本当の名前はスベアというらしいですけど。
我が家にもかつてありました。みんなてんでにラジウスとよんでいたりしていましたけど。点火が面倒くさい。外ケースを外し、タンクの上に固形かチューブに入ったメタという燃料ををのせて火をつけ、十分に予熱。それからバルブを開いて点火。
(点火方法記憶違いしていました。)
今となっては味わいのあるものですね。燃料は白ガス。もう一回買ってもいいかな。
下のストーブは燃料が灯油。小屋どまりの人がよくこれを使って調理していましたね。音がかなりうるさい。値段もうるさい。今買うとしたら一番高いガスバーナーの3倍以上します。
         

我が家は下の図のこれ、もう長いこと使ってます。錆びてボロボロ。でも重宝しています。3.11の時はカートリッジボンベにランタンを取りつけ明かりに使用しました。


下の図はキスリング。帆布製で結構重いです。1970年代、これを背負ってあちこち歩く若い旅人はカニ続と呼ばれていました。
知人もこれを背負ってきていましたがいつのまにかナイロンザックに代わっていました。パッキングがけっこうたいへんです。

元画像Amazonさんから借用したので申し訳にリンク先貼っておきます。
キスリングは現在入手不可のようです。

 
 
 

遭難者ひろっちゃったー! へっ?

2019年10月04日 | 鳥海山
あと一週間もすれば鳥海山に初冠雪。
某年10月某日、鳥海山初冠雪から2,3日後3人で御浜まで散歩に出かけた。

快晴。途中賽の河原で何処から来たかは忘れたけれど、名前もすでに記憶にないが、おばさん御一行と一緒になり御浜までご一緒。
写真の順番は逆で、最初が御浜から山頂。次の写真が御浜下、賽の河原です。

我々3人んは熱心な登山者ではないので御浜でゴロゴロにゃん。
おばさんたち御一行は山頂へ向かうというのでいってらっしゃい。

周囲で写真を撮ったりしてぶらぶら。御浜の小屋へ戻り優雅な昼寝タイム。
どの位たっただろうか。小屋の入り口で呼ぶ声が。
「〇〇さん、遭難者ひろっちゃったー!」 …… 「へっ?
「七五三掛まで行ったらね、男の人が苦しそうにうずくまっていたの。」

慌てて隣の管理人室に行き、(幸いその日は小屋の管理人さんほかの人何名かが入山していたので)状況を説明し何名かで七五三掛まで救助に走った。
駆け足で七五三掛まで行くとそこには年配の男性が胸を押さえて苦しそうにうずくまっていた。これは動かせないということで毛布にくるみ無線で下界と連絡を取り救助を要請。今ならスマホで即なんだけれど当時はまだなかったから、

しばらくすると県警のヘリが救急隊員と女医さんを運んできた。
男性は無事搬送されていった。
その時の夕日に染まった山頂の綺麗だったこと。カメラを持ってこなかったことが悔やまれた。

一同御浜に戻ったけれど、遅くなりその日は下山できなかった。確か未明に下山してから仕事に行った記憶がある。そういうことはよくやっていたから。
おばさん御一行もその日はもうどこへも行けず御浜で一泊。小屋の人からも差し入れがありプチ宴会。
小屋はもう閉鎖の準備がしてあります。

それから何日かしてから新聞を見ると、女医さんが表彰されている。登山者の救助に駆け付けたということで。

後日、皆が集まった時、うーむ、女医さんは運ばれてきただけで尽力したのは小屋の人たちなんだけどなー。

象潟や雨に西施が合歓の花

2019年10月01日 | 鳥海山
何(十)年振りかで鳥海山にお邪魔しようと準備。あれはどこやった、これはどへやったと一人で大騒ぎ。でもあいた日の短期予報はその日一日のみ雨。
それでは温泉にいくか。
ねむの丘の温泉は4階にあり、海を見ながら湯に入れます。
(これは前の時の写真、当日は入り口周辺でいろいろ催しものをやっていました。)
ただ、風呂を出てから終日利用客以外の人がくつろぐところは無いようです。
休憩所の床はコンクリ床の上に張った下地合板がぶよぶよ、それとも根太が腐っているのか、歩くと体が傾きます。
修繕した方がいいよなあ。
9月に行ったんだけども増税後も入浴料は変わらずとのことでした、350円は安い。
酒田のかんぽの宿は入浴料800円だもんね。
以前かんぽの宿へ寄ったとき、厨房の人が咥え煙草でロビーを歩いているのにはびっくりした。もうだいぶ前のことですけどね、そういう乱れは何年たっても治らないものでしょう。そういった細部に本質が顕れますからね。閉鎖に至るのも宜(うべ)なるかな 。

帰りに蚶満寺。拝観しようと思ったら雨が降ってきたので山門だけ見て帰ることにしました。

蚶満寺に来るのは高校一年の時、それこそ何十年ぶりか。あんなに石段を登ったところに本堂があったなんて全く記憶にない。記憶に残っているのは帰りに国道沿いの魚屋さんでペプシコーラを買ったことくらい。そのころペプシは珍しかったのです。
なんでそんなに記憶に残っていたかというと、その魚屋さん、魚箱に氷を入れ、魚と一緒にペプシコーラを入れていたんですね。その生臭かったこと。そんなことをいまだに覚えています。

ねむの丘で無花果を買い、かなり安かった。もちろん「あつみのかりん糖」も忘れずに購入。9月から製造再開しているのでもう買えます。以前東京の姪に送ったら、」開封一番「あっ、これとまらなくなるやつだ!」

家に帰って早速無花果甘露煮をつくりました。

物もいいし、美味しくできました。上の写真はまだ煮込んでいる途中ですよ。

無花果1㎏に砂糖200g、あとは酢を50ccほど、ついでにレモン果汁を。あとはことこと煮るだけ(水は入れません)。
誰にでも簡単にできます。お試しあれ。