鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

先代亡き後も味は大丈夫

2020年10月08日 | 兎糞録

 近くのラーメン屋さん、同級生がやっていたのですが、亡くなってしまいしばらく店に行っていなかったのですが、久しぶりに食べたくなり寄ってきました。普通盛でも量はかなりあります。これの大盛食べたら晩飯が食えません。大盛は麺が450gほどあるらしいです。

 亡くなる何か月前だったか、ラーメンと半チャーハンと餃子を頼んだら、カウンターの中から「おいっ、それみんな食えたら長生きすっぞ」

 思えばそのころから体調悪かったのでしょうね。

 今はお弟子さんでしょうか、店を切り盛りしているようですが、味は変わらず、繁盛しているようです。帰りに餃子を持ち帰りで買ってきました。ここの餃子はうまいんです。

 娘たちを連れて食べに行くと、そばへやってきて「叔父ちゃんはお父さんのいいほうの友達だからの、悪いほうでねぞ。」と念を押していくのでした。

 

 かたや代替わりした行列のできる超有名なラーメン屋さんがありますが、あそこの味はどん底に落ちました。先代は付き合いもあった人なのですが、俺が死んだら店畳めと言っていたのですが。跡取りの息子さんも早くに亡くしたのでそういったのでしょう。しかし、周りが推したのか、婿殿が昔のお弟子さんに教えられて店をやっているようです。一度だけ行ったけど、ほんとまずかった。近所の人はもう行かないと言ってましたね。会社ごと常連の某社長なんか「味のこと文句言わねばね」と言っていたくらいです。それでも婿殿はまずいラーメンをあっちこちに支店を出して実業家気取りです。味のわからない人たちがガイドブックを鵜呑みにして毎日並んでいます。

 先代が店改装するときはみんなで飲みながら夜遅くまで打ち合わせしたほどのところでしたが、ああなると残念です。同級生がやっていたお店は何も変わりません、大丈夫です。


大物忌神社遷宮祭後の写真

2020年10月08日 | 鳥海山

 大物忌神社の遷座は二十年に一度ですが、この写真は神社に問い合わせしてみましたが年度は特定できませんでした。遷座の年度からすれば昭和十二年、大正六年、明治三十年のいずれかです。

 本殿前ですから、山頂です。皆さんいいお顔していますね。どれが誰かは現在では特定できないそうです。皆様の中で、あっこれご先祖さんだと思われる方がいらっしゃいましたらお知らせください。昔は宮司さん、神社のトップは神社庁から派遣されたり、その後もよそから来る人が多く、地元の方が宮司さんになる例は少なかったということです。髭の方も結構いらっしゃいますが、皆さん、戦国武将、幕末維新の志士なんていうと髭というイメージがありますが、江戸時代の侍は髭を生やしたのはほぼいないんですよね。髭を生やした人が多く出るのは明治以降昭和の敗戦まででしょう。会津若松では先の戦争というと第二次大戦ではなく、戊辰戦争のことを言うらしいです。

 脱線ついでに、かつて某大手工務店の会長の公演を聴きに行ったとき、「私は髭を生やした若い人の住宅建築依頼は受けない。」と言っていましたね。その理由は、皆さんお考え下さい。

 

 さて元に戻りまして大物忌神社をもう一枚

 おそらく上の写真と同じ時期のものでしょう。左下方白っぽくS字型に見えるのは千蛇からの登山道でしょう。神社本殿、社務所の後ろに白く湾曲して見えるのも道でしょうか。なんだか全体が殺伐とした風景に見えます。

 

 今回はこの二枚、次回は昭和二十四年の鳥海山に行ってみましょうか。


Michel Petrucciani Trio / In A Sentimental Mood

2020年10月08日 | Jazz

 誰が演奏してもそれなりにきこえるという名曲、In A Sentimental Mood それをMichel Petrucciani が演奏するととてつもなく素晴らしい曲になります。

 かつて毎年行われていたMt.Fuji Jazz Jazz Festival 毎年ビデオテープにとっていてPC にも保存していたのですが、テープは廃棄、PC 上のデータはかつてのHDトラブルで消えてしまいました。なので、今はYou tubeで見るだけ。その時衝撃を受けた演奏がMichel Petrucciani Trio / In A Sentimental Mood ベースは先日亡くなったゲーリー・ピーコック、ドラムスはロイ・ヘインズ。

Michel Petrucciani Trio / In A Sentimental Mood (1988)

 1:01ゲーリー・ピーコックのベースが絡み始め、2:05ロイ:ヘインズのトップシンバルをパシーンッと叩くあたりからドラムスがリズムを刻み始めます。4:30以降の倍速テンポのリズムで曲は最高潮へと向かいます。途中、3:43あたりからの臭い映像はせっかくの演奏の途中の汚点です。きっと三流プロデューサーが真夏の夜のジャズの映像のまねごとをしようとしたのでしょう。バート・スターンとでは力量に差がありすぎます。こういうジャズ・フェスティバルももう日本で開催されることはないでしょう。このMt.Fuji Jazz Jazz Festival も途中ミーハーになったり、媚コビになったりと、つまらなくなっていきましたので再開される必要もないですが。

 この当時、このトリオでの演奏がCDで残されています。

 左が最近発売されたOne Night in Karlsruhe 、右がMonmartreでのライブ。どちらも1988年、映像の演奏と同じ年、同じメンバーです。どちらにもIn A Sentimental Mood は収録されています。Monmartreでのライブのほうがちょっとだけいいようにきこえます。こちらのアルバムは長靴盤なので手に入れるにはAmazonでは不可能です。長靴を専門に扱っているサイトがありますのでそちらで入手可能です。値段もそれほどではありません。

 Michel Petrucciani、いいですねえ。Blu -rayで情熱のピアニズムというドキュメンタリー映画も発売されていました。もちろん発売と同時に購入しました。これもこの辺のシアターでは当然上映されません出したので。現在AmazonではDVDにとてつもない値段がついていて、Blu-rayは入手不能になっているようです。

 


真夏の夜のジャズ(4K UHD)

2020年10月06日 | Jazz

 4K UHDで見ることができるとは。azuminoさんのブログで4K版が上映されているのを知りましたが、ご多分に漏れずこの辺りでは上映されることはないし、と思ってチェックしたらデジタル配信という文字が目に飛び込みました。Amazon Prime Videoにもあるではないですか。

 即、購入です。なんのためらいもなく。ただし、購入したのは特典の無いほう。あの菊池成孔とかいう人の音楽が嫌いなのです。だからせっかくの映画に出しゃばって出てくるのを見るのが嫌。ああいうのが邪魔、オリジナルの形で観たいという人がいるからAmazonも二者択一の形で配信したのでしょうか。パソコンで見る、といったって音はアンプに接続されているし、モニターは40インチ。十分に楽しめます。

 アニタ・オデイ、今までDVD、その前はVHSで見ていた時は細身の女性、と思っていたのですが、今回の4K版で見るとがっしりした姉御といった感じの女性に見えます。お肌のブツブツまではっきり見えます。ああ、これが白人の肌なんだな、なんて思っちゃいます。

 どれも女性ヴォーカルが素晴らしいです。ダイナ・ワシントンなんてオール・オブ・ミーが始まった瞬間鳥肌が立ってしまいます。ビッグメイベル・スミス、マへリア・ジャクソン、どれも聞きごたえがあります。ヴォーカルはルイ・アームストロングと一緒に声真似をして歌いだしてしまいます。歌詞の字幕がついているのもいいですね。ダイナ・ワシントンのオール・オブ・ミーなんて、「私の大事なパーツを奪った」なんて字幕を見るとエロ親父は一瞬不純なことを考えるのですが、「私のハートを奪った」なのですね。もちろん最後は「すべてを奪ってちょうだい」なのですが。この年にしてまた恋したくなりました。素敵な歌です。

 ルイ・アームストロングの肌を流れ落ちる汗の輝き、トランペットの楽器そのものの金管の光、輝きも今までの映像では見、感じ取ることができなかったものです。

 なんといっても昔から好きなのは、煙草をやめた今でも吸ってみたくなる、ネイサン・ガーシュマンが室内でバッハの「無伴奏チェロ組曲1番」を演奏するシーンです。途中で紙巻煙草を咥え、マッチで火をつけ、暗い中に煙草の煙をフォーッと吐き出し、一瞬の間をおいてまたチェロを弾き始める、このシーンは最高です。

 こういったジャズに接するとほかのことはどうでもよくなります。もう五十年も続いている趣味、以上のものですから。山より長く続いています。


七高山の頂上にあるものは一体何でしょう。

2020年10月05日 | 鳥海山

 今日も古い写真をお楽しみください。

 大正年間の写真です。

 七高山の山頂に写っている三角形のテントのようなものは一体なんでしょう。江戸時代の絵図を見ると、このころの文書にもあるように伏拝岳には小屋が描いてあります。どの絵図にももれなく描いてあります。登拝の可能な時期には小屋掛けしていたのでしょう。そうすると、この山頂の小屋のようなものも七高山大神を拝するための小屋でしょうか。矢島方面の方、ご存じでしたら教えてください。もしかすると三角点測量のための櫓?七高山の三角点設置は明治三十一年、葉書のスタンプは大正、さあ正解は。

 今度はもっと古い写真。参拝記念の消印は明治四十□年となっています。発行は蕨岡共栄社です。

 蕨岡大物忌神社がまだ松岳山の上にあったころ、その境内から庄内平野を眺めたところです。今は拝殿は下に移設されて松岳山にはありませんが、急な石段を登っていけば今なおこの景色を眺めることができます。

 

 さらにもう一枚は、蕨岡大物忌神社が出ましたので、今度は吹浦大物忌神社一の鳥居の落成式の写真です。

 吹浦大物忌神社に問い合わせてみたところ、明治四十二年のことだそうです。発行は吹浦報徳社と書いてあります。大日本報徳社と言う法人があるのですが、その支部かと思ったらそれとは違い、蕨岡の共栄社のようなものだったそうです。また作成は、酒田白善書房となっています。白善書房は酒田の筑後町、現在の相生町にあった書店です。後年細々と教科書販売を営んでいたような記憶があります。以前に紹介した、箸王子神社の写真も白善書房で作成したものでした。ほかにも白善書房で作成したものないかと探してはいるのですが、今のところこれだけです。

 鳥海山の古い写真はまだありますので、このシリーズまだ続きます。

 こういった貴重な資料、案外誰も集めないんですね。誰か鳥海山の古い写真お持ちでしたら譲ってください。