佐藤要さんが大変いい写真をアップされましたので許可をいただき掲載させていただきます。
タイトルは「夕照の七高山(7月中旬)」となっていますが七高山の手前の山にも注目してください。古絵図に書かれた破方口山、これが手前のピークであるのは間違いないと思います。此処には矢嶋の方々が御先祖の霊を祀るために麓から石を持ってあがってきたと聞きます。
新山から外輪へのスノーブリッジを分水嶺として南が千蛇谷、北が破方口です。(このスノーブリッジを歩いていて雪が崩れて滑落したときはこれで終わりかと思いました。)
初めて外輪山の尾根を七高山に向かった時は行者岳からかなり遠いなあ、と思ったものでした。この七高山、見る場所によって全く異なった姿を見せてくれます。矢島口舎利坂を登っているうちにそれまで見えていた山の形が全く違って見えてきます。康新道を登ってもまた違う形に見えます。行者岳から先に進めば岩が次第に赤茶けた様相を示してきます。虫穴を過ぎると別の山に来たような気がします。又麓から北面を遠望すれば新山と七高山の双耳峰に見える急峻な峯に見えます。しかし北のピーク破方口山について触れられることはありません。(七高山の名前の由来も調べてみると面白いですよ。)
七高山というピークがあるのは誰もが知っていてもその北にもう一つピークがあり、それが古来から知られていた峯であるというのはなぜか今の人には伝わっていません。祓川ヒュッテの康新道を開鑿した佐藤康さんの「鳥海山日記」には高校生の遭難死の記録で、斎藤重一さんの「鳥海山」には鳥海山北面登攀の記録で破方口は出てくるのですが現在出版されているものにその記述はありません。ただ「山と高原地図 鳥海山 2022」には破方と記載がありますがルビも「やぶれかた」などと振られていてこの人いったい何を根拠にこんな出鱈目を書くのかと思ってしまいました。山ログには既に「破方に」などと書かれている始末。昭文社には根拠を明示して訂正の申し入れはしておきました。鳥海山も古来いくつかの呼び名もありますし、地名も虫穴を蛇石と呼んだ例などありますが、そんな名前、呼び名は無いというものを紙や電子媒体に記載するのは歴史に後足で砂をかける様なものです。