鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

神社検定

2023年02月15日 | 兎糞録

 「蓑笠さりふ」は「孤舟蓑笠の翁」とでも言う時に使う言葉だ。
 それでいて、「漢検で文章作成能力を育てよう!」「漢字・熟語の意味をきちんと理解し、正しく使いこなすことで、はじめて文章が成り立ちます」と呼号しているのである。あっかましい。漢検で、ことばを理解し、正しく使いこなすことなんかできっこない。文章を書く能力が育つ どころか、破壊されてしまう。


 どうです、全部読みたくなりませんか。

 


虫穴の浮虚子(うむかむし)

2023年02月15日 | 鳥海山

 虫穴から出てくる浮虚子とはいったいどんな虫かと、ある本をみていてハタと気づきました。

 その前に近年の虫穴について書かれたものを見てみましょう。


【太田宣賢 鳥海山登山案内記 大正2年(1913年) 】

〇蟲穴は宛蜂の巢の如き巨岩にして一種の羽蟲小孔を出入す農民は蝗蟲いなむしの害を避けんと慾し此岩に紙を張り小孔を塞ぎて祝禱す是れ羽蟲を禁搏するの意なる歟


【橋本賢助 鳥海登山案内 大正7年(1918年) 】

【 虫 穴】可なり大きな熔岩塊で、一面穴が澤山あいてゐる。之は大方軽石の様に、噴出の當時瓦斯体の飛び出したものであらうが、又風化作用も與って力のつた事だらうと思はれる。之を虫穴と稱へ、一つの拜所にして置くのは此の穴から出る虫が、田畑の害虫になるのだと云ふ言傳へがあるからである、それ故此所の小穴を塞いて行くと 豊作を得との事で、穴を塞いた紙が一寸異様に敗せられる程澤山ある。


【姉崎岩蔵 鳥海山史 昭和27年(1952年) 】

外輪山を通って七高山に行く途中、虫穴と稱する所がある。可なり大きな熔岩塊で、一面穴が澤山 あいている。之は大方輕石のように噴出の當時、瓦斯休の飛び出したものであろうが、又風化作用 も與って力あったことだろうと思われる。之を虫穴と稱え、一つの拜所にしてあるのは、此穴から 出る虫が田畑の害虫になるのだと云う傳えを持っているからである。それ故此所の小穴を塞いで行くと豊作を得るとのことで、穴を塞いだ紙が一寸異樣に感ぜられる程澤山ある。

※ この部分、橋本賢助 鳥海登山案内のコピペですね。「姉崎岩蔵 鳥海山史」を出典として引用するにはふさわしくない部分が登山案内に関しては多々あります。


【 鈴木正崇 山岳信仰の展開と変容  鳥海山の歴史民俗学的考察 2012年 】

外輪山を北に向かうと巨大な溶岩の塊で無数の穴が開いている「虫穴」があ り、これらの穴からは作物を食い荒らす田畑の害虫(ハフムシ、蝗虫いなごむし浮虚子うむかむし)が出てくるとされる.穴をふさげば出てこないので豊作になるとして紙を沢山詰めた。 道者は中に棲む小虫を虫穴大明神(五穀神)として崇めた。農耕守護の神への切実な願いが込められたのである。


 ここで初めて浮虚子が登場します。

 稲作には全く知るところは無いのですが、蝗が害虫なのは多くの人の知るところ。昔女子学生、生徒は蝗をとって袋にあふれんばかりに入れ、売りに行っていたと聞きました。蝗の佃煮、最近は食べられないという人も多いです。その次のハフムシ、延喜式祝詞 大祓詞に登場する昆蟲(ハフムシ)、這う虫がハフムシ、羽を振るわせる虫だからハフムシになったということですが蝗を指す場合もあるようです。浮虚子だけが???だったのですが、これ浮塵子(フジンシ、ウンカ)をどこかで誤って浮虚子と書いたのではないでしょうか。あるいは浮虚子、うむかむしと呼ぶところがあるのかもしれません。これは鈴木氏にきいてみないとわかりません。

 浮塵子を蝉(ウンカ、とルビを振っているものもあります。)に似た昆虫とするものもあります。物の呼び名は一定ではありませんので正解は無いのでしょうが一般的には浮塵子、読み方はフジンシ、ウンカのようです。「うむかむし」と読んでしまうからわからなくなる、「うんかむし」と音にすればああなんだ、ウンカか、ということになります。虚と塵の誤植でしょうか。

 こうしてみると虫穴から湧いて出る虫は浮塵子(フジンシ、ウンカ)、蝗(イナゴ)であるといっていいようです。

※後日鈴木正崇教授に確認したところ、浮虚子は浮塵子の誤記であると。その出典は「出羽國一宮鳥海山略縁起」五来重編『修験道史料集(Ⅰ)』名著出版、1983年、67頁にあることが判明しました。


酒田十景 第二夜

2023年02月13日 | 鳥海山

 後半の第二夜はこちらの五枚をどうぞ。

 妙法寺鐘 遠くに鳥海山が見えます。

 日和山眺望 沖に見える飛島、遠く粟島も見えます。

 鶴田口雪 この辺は大曲といって川が大きく曲がったところです。その地名を今は知る人もいません。

 谷地田稲荷 遠くに大きく鳥海山が見えます。

 新井田橋 昔ここに城がありましたが現在は高校が建っています。お堀は埋め立てられ今は土塁が僅かに痕跡を残すくらい。高校に通う生徒もかつてそこにお城があったことなど知らないかもしれません。街の歴史に興味あるのは役に立たなくなった老人ばかり、かもしれません。

 


酒田十景 第一夜

2023年02月12日 | 鳥海山

 鳥海山も描かれているのでカテゴリーは素知らぬ顔で鳥海山へ。

 畳紙(絵葉書の入った袋)の解説を引用すると、酒田十景は「さかたみやげ」として文久年間の頃、五十嵐仁左衛門が版元となって当時の町絵師五十嵐雲嶺謙雅に描かせたた、とあります。版木十枚は本間美術館に現在保存されています。文久年間のものが今なお保存されているというのは驚きです。

 いろいろなもので写真、複写物は見ては来ましたが現物は未見。たまたま斎藤政広さんの写真店の物販レジの所にこの絵葉書が置いてあったので迷うことなく購入してきました。第一夜はそのうちの五枚をどうぞ。

 本間家本邸です。右上には「出羽の国酒田に城あり、亀ヶ崎の城というこの地東山道第一の港にして大小廻船数百艘ところせまきまで出入りし、四方の融通をなし人家透なく栄をきそひ、実に豊夭の繁花天下便宜の他也・・・・・・」と書いてあるそうです。(日本史専攻しなかったので崩し字までは全部読めません。なのでそのまま引用。)

  海向寺(かいこうじ)の月 海向寺は二体の即身佛で知られています。知人にこのお寺の身内の縁者がいるのですが、多くの寺が持つような檀家を持たず、祈祷の寺として存続してきたということです。

 山王の櫻 山王の杜といって現在の日和山公園一帯です。

 山王社雨

  髙埜濱船 髙埜濱(こやのはま)、由緒ある地名ですが無思慮という考え方によって地名はどこにでもあるありふれたものとなり、現在は角柱一本にのみ旧町名が残っています。旧町名は知る人も極めて少なくなりました。

 


立春を過ぎて

2023年02月11日 | 鳥海山

 例年2/11前後は地吹雪、大荒れを覚悟していたのですが昨日の冷え込みの後は久しぶりの鳥海山。この辺りは大した雪も降らずに一番厳しい時期を終えそうです。いや、まだわからないか。この辺はめったに大雪も降らず、明治以来大きな地震も無くみんないつまでも何事もないだろうと何の危機感も抱かず生きています。直近の地震といえば新潟地震なのですが、そこで液状化して誰も住まなくなった土地も今は住宅街。我が家だって元は田圃ですから大地震になったら諦めるしかありません。一般の家で耐震構造に建て直す、なんて無理。

 iponeで信号待ちの合間に車窓越しに。デジタルズームなのでこんな画像です。

 飴でも舐めながら作業しましょうか。

 斎藤さんの写真展の会場の土産品コーナーに在りました。税込み496円。