三田村鳶魚の本を見つけると読んでいるのですがまとめて読みたいと思い探していたところなんと。
なんと、滅多にそろわない別巻までついて、、、オークションでこのほかの本と合わせて驚異の320円で購入しました。送料も大したことはありません。届くまでは半信半疑。届いたものを見たら外装は相応ですが中身は読んだ形跡のないような美品です。「三田村鳶魚全集」ではなくて「三田村鳶魚 金集」となっていたので全集を探していた方は見過ごしたのかもしれません。
三田村鳶魚の江戸人に関する考察は時代とその時代を生きた人の考え方について、現在を生きる人が過去に生きた人の考え方を今の物差しで測る過ちを教えてくれます。下手な説明するよりは一度山本博文氏の「鳶魚で江戸を読む 江戸学と近世史研究」を読んでみるとよいかと思います。
歴史小説、特に司馬遼太郎をはじめとする、また大河ドラマというものが嫌いなのですが同書を読んで、このせいかと納得してしまいました。少し長くなりますが山本博文氏の「鳶魚で江戸を読む 江戸学と近世史研究」から引用してみましょう。
※池波正太郎や松本清張の時代物は好きなんですよ。
現在の歷史小脱
現在でも、時代小説には随分荒唐無稽なものがある。これは最初からフィクションであるからまだいいとして、いわゆる歴史小説といわれるものにも同様の傾向がある。もちろん、筆者は、小説家に対して難癖をつけようというつもりはない。最近の小説家は、史実に関しては非常によく調査しているし、中には吉村昭氏のように、歴史家以上に言葉遣いに留意し、記述する日の天気まで詳細に調べる小説家もいる。
それはいいのであるが、最近の歴史教育をめぐる議論は、何とも納得がいかない。よく知られ ている「司馬史観一という言菜である。『諸君』誌上で谷沢永一氏と藤岡信勝氏が妙な論争をしておられるが、双方に共通するのは、司馬遼太郎氏の歴史小説をほぼ史実であると認めておられるやに見えることである。
筆者などが司馬遼太郎氏の幕末物を読むと、何とも言えぬ違和感に襲われる。もちろん、面白いし、よく調べているのであるが、登場人物の発言が何とも近代的なのである。この時代の人が言うわけもない内容を平気で話し、妙な人物が暗躍する。主人公にあたる人物を際立たせるため に、どうにも理解できない解釈を行って論理に整合性をつけようとする。具体的にどこがどうとここで指摘する余裕はないが、それは確かにそうなのである。
たとえば『峠』における河井継之助のすべてを見通したよう行動を見れば、だれでも本当かなと思うであろう。しかし、それは小説だからかまわない。そうではなく、いかに「歴史教育」とはいえ、小説家の「歴史観」を基本に据えてよいのだろうか、ということである。これは、極端に言えば他人の学問すなわち歴史学に対する冒瀆である。
それはともかく、司馬氏においても何が問題なのかといえば、やはり身分制度の理解であろう。幕府が倒壊するような時代であるから、幕府の威信も地に落ちていて、尊王の志士の中には先の見通しがあったと考えるのは無理もない。しかし、幕末に様々な運動をする人間の内面は、現代 人が安易に類推できるほどに単純なものではない。もちろん、これは司馬氏の罪ではないのであって、それに十分な回答を与えてない歴史学の落度であろう。その時代の中でその時代の人物の 行動をいかに理解するかという点は、これからの歴史学の大きな課題になると思う。その意味でも、三田村氏の身分制度の理解や歴史小説・時代小説批判は、 これからもっと参照されなければならない。
上の文章はCZUR SCAN を使ってスキャンしたものをスキャナーのOCR機能を使ってWordに変換してから修正したもですのがAdobe Acrobat よりも精度がいいようです。今まで試したOCR機能の中では一番優秀かもしれません。
三田村鳶魚の「大衆文芸評判記」「時代小説評判記」、時代物お好きな方には一読することをお勧めします。