鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

ハッチョウトンボこんにちは

2024年07月21日 | 鳥海山

 鳥海山の麓、白井新田に生息するハッチョウトンボ。今日は風力発電反対のスタンディングとミーティング終了後ハッチョウトンボを見に。

 7月の土日のみ生息地を開放しているので天気にも恵まれた今日を逃す手はないと。

 これで大きさは2cmほど。一円玉くらいの大きさです。

 赤いのは成熟したオス。タムロンのマクロ90mm、ピントは手動で。

 久しぶりのマクロレンズ、楽しいですね。

 こちらはメスです。

 ねじれのないネジバナ、では何と呼ぶ?サギソウは残念ながら今年は見当たらず。去年の同じ時期には結構咲いていたのですが。

 来週天気が良ければもう一度行こうかな。


とても登る気にはなれない

2024年07月21日 | 鳥海山

 どなたの投稿かは忘れましたが最近の鉾立登山口、週末ともなれば第三駐車場まで満杯で路上駐車も溢れんばかりと。登山道も行列でしょう。

 無理してでも、行こうという気になりません。笙ヶ岳も以前は行く人も稀でしたが今は猫も杓子も笙ヶ岳。すべての登山道は荒れ果てるでしょうね。そろそろ入山規制するときではないでしょうか。

 かつては登山者の点度で荒らされ、回復する間もなく今度は登山者過多で荒れるのは明白です。笙ヶ岳だって池塘見たさに登山道を外れて踏み入れる人が後を絶たないということです。今の登山者にマナーなんてものはありません。

 テントの話に戻れば昭和の50年ころまではあちこちにテントを張っていたようです。

 1976年の山と高原地図ですがご覧のように葵丸で囲んだテント場が記されています。もちろん現在はテントは禁止です。

 これについて1980年代「池昭が地図さテント場を入れてテント場になってしまった。テント張ていいどごはネナダ」と滝の小屋で怒ってる年配の男性がいたと聞きました。

 これらテント場だったところは裸地化し今も回復はしていません。こちらの佐藤要さんの

記事を再度載せておきます。

 この辺で入山規制をしてもいいのではないでしょうか。景鶴山は今も登山は禁止ですからそのくらいのことをしてもいいでしょう。

 なんといっても「日本百名山」という悪書が軽薄な登山者に影響を与えているのは間違いないですね。

 


中村不折の描いた笹小屋はどこ?

2024年07月20日 | 鳥海山

 かなり奥行きのある小屋に見えます。蕨岡登拝道にあった四か所の笹小屋のうちどれを描いたものかと思っていたのですが。

 今回発見した写真を見て横堂であろうと思いました。

 先日の写真、山形の小屋に見えますがよく見ると奥に見える横堂に向かって結構長い小屋に見えます。駒止の小屋跡はそれほど大きくないし、八丁坂もそれほど広い土地ではなかったようです。河原宿かとも思ったのですが河原宿の笹小屋も写真で見るとそれほどでもなさそう。何よりも橋本賢助が「「此の笹小屋は當山小屋中の最も大きなもので」と書き残していますので横堂であると思います。

 実際今この場所に行ってもこの痩せた地に横堂と笹小屋があったとは信じられません。またこの横堂には昭和の中頃までは強力も荷揚げしていたということです。昭和の中頃には笹小屋も木造に建て替えられました。

 

 このころまでは強力が山頂のほかにこの横堂にも荷揚げしていたことがわかっています。

 

 それにしても現今の鳥海山、鉾立口は駐車場が下まで満杯、路上駐車も満車。とても登る気にはなりません。入山規制する時期が来ているでしょう。それとも一時のブームでやがてだれも見向きもしなくなるか。でもその頃には山は荒れ放題、無残な姿となることでしょう。


鳥海山蕨岡口登拝道の笹小屋

2024年07月17日 | 鳥海山

 大正から昭和にかけて蕨岡口世廃道には四つの笹小屋があったことがわかっています。「」内は橋本賢助 鳥海登山案内によります。

 「途中一般に變化に富み笹小屋が四ヶ所もあつて、登山者の便利をはかる許でなく、途々の飲料水る豊富であるから アルミの水呑一つさへあれば澤山だ」(他の登拝道に笹小屋はありませんでした。)

 一番目の笹小屋は駒止、嶽の腰林道に入りしばらく行くと左手に空き地がありますがそこです。

 「蕨岡口最初の笹小屋で冷汁や金剛杖等を賣っている。登山者を乘せた馬は此處まで來ては引返し、丁度下山の時を見計らつて再び迎馬(むかひうま)として此處まで來て居ると云ふ。此處から上には駒を上げないと云ふので此の名がある(然し實際は横堂迄通ずることが出来る)」

 そこから登ると次は横堂の笹小屋です。

 この写真は初めて見ました。昭和6年の消印が押してあります。(明治でも大正でもないのは葉書表面の様式からわかります、宛先を書く方が表面。)

  以前にも紹介した写真ですが左手に見えるのが笹小屋です。

 「【横 堂】(よこだう)山路四里。實測頂上までの略々半分の所で箸王子(はしおうじ)神社があり次第二の笹小屋も在る。社務所の出帳所も置かれて登山者の便利を計つて居る。昔は一の木戸とも云った。此の笹小屋は當山小屋中の最も大きなもので馬の脊なりの出に道を扶んでトンネル形に建てたものである。ぞれが枯れた「ネマガリダケ」(俗名ジダケと云ひ一見クマザゝの如くである。當山には最も多い種類の一で、根際がまがつてゐる、葉もクマザゝよりは細長い)で圍てゐるから、色からしてカマボコの様である。中では白玉 (所謂鳥海山の力餅)・草鞋・イケウマ等をを賣つて居る」

 ここから先しばらく行くと八丁坂の笹小屋です。

 「暫らく行くと行手にあたつて一つの瀧を發見する、之が即ち八丁坂白糸瀧である。仝時に坂の下に嘗て第三の笹小屋を認める。」

 滝の小屋とは異なる場所です。残念ながら写真は発見されていません。八丁坂の登り口にあったようですが山本坊さんによれば、今行ってもわからないだろう、とのことです。

 最後が河原宿の笹小屋、こちらも何度か紹介しましたがこの写真です。

 「誰しも先づ小屋に腰を下して疲れを休めるが、此の時前の雪路が心の字に排列して居る事に氣がつくだらう、之が即ち「心字雪」である。此小屋でも素麺「白玉」等を賣つて居る、炎天の日、此處まで来て此の二品を食べれば、何時しか汗は沈み、座に寒さを覺えるに相違ない。」

 「蕨岡口の河原宿は海抜凡そ五千尺當山七合目位のテーブランドで、山中随一の美麗なるお花畠の所在地である、然も川あり丘陵あり濕地あり高原あり、宿屋はないが之に代るべき笹小屋があつて夏季中は此處に茶屋をはって番人が居るのみならず植物の豊富な所であるから僅かの移植に依つて優に當山に於ける百二十有余種の高山植物を集める事が出來る」

 白玉は近年までこの先の拝所に供えて拝したそうです。(蕨岡般若坊談)

 


さてまたしても鳥海山沖風力発電の話

2024年07月17日 | 鳥海山
 日本の洋上風発開発は、世界の非常識!世界で10MW以上の風車は10km沖以内には稼働も計画もなし、ということが最近やっと言われましたがなぜこんな沖合わずか1kmちょいのところに立てるのか、技術的な面ばかりが説明されていますが実は日本海の沖合に建てるとさらに不具合が起きるのです。
 現在の区域に設定すると影響を受ける漁業者の数は少ないので行政はやりやすいのです。例えば遊佐、酒田沖の海共第2号共同漁業権区域内の漁業従事者は百名に足りません、それを小刻みに崩していくやり方を行政はやっているのです。酒田の漁業者は絶対承知しません。

 ところがこの区域をもっと沖合、浮体式にした場合とてつもない数の漁業者が巻き込まれるのです。巻き網、トローリング等すべての漁法が影響を受けます。
 
 風車が建てられようとする海域は下の図にあるようにこれだけの漁場です。

 ※図は山形県HPより。
 
 風車が建てば漁業ができないのは目に見えています。撤去しても海中に支柱が残されれば漁もできませんし、もし漁をしたとしても残存する支柱による危険は相当に予想されます。
 
 
 沖合も下の図にあるようにこれまたすべてが漁場です。

 ※図は山形県HPより。 

 酒田、吹浦沖が風車を建てようとされている海共第二号と呼ばれる海域。その沖合に目を向ければ刺し網、巻き網、イカ釣り、かご漁業。どれだけ多くの漁がおこなわれている海域か。浮体式風車を浮かべたらさらに多くの漁業者が、酒田ばかりではなくこの海域で漁をする全国の漁業者が被害をこうむります。

 漁業との共存共栄などといいますが、これが田んぼだとしたら田に風車を建てて農業との共存共栄、新しい農業を探るなどといえますか。

 日本海には一本たりとも風車を建てることは許されないのです。日本という国と国民をを守るのが行政の唯一の仕事なのですからこんなことが許されていいわけがありません。