石森則和のSEA SIDE RADIO

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手紙

2006-11-18 | Weblog
クリント・イーストウッド監督、
スティーブン・スピルバーグ監督の映画
「硫黄島からの手紙」の試写を見た。
http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/
これはクリントイーストウッド監督が描いた
硫黄島の決戦2部作のうちのひとつで
既に上映されている
「父親たちの星条旗」が
「アメリカ側の視点」なのに対し
今回は「日本側から見た視点」でつくられている。
(ストーリーはリンクしていないので
単独で見ても大丈夫!)


もともと「~星条旗」の原作を読んだ監督が
この原作をもとにテーマに映画を作るはずが
資料を読み進めていくうちに
ここで戦った日本人達が
いかなる人間だったのかについても
敬意を持って描かなければならないと思ったという。

映画を観る限り
そのまなざしは、バランスのとれた温かいものだった。

比較にならないほどの戦力の差の中で
5日で壊滅すると思われたのを
1か月以上も持ちこたえたのは
アメリカにも留学経験がある知将
栗林(・・・実在の人物、演:渡辺健)の戦略能力だった。

硫黄島は当時、サイパンから攻めてくる米の戦闘機を
ここで確認して、本土で迎え撃ったり
爆撃を終えて帰る米軍機を叩く戦略的なポイントであり
米軍の本土上陸を阻止するためには欠かせない島だった。


逆に見れば
米軍にとっても、ここを落とせば
日本への飛行距離は短くなり、
しかも安全に日本に攻め込むことができる。
重要なポイントだった。

ところが戦争末期、連合艦隊は壊滅し
食料や補強兵も送られなくなる。
つまり、事実上本土上陸を遅らせるために
「見捨てられた」かたちになったのだ。

しかしここには
2万2000人以上の日本兵がいた。

何倍もの兵力で攻め入る米軍に対し
洞窟の中を縦横無尽に走るトンネルを使い
必死に抵抗する。
米軍にも6800人以上の死者が出た。
しかし、
日本兵の死者は2万1000人にのぼり
その多くの遺骨はまだ見つかっていない。

映画の中で描かれるのは
「正義のヒーロー」ではない。
(ロードショー前だから詳しくは書かないけど・・・)

家族想いの若き父親
理想家の若者
オリンピックに出たことのある英雄
日本で過ごしていれば僕らと変わらない人たち。
そんな彼らが
「もう会えない家族」のために
死ぬより辛い戦いを余儀なくされていく。

また、捕虜になった若き米兵が
自分達と同じ「ただの若者」であることで
心がゆらいだりもする。

「日本兵らがどう散っていったのか」
アメリカ人のクリント・イーストウッドに
なぜここまで描けたのか不思議なほどに
「敬意」と「慈しむような視点」で
語られている。

これはたかだか60年ほど前の
現実なのだ。

・・・試写を観た後、
僕は足早に会場をあとにした。

こうした試写会は
当然「業界人」ばかりで
案の定、知っているFMのスタッフもいた。

スノッブなおしゃれさんたちが
試写を観たあとに
したり顔で「批評」をしているのを
聞きたくなかったのだ。

確かにこれは
これまでの日本の戦争映画や反戦映画とは違う。
戦争の残酷さは
きめ細かい取材の元に深刻に描かれているが
日本映画にありがちな
オカルト的とも言える独特の
「おどろおどろしい」感じはない。

狂信的な部分も冷静に見つめられ、
急に集められた兵隊たちも時に本音を語る。
それが「自分の身にも起こりうる」リアルさを増している。

これは
アゲアシをとるべき映画ではない。

今、「核問題」や「教育」や「靖国」について
論じられているが

政治家の
言う事はいったんオイトイテ・・・

自分や自分の家族のことを想いながら
一度ご覧になってみてはいかがだろうか。

いずれにしろ
答えはシンプルかもしれない。