石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

バードランドに帰りたい④

2007-01-05 | Weblog
正月2日。
文化放送の泊まり勤務のため
浜松町で降りたところで携帯電話が鳴った。
・・・見覚えのない番号?
なにか事件発生か?!と思って出てみると
「高校時代の先輩の原田です」

おおっ!

・・・そうなのだ。
この日記を以前からごらんのかたはご存知のように
3月の原田先輩の結婚式をきっかけに
高校のときに先輩がたと組んでいたバンドを
20数年ぶりに再結成しよう・・・という話があるのだ。

高校時代のそのバンドだが、
ウェザーリポート」という、もうなんていうか
伝説のフュージョンバンドの曲を中心にやっており
オーケストラで小学生からコントラバスをやっていた僕は
カリスマで、天才で、ちょっとアレな
「ジャコ=パストリアス」というベーシストの
コピーを強いられていたのだ。
・・・筆舌につくしがたいほど難しいのだよ。
ちょっと聴いてみ?↓

★その中の一曲がこれじゃ!★


市民会館などで
メンバーを変えつつ3年ほど演奏したが
我ながら、よくやったなあと思う。

原田先輩のメールでの呼びかけを期に
20年以上ぶりに、家の奥から
フェンダーのフレットレス・ジャズベースを発掘し、
弦を買ってきて磨き上げるも
以来、悪戦苦闘の毎日が始まったのである。
(ちなみに上の写真のベースギターである)

ここ最近、先輩から連絡がなかったのだが
・・・まだ「生きて」いたのだ!この話!

しかし、問題は「練習ができるかどうか?」なのだ。

今回集まるのはオリジナルメンバー。
ピアノ&キーボードの原田先輩は
こちらの某有名出版社勤務・埼玉在住なので
横浜在住の僕としては、お会いしやすいが、
ドラムの田中先輩は今や京都の国立大の教授。
遠い上に、超多忙。
サックスの、りょーすけ先輩も
超有名な楽器メーカーにお勤めで超多忙、
かつ某地方にいらっしゃる。

これまでメールのやりとりだけで
「各自練習しとけや」ということになっていたのだが
田中先輩と、りょーすけ先輩のメールを拝見する限り
実現はおろか、集まることさえ
難しそうだなあ
・・・・という雰囲気だったのだ。

ところが、電話の原田先輩はハイテンションで
「ちょっと電話かわるぞ」と楽しそうだ。

「電話かわるって誰に?」
「田中です、元気?」
「はあ!?なぜそこに!?」
「ちょっとまってて」
「はあ・・」
「りょーすけです。練習やってんのか?」
「うひゃあ、りょーすけさんまで!?」

そう。皆、正月に里帰りし
僕以外のメンバーが一緒に飲んでいるという。
そしてなんと、
その場で急転直下!練習日と練習場所が決まった!
練習は、なんと一日のみ!
だいじょうぶなのか!?


ところで
僕は同窓会に出たことが
(卒業してまもなくの)1回しか無い。

「まだ一人前でもないのに、
夢にもまだたどり着いていないのに
振り返ってなんかいられるか!」と意地をはってきた。

だから今回、
昔の仲間に会うということは
自分にかけた呪いのような「壁」に
自ら穴をあけることだ。
自分の中で
何かが変わる気がする。

それにしても
本当に「まともな演奏ができるのか」!?

また新たな動きがあり次第
お伝えするっす。



黒光りする相棒に捧ぐ。

2007-01-05 | Weblog
マイクが壊れた。
記者会見などで登場する、あの黒字に白く社名が書かれたマイクだ。

きのうの取材で、突然
スターどっきり㊙報告における
寝起きどっきりの「おはよーございます」のように
何をしゃべっっても「ささやき声」として録音されてしまう。
いやーんである。
(本番では中継車に積んであった別のマイクを使った)

このマイクとのつきあいは、かれこれ8年にもなる。
出会いは小西克哉さんの番組のレポーターになったころだ。
これは「木曜事件ファイル」というコーナーで
事件や、注目の出来事の現場から、
早朝、当事者をその場に呼ぶなどして
なんと「生」で伝えていた。
(ちなみに一回目は
「雨」(!)降る中での東海村の原発事故レポ。
もっとも遠いのは京都で
幼い子供が少年に殺され、その少年が自殺した現場だった。)
事前に収録した声を使う場合もあったので
マイクはこのころからフル稼働していたのだ。

それから報道部に泊まりこむ仕事や
ほかの番組もあったので、24時間持ち歩いている。
北朝鮮の船が出国するまで「ほぼ野宿」の新潟港で、
潮風の中、活躍したり
わーっと報道陣が殺到する現場で
ガツンガツン、カメラがあたる中で差し出したりと
思えば可哀想なぐらい酷使されてきた。

テレビではわからないが
よく見ると満身創痍である。

黒光りするコルトのようなそのマイクは
戦場で戦った戦友のようなものだから
このまま廃棄になったら悲しいなあとへこんでいた。
さまざまなニュースや人に出会ってきたマイクだが、
何より「僕の歴史」にもつきあってくれた相棒なのだ。

現場に同行してくださった技術のコマエさんに相談したら、
「一応、技術部に持っていてみたら?」とおっしゃるので
一縷の望みを持ちつつ技術部に向かった。
(普段、技術部にいかないから何階に入ってるのかわからず、
迷子の子猫ちゃんである。にゃんにゃんにゃにゃーん)

技術部の扉を開くと、仏様のようなお顔の
ワナタベさんがいらして早速見ていただいたが
何をどう説明していいかわからない。
すると、たまたまいらした
コマエさんが説明してくださったにゃん。

手馴れたもので、2人でマイクのふたをあけ
(開くんだ、これ!?)
中を見たら
「ああ、線が切れてますね。
しかもマイクの断面がおしつぶされたように
歪んでいます」
「先生(誰?)治りますでしょうか?」
するとにっこり笑って
「治りますよ」

ああ、ここにドクターコトーがいらした。
(ドラマ見たことないけど)
なむなむー。

あらゆる番組の本番で、ミキサー卓を操作し、
過酷な現場で機材をセッティングし
マスターと呼ばれる場所で
番組が送出されるための
一切の仕事をするのが技術の仕事だが、
こうした機材も直してしまうのだ。

技術さんって、つっごい。
前にいた放送局でも、現場の技術さんが僕を
ラジオマンに育ててくれたといっても過言ではない。
今でも個人的におつきあいがあるが
それは互いの「信頼」が結びつけたものにほかならない。
DJの中には自分だけで番組の人気を支えていると
思っている人もいて、
それは「逆QUE」(DJ本人がスタジオからサブに出す合図)の
出し方に現れていたりするのだが、
BIGな人ほど、スタッフを大事にするものだ。
CUEは合図であって、命令ではない。

今年も自動車協議のA級ライセンスを更新したが
ラジオ番組は、ちょっとカーレースに似ている。
高額な資金がいるので
スポンサーも営業担当者も勝利に賭ける。
プロフェッショナルな開発者が
細部にいたるまでマシンを作り上げる。
現場では監督(ディレクター、PD)のもと
メカニック(技術さん)がいて
レースの行く末と、ドライバー(DJ)の命までも預かっている。
絶対的な信頼のもとアクセルを踏み込めるのは
優秀なメカニックがいるからこそなのだ。
(それができなければドライバーは挿げ替えられるか、死んでしまう)


話がそれたが、そーゆーわけで
マイクさんは入院である。
もっと新しいスペアをお借りしているのだが


戻ってきたら
またあのマイクを使うつもりだ。


「夢」はどこだ!?

2007-01-05 | Weblog
メジャーへいった松坂は
「夢」という言葉は好きではないと語った。
「叶わないのが夢だから・・・」として
「目標」
という言葉に置き換えた。

渋谷でおきた殺人事件の動機は
「あなたは夢がない」といわれたことだったという。

どちらも間違いだと思う。

夢は 何かを一生懸命やり続けたり
大切なものができたときに
あとからついてくることが多い。
更には、夢の形は一定ではなく、刻々と姿を変えていく。
ただし、時にそれを
「夢を失くした」と勘違いしてしまうことがある。
野球選手の夢が叶わず野球漫画家として成功したあの人のように
ドラマーでは大成しなかったが人気DJになったあの人のように
何かに取り組んでいるうちに
自分の使命や、新たなやりがいを見つけたりする。
この点が「目標」とは似て非なる所以である。

僕らタレントやフリーの出演者は
それこそ夢にすがるように生きているが
仲間は何人もがやめていった。

家族をもったがために、子供がうまれたがために
「夢を諦めた」と自嘲する友がいる。
でも「家族のために生きる」というのも立派な夢だ。
諦めたなんて言い方は、
家族の「せい」にしているようですっきりしない。
どうか胸を張ってほしい。

夢はその姿を変えても、
自分のもとから去っていったわけではない。
これを「夢質量保存の法則」という。
学校のテストにはでない。
(自分で考えたからだよーん)
しかも更にこの先、夢はかたちを変え、
場合によっちゃあ、またもとの姿になったり
いつのまにか叶う寸前の所に立っているかもしれない。

・・・えー。以上のことからですねえ、
おわかりになりまするように
10代20代で
自分の夢なんか 見定めることなんて
そう簡単にはできません。

なのに「若者は夢をみなきゃいけない」なんて強迫観念を、
えらそーに大人やメディアは押し付けてくる。

そりゃあ夢は持ったほうがいいが、その前に
「現実の世界に生きている実感」や
「今、自分がこういう行動をしたら
誰が傷ついて、誰が喜ぶのか」ということを
きちんと感じられるようになったほうがいい。

あとなあ、自分にも言い聞かせていることだけど
夢には甘美な響きがあるが、見るなら「覚悟」がいる。
見るのは簡単だが、「叶う」と信じ続けることのほうがやっかいだ。
実は夢を持った時点で、9割がた叶っているんじゃないかと思う。
だから自分を疑っている暇があったら、
一歩でも踏み出すことだと思う。

あと、こんなこと書いてる暇があったら
さっさと風呂に入ることだと思う。


お風呂は左腕から洗います。
おちまい。