僕は楽譜を読むのが苦手だと思っていた。
でも、仕事帰りの電車の中で
隣に座った学生が真っ赤な顔をして
スコアを暗譜(譜面を暗記することね)
しているのが
目に入り
何気なく、その音符を眺めていたら
頭の中に
カップにコーヒーを注ぐような感覚で
音楽が流れ込んできた。
「へえ、まだ譜面読めるんだ?!」と
自分で驚いた。
思いがけなく
自然に音楽が流れ込んだのは
きっとその譜面が「ヘ音記号」だったからだ。
「ヘ音」ったって「ぷう」じゃないぜ。
・・・これのこと。
低音をあらわす記号で、
コントラバスやチューバなど
低音楽器で用いられる。
僕は小学校5年の時に
担任の先生が音楽教師だったことから
陸上部から音楽部にひっぱられた。
それ以来、高校を卒業するまで
オーケストラ、ブラスバンド、
ジャスバンドでコントラバス
(ダブルベース、ウッドベース)を
演奏してきた。
その後はベースギターも演奏するようになり
ヤマハのポプコンにも毎回出場した。
(初めてのラジオ出演は
アマチュアミュージシャンとしてだ)
しかしそれ以来20年以上も
譜面とは縁がなかったのだ。
少年時代の僕は音楽三昧
ミュージシャンになることを夢見ていた。
でも、それから夢は形を変えた。
ラジオの世界を信じる
今の自分の生き方に
ブレはないが、
時折、音楽から離れたことで
少年時代の自分に
後ろめたさに似たものを
感じるときがある。
でも、譜面からその音楽が聞こえた
・・というよりも注ぎ込まれたことで
僕の中に
あのころなら、いつも聳え立っていた
442HzのAの音が(ハ長調で言ったらラ)
一本の金属の棒のように
再び心の中に立ち上がった。
この「A=442Hz」は
オーケストラでコンサートマスターが
チューニングのときに基準音として
奏でる周波数だ。
これを基準に
全ての音階が心の中で奏でられる。
あまり知られていないが
これは人間が生まれたときに泣く
産声の周波数だ。
(ちなみに時報のポーンもA)
家に帰って
枕もとに転がっているウクレレで
Aを弾いた時
決してブレない音の柱を
普段は自覚しない
自分の
「背骨」のように感じた。
どうやら
結局、何年たとうが
どこで何をしてようが
ラジオにかじりついていた
音楽少年のままらしい。
そいつが
マイクの前にいられるなんて
なんて幸せなことなんだろう。
なんちって。
「ぷう」
でも、仕事帰りの電車の中で
隣に座った学生が真っ赤な顔をして
スコアを暗譜(譜面を暗記することね)
しているのが
目に入り
何気なく、その音符を眺めていたら
頭の中に
カップにコーヒーを注ぐような感覚で
音楽が流れ込んできた。
「へえ、まだ譜面読めるんだ?!」と
自分で驚いた。
思いがけなく
自然に音楽が流れ込んだのは
きっとその譜面が「ヘ音記号」だったからだ。
「ヘ音」ったって「ぷう」じゃないぜ。
・・・これのこと。
低音をあらわす記号で、
コントラバスやチューバなど
低音楽器で用いられる。
僕は小学校5年の時に
担任の先生が音楽教師だったことから
陸上部から音楽部にひっぱられた。
それ以来、高校を卒業するまで
オーケストラ、ブラスバンド、
ジャスバンドでコントラバス
(ダブルベース、ウッドベース)を
演奏してきた。
その後はベースギターも演奏するようになり
ヤマハのポプコンにも毎回出場した。
(初めてのラジオ出演は
アマチュアミュージシャンとしてだ)
しかしそれ以来20年以上も
譜面とは縁がなかったのだ。
少年時代の僕は音楽三昧
ミュージシャンになることを夢見ていた。
でも、それから夢は形を変えた。
ラジオの世界を信じる
今の自分の生き方に
ブレはないが、
時折、音楽から離れたことで
少年時代の自分に
後ろめたさに似たものを
感じるときがある。
でも、譜面からその音楽が聞こえた
・・というよりも注ぎ込まれたことで
僕の中に
あのころなら、いつも聳え立っていた
442HzのAの音が(ハ長調で言ったらラ)
一本の金属の棒のように
再び心の中に立ち上がった。
この「A=442Hz」は
オーケストラでコンサートマスターが
チューニングのときに基準音として
奏でる周波数だ。
これを基準に
全ての音階が心の中で奏でられる。
あまり知られていないが
これは人間が生まれたときに泣く
産声の周波数だ。
(ちなみに時報のポーンもA)
家に帰って
枕もとに転がっているウクレレで
Aを弾いた時
決してブレない音の柱を
普段は自覚しない
自分の
「背骨」のように感じた。
どうやら
結局、何年たとうが
どこで何をしてようが
ラジオにかじりついていた
音楽少年のままらしい。
そいつが
マイクの前にいられるなんて
なんて幸せなことなんだろう。
なんちって。
「ぷう」