昨日書きかけた記事があるのだけれど、予定を変更して、久しぶりに鬼嫁登場!です。
昨日も雨で仕事の出来ない相方が、レコード鑑賞しながら「ちょっとおふくろの顔を見に行ってくるか?」とひと言。
先月暑くなってきた頃に夏服を持たせた相方が一度面会に行っていますが、コロナの影響もあっておいそれと面会に行けない状態はまだ続いています。
鬼嫁といたしましてはかえって都合がいいと言えるかもしれません。
ニュースなどで、ずっと面会出来ずにいたけれど、なんとかリモートで面会出来たとか、透明の間仕切り越しだけど会えた、と喜んでいる人の様子を見るにつけ、
自分は冷たい嫁だとつくづく思います。
施設に問い合わせてみると、午前中はロビーの床掃除をしているので午後2時からという回答だったので、その時間でお願いしました。
コロナ以前は居住するフロアへ上がって面会していたようですが、コロナ以後は玄関を入ったところにある広いロビーで、30分ごとに区切って一組ずつの
面会になっています。
時間になったので施設を訪れると、まず手洗いと消毒。そのあと検温をして用紙に名前などをそれぞれ記入しているうちに、生活指導員のOさんが義母を
車いすに乗せて連れてきました。床掃除のあとだから転ぶといけないので、とのこと。
テーブルにつくなり義母は相方に向かって、大きな声で職員か入所者かわかりませんが、誰かが自分に対して「悪口を言う」という意味の不満をぶつけました。
Oさんが小さな声で事情を相方に説明していましたが、耳のよく聞こえない私が聞き取れたのは、認知症あるあるで怒りっぽくなっていること、天気が
悪いときは特にそうなることが多いこと、もちろん職員がそういうことを言ったりはしないことなどを話していたようです。
相変わらず口は達者な(頭もそうならいいのにね~)義母はほぼずっとしゃべりっぱなし。途中Oさんに誰に対してだかわからない不満をなだめてもらいたい
ようで、手を握ってもらっていました。やっぱり若くてやさしいイケメンがいいんだな(苦笑)。
そして、私のほうにはほとんど視線を向けません。というか、目に入っていないかのようでした。いいのよ、私は「空気」で。
連れて来られてすぐ相方に名前で話しかけたので、昨日に関しては記憶はまだある程度機能しているなと思いましたが、私の名前が出てくるのには数秒かかりました。
まあ全く違う名前じゃないだけましですね。
10分か15分話したでしょうか。まだ床掃除が残っているようで、Oさんに上手に促されてまた4階の居住スペースに戻っていきました。
話の途中、不満があるせいか、家にはまだ帰れないのかというお尋ねがあったけれど、Oさんに連れられて行くときには特に反抗もせず、私たちを振り返る
こともなくエレベーターに。
実は私の母親も同じ施設に亡くなる直前まで入所していました。
母は脳梗塞のあと、半身まひと言葉が出なくなってしまいましたが、認知症のほうはそれほど進まず、面会のあと帰ろうとするとき、いつも悲しそうな顔を
していたので、こちらもつらかった記憶があります。
それを思うと、あっけらか~んとしているなぁ、義母。ほんのちょっと前のこともすぐ忘れてしまうから、多分自室に戻ったときにはもう、私たちが面会に
来たことは覚えていないでしょうね。そのほうがある意味幸せかも。
帰り道相方が車の中で、先月会ったときより(認知症が)悪くなっている気がする、とつぶやきました。
私はそのとき同伴していないので比較出来ないけれど、機嫌の悪いのもお天気のせいばかりじゃないような気はしています。きっと一日のうち、半分以上は
不機嫌なんじゃないかな。
あんな状態で家に戻ることになったとしたら、今のような平穏な暮らしはすっ飛んでいくことでしょう。
もしショートステイの長期滞在入所のタイミングが少しでも遅かったら、きっと今頃我が家はすごいことになっていると思います。悪い意味で。
預かってもらえているので、コロナの感染もある程度安心。もちろん老人施設でコロナの集団感染という話も聞きますから、どこにいても全く安心というわけに
いきませんけど。
相方の言うように、わずかながらも悪いほうに傾いているのだとすれば、いつか要介護度が上がって、ショートステイではなく特養への入所に変更になって
いくでしょうけど、それがいつになるのか、それともならないのか。出来ればこの、私にとって平穏な日々が続いてくれることを祈るのみです。
それにしても今日のタイトル、まるで海外に長期出張かなにかで会えなかった恋人に久しぶりにあった、みたいな感じですよね。そういう色恋ごとは
欠片もありませんけど。