キリストとミトラスの驚くべき類似性(生活上の出来事、特徴…)は太陽崇拝という同一の発端に裏打ちされていた事が明らかになる。
初めの福音書『マルコ』には処女降誕も復活(16章後半)も記されていなかった。福音書の主眼は順当に"ユダヤ教の改革者人間イエス"で残りの奇跡譚・復活はあくまで付録的に付いて来ただけと考えることができる。 キリストに様々な尾ひれが付いた背景は1~2世紀のローマ世界という、史上最も多彩な神と女神で満たされていた特殊な土壌が影響したのだと思う。新宗教を売り出す際の必要で異教神話から模られ旧約聖書を経由した新たな救世主の偶像(アイドル)が創られた。見切り発車であったのか家系や降誕物語等のプロフィールにはボロが多い。 原始キリスト教とは恐らくキリスト教と呼ばれる事さえ嫌ったはずの、ユダヤ教徒の集団だった。しかし次第に“決別”は不可避になったのだろう。パウロら反ユダヤ的パワーの外部拡散を抑えられなくなり、そして明確に新宗教となるや、彼らは狡猾なレトリックでユダヤ教徒を神の敵に仕立て上げたのである。 http://ja.wikipedia.org/wiki/キリスト教の歴史 しかし、ユダヤ教主流派による迫害を契機に各地に離散したヘレニスト(ヘレニスタイ:ギリシア語使用者)が精力的な伝道を展開し… ![]() 何者がキリスト教を創ったのか? 4世紀のエウセビオス著『教会史』によれば福音書はエッセネ派の文書だったとある。キリスト教運動は“エッセネ派の逆襲”だったのだろうか・・・? 結局、外部に適応する過程でキリスト教は1世紀から破損を続け、最終的には完全にローマの諸宗教と習合するのである。(「復活」と弟子達の伝道が起点だったとする教会の狂育は現実的観測でない) 数世紀の後に残ったのは元来有していた精神性が破棄された変わり果てた宗教だった。"原罪""契約""メシア" と辛うじてユダヤ教らしい所は残るものの、何れもが的外れな流用である。 ユダヤ教で言う一般的なメシアとはダビデの様な戦う王、漲る力でイスラエルをローマの植民地から解放する厳格な統治者のことだ。当時としてベツレヘムに生まれ、蚊を叩く様にローマ帝国に殺され、挙句墓場から甦る救世主など誰一人求めてはいなかっただろう。 ![]() 原理主義者達が何を喚こうと、実数にして百分の一以下の聖書本家の訴えに耳を貸す気がない限り、物事の実相を正しく捉えることはできないだろう。 画像出典:LiveJournal.com ![]() ![]() 関連記事: 戦神ミトラス |