コンビニエンスストアで成年誌やヤマザキのパンを買えば“そういう物が流布する社会”へ一票を投じた事になる。
あなたが家で茶碗を割ったらそのまま捨ててしまうかもしれないが江戸時代には焼継屋という修復商が存在し茶碗・陶磁器の再生を手がけていた。人々がどのような価値観の下でどう行動するか、その人間の営みの上に今日の経済も成り立っている。
お金しか見えなくなり、選択され次世代へ生き残るべきものには目を伏せ続けた、 その前世紀の反省に立って、発展戦略を今新たに組み換える時ではないだろうか。
買い物であれば 米は米屋 野菜は八百屋 豆腐は豆腐屋 魚は魚屋 肉は精肉屋 酒は酒屋 靴は靴屋 電器は電器店
専売店での積極的購入をするのもその一案になるだろう。
海外進出を含めた地球規模の競争を繰り広げた結果、地域産業と国内の農漁業は衰退、商店街の中小商店は駆逐された。
地域の空洞化と過疎が今や文化・福祉・教育という国家の基盤まで揺るがしている。
効率化・合理化に夢中になる“米国流”に身を任せれば将来に「風情」「人間味」「職人技」が残る事は期待できそうにない。
「少し高くても・・・」 そう思える店は誰にでもある。 みすぼらしくでもけち臭くでもない、人間らしく快活・大胆に経済社会情勢を作り変える“チェンジ”はどこからでも始める事ができる。
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