「寄生獣」(漫画)における犯罪者・浦上のセリフにこのようなものがあります。
「てめえの正体も分からねえ奴がおれに文句を言う。」
現代は確かにそのような時代なのです。どういう事かと言えば金だ物だと喚いては地球環境を壊し、自然の情愛を持たない者が偉そうな顔をして街を闊歩しています。凶悪犯罪が起きても心一つ痛めない鬼とも獣とも分からぬ人間があなたに文句を言っています。
純粋な人間にはつらく、薄汚い人間は平然としていられる社会。傷付きたくなければタバコをふかし洋楽でも聞いてすかしていれば良いが何かが違うと感じた一部の人間は自傷行為を繰り返しています。周りの人間の汚さ故に厭世的になる者も多いかもしれない。何故現代社会が息苦しくつまらないかと言えば世が悪魔の作った価値観に支配されているからです。例えば毎日食べられる事は幸福だからそこから出るゴミはきっちり分けリサイクルする事が最低限のモラルだと説いても、その意見に力も価値もない。裕福になったのなら後進国をいたわる事が当然の事ではないかと考えるが人々は当然のように募金箱の前を素通りする。募金をする者が有象無象の視線を気にしなければならないのです。
募金をする者を偽善者と見なし弱者は「見殺し」にする事が正義。この国の人間は善人を鬱陶しく思うどうしようもない病にやられてはいないだろうか?
この作品中には「人間どもこそ地球を蝕む寄生獣」というセリフが登場します。相当に捻くれた考えではあるものの年々この傾向は強まっているように感じます。 この見地に立つ者は人間を殺す事、人間の数を減らす事が正義であると考えます。浦上は大量殺人犯でした。善心の故に殺人を行い殺せば殺すほど地球は綺麗になるため自分は正常だというのです。
この作品は「人間を捕食する生物」「地球を汚し動物を殺戮する人間」 どちらが本当の悪魔なのかを問うていたようですが浦上にとっては人間こそが悪魔そのもの。 “人間として当然の事”に価値を認めない社会にはかような凶徒が現れる事でしょう。逆に江戸時代の様に全員で環境保護をする社会には捻くれ者・異分子が現れ様もないのです。
これは何を意味するのか? 人間が悪魔の価値観に支配され、悪魔に魂を売り渡すような事をしている限り「人間は余りに愚かだ」 「人間は殺してもいい」 「騙してもいい」 「盗ってもいい」
野蛮な思想に囚われる者が大勢出てくるという事です。
一つ言える事は、あなたが環境保護や募金をせず悪魔のように振舞う事は人間は下らんという犯罪者を増加させてきたし、これからも増加させ続けるという事です。全ては連帯責任です。そう言えば、詐欺が異様に増えてきたと思いませんか。