ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

専門家の責任

2014-10-16 20:14:06 | 世の中
御嶽山の、いたましい遭難。

ある登山チームのリーダーのことばが、頭から離れない。
「自分が今回の山行き企画を中止していれば・・・」
「すこし前(11日)に火山性地震が多発していることが気になったが、
 警戒レベル1(=平常)ということだったので、実施にふみきった」

その「レベル1」を出していた専門家(予知連絡会長)の、噴火直後の記者会見:
「11日の地震が前兆であるかの保障もない」
「少しでも危険があるなら近づかないのも手」
「自然現象に関しては完全に安全は有り得ない」
「警戒レベルの上げ方を改善していく余地はある」

イタリアの地震予知裁判を思いだす。

「イタリア 地震予知 裁判」で検索すると多くの報道がでてくる。
  「安全宣言」で学者実刑
  イタリア地震裁判の波紋:
  有罪の理由は予測失敗ではなく行政の求めに応じた軽々の“安全宣言”

など、「重要なのは、裁判で問われたのが予知失敗の責任ではなく、リスクを正しく伝えなかったことの責任である点だ。」と、行政の都合に迎合した学者の責任を指摘している。

イタリア地震裁判には「学者がものを言えなくなる」という科学者の反発に同情を感じた。

しかし、御嶽山の噴火と遭難者のニュースでは、
「警戒レベル1」を出していたことに対する責任感の薄さに怒りがわく。
ラクイラ地震裁判の厳しさが、当然に思えてくる。

昨今、何かと云うと登場する「専門家」たちの軽さ。
「専門家」と聞いたら警戒しなければいけないと思うことも多い。



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