Nationalsoxialistische Deutsche Arbeiterpartei
英語にすると National Socialist German Labor Party
国家社会主義ドイツ労働者党
ヒットラーが率いたナチスの名称である。
National を広辞苑は「国民」としているが、形容詞的用法なので、
connected with a particular nation (OED)
「国家の」「国家的な」「国民の」「民族の」「国立の」「国家主義的な」(リーダーズ)
の語意からは、やはり「国家社会主義」というのがふさわしい。
「国家」とはなんだろう。
前に『国家の品格』という本をとりあげた。そのタイトルがどうしてもひっかかって、考えている。
人間ではないのに、なぜ人間に関わることば「品格」がつなげられるのか。
そもそも、なぜ「国」に「家」がつけられるのか。
書名として『政治家の品格』よりは『国家の品格』のほうが印象深く、前者では吸引力はない。「おいしい生活」のようなコピー作りの技法のひとつだが、それだけではない主張をこめた題だと思う。
「天皇の赤子」ということばがあった。
国をあたかも家のようにイメージしている。
国民が意識をひとつにして立ち向かうのは、戦争だけだ。
戦争を意識したときに、国をあたかもひとつの家族のようにイメージさせることばが躍りでてくる。
小さな小さな政党でしかなかったナチスは、突然、ドイツ国民の圧倒的支持を得ていった。
当時のドイツ国民が、戦争そしてユダヤ人狩りに至る道を望んだわけではなく、
強力な改革を訴えるナチスの主張のなかに波長の合うものが多々あったのだ。
ナチスの危険性をついて批判した人々もいた。次々と消されていった。
『国家の品格』で「惻隠」ということばが何度もくりかえされる。
孟子の「惻隠の心無きは、人に非ざる也」(人であれば、いたわる心、あわれむ心をもつ)からのことばで、いまの世に求められるものに違いないが、
著者は「惻隠という武士道の精神」と、そのことばを使って「武士道」を称揚している。
「品格」ということばにも多数の人が「いま必要なこと」と共感するものがある。
しかし、そこに「国家」がのると、思わぬ方向へ展開する。
(つづく・・・かな?)