たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

困窮における救済と自立の狭間 <ケースワーカー資質、どう確保>を読んで

2017-02-04 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

170204 困窮における救済と自立の狭間 <ケースワーカー資質、どう確保>を読んで

 

今朝も凍てつくような寒さです。

 

早朝、紀ノ川土手の通りを走っていると、前に走行していた軽四が急に停車、ハザードランプもつけず、少し左寄りに停めていたので、なにか携帯電話でもかけているのかと思い、その右側を通り抜けようとしたら、突然、バックするライトがついたので、途中で停止。でも軽四車はこちらに気づかず、バックする、しかも少し右に旋回しながらで、まさかと思ったのですが、結局、軽く接触してしまいました。

 

少ししてでてきた運転手は、70代後半くらいの方。一緒にこちらの車の接触箇所を確認しましたが、どうやらフェンダーの下が大きくこすれているものの、目立つわけではないので、その修理を求めるほどでもないかと思い、今度から気をつけてくださいねといって、別れた。

 

高齢者の事故、多発している中、自分もその構成メンバーなので、お互い気をつけたいものです。しかし、後方を追尾しているのだから、後方車の動向を見ずにバックするなんてと思うのですが、長年の油断でしょうか。私自身、交通事故案件を当地に来て扱うようになり、いかに不注意が多いか、気になっており、自分自身、運転技量が満足な状態ではないため、他山の石として、改めて注意したいと思った出来事です。

 

平穏でのどかに感じる町ですが、人間が大勢住み、江戸時代のムラのように小集団での自治で行われていた時代と比べ、複雑で多様なニーズに対応するとき、現在の行政組織・システムはときに制度疲労を顕在化させることがあります。しかし、それは氷山の一角でしょう。

 

見出しの記事、少し前にも掲載されていて、驚きました。

 

小田原は、係属事件があり、それなりに訪れ、そういえばここも支部庁舎の仮設時代から新庁舎ができて間もなくまでよく通ったなと思い出します。

 

後北条が関東統治の拠点とした名残をわずかにとどめており、裁判所近くの通りや城を見学したりしますが、現在の神奈川では残念ながらさほど魅力を感じる状況を見いだせていない印象が残っています。というのは、後北条が100年の統治を築き、徳川時代、西からの攻めに対応する重要な要として、譜代を藩主にして、安定した行政を行ってきたと思われるのですが、どうも今回の事件は、生活保護制度の根幹を揺るがすだけでなく、小田原市の行政自体の問題性も感じてしまいます。

 

ところで、本題に入る前に、再び余談を少し述べておきます。病者や困窮者などに対する国の対応というのは、国という形なりができる段階で、その必須の条件ではないかと思うのです。その点、少し古い歴史に遡って考えてみたいと思うのです。

 

有名な仁徳天皇(私は実在性に疑問を抱いていますが)が家々の竈から煙が上がっていないのを見て、免税措置をたしか3年か続けたという記紀の話。記紀の中では珍しい(私は他に見つけられていません)記述も、そういうリーダーなり、国家像こそ人民が求めていると考えて挿入したのかなと思っています(彼に仁徳天皇がそのような仁政を行ったのだとすると始皇帝に匹敵する仁徳陵をつくらせたことと~民衆が自主的につくったのであれば別ですが~相容れないと思っています)。

 

その後は聖徳太子ですね。有名な「片岡飢人(者)伝説」です。

<『日本書紀』によると「推古天皇21年12月庚午朔(613年)皇太子が片岡(片岡山)に遊行した時、飢えた人が道に臥していた。姓名を問われても答えない。太子はこれを見て飲み物と食物を与え、衣を脱いでその人を覆ってやり、「安らかに寝ていなさい」と語りかけた。」>

 

太子の存在性も気になりますが、それはともかく、高貴な身分の人が隷属の身分の人と接することがなかったと思われる時代、太子の救済行為は、聖者として尾ひれがついて伝承されていますね。

 

また、四天王寺は、『日本書紀』によれば、蘇我氏と物部氏の戦いにおいて、戦勝悲願で四天王を安置する寺院を建てると誓願を立て、見事勝利したので、建立されたとされています。四天王寺には、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つの四箇院を設置したといわれています。これが、その後民間初の皇后、光明皇后の有名な伝承につながるのではないかと思うのです。

 

たとえば、光明皇后は、病人の治療のために法華寺に建てた「からふろ」で、千人の民の汚れを拭うという願を立てました。ところが、千人目の人は皮膚から膿を出すハンセン病者で、皇后に膿を口で吸い出してくれるよう求めます。意を決した皇后が病人の膿を口で吸い出すと、たちまち病人は光り輝く如来の姿に変わったというものです。これはNHKの歴史ヒストリアでも見事に描かれていたかと思います。また、光明皇后は、都大路に並木を植えるに際し、貧しい人たちの非常食になればと、モモとナシの木を選んで植えさせたとも伝えられます。

 

そして太子のように、貧者には救済のため悲田院を、病者には施薬を施すため施薬院を建て、仏の道を追求したと言われています。

 

この光明皇后の伝承は、父の藤原不比等が献策して、聖武天皇の妻にしたり、四人の男子を政権トップに昇格させるなど、その後の藤原摂関家支配の歴史を形作る話として、その信憑性には疑義が残るものの、そのようなことをこそ、国の、リーダーのあるべき姿、それは末端までそうあるべきとの貧窮にあえいでいた庶民の意識を反映していたのではないかと思ったりします。

 

実際、迫害を受け続け、僧籍を剥奪される状況に合った、行基が、貧民救済や各種の土木事業を優婆塞・優婆夷とともに行い、多くの飢えや病気で苦しむ人を救済し、支持されていたため、その後は国もその存在を容認せざるを得なくなり、ついには行基を最高位の大僧正にまで抜擢して、大仏殿の完成への支援を要請するのですから、貧者・病者といった生活困窮者への保護は、日本国憲法を待つまでもなく、国の最低限の基本的役割であったと思うのです。

 

と長々と余談を述べましたが、それにしても、小田原市の職員が行った、まるで暴走族並みの破廉恥なジャンバー着用は、窓口対応や、戸別訪問での自宅での対応が、いかに差別的なものであったか、威圧的なものであったかを類推せざるを得ません。

 

むろん、他方で、生活保護不正受給は、悪質な例が少なくなく、過去になんども報道等で明らかになっており、その中には威圧的であったり、今回の事例のように暴力を現実に行う場合もあったでしょう。

 

一方で、私自身、当地に来て、生活保護受給者の相談を受けたり、事件処理をしたりした数少ない経験でも、相当切り詰めた生活をしている人が多く、むろん、その背後には生活保護受給をためらっているというか、あえて求めない人も少なくないのも実態でしょう。

 

で、厚労省は、現在の生活保護をどのような制度仕組みにしているか、ウェブサイトを簡潔に取り上げたいと思います。

 

制度趣旨の説明の前に、次のような前置きを置いています。

 

<資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する方に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度です。>

 

制度趣旨は、生活保護法1条の目的規定を、そのまま掲載して以下のように記述しています。

 

<生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。>

 

両者の違いを比較すれば一目瞭然ですが、法律では、「生活に困窮する方」としているのに、冒頭の一番注目する箇所に、「資産や能力等すべてを活用してもなお」という制限規定をわざわざ明記したうえ、「生活に困窮する方」と、生活保護法の趣旨を限定する取扱を大前提にしていることが明瞭です。

 

むろん生活保護法4条1項で、「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。」とされていることから、冒頭の文言の正当性を言うかもしれません。しかし、この「補足性」といわれる原則は、あくまで1条の目的規定こそ重視すべきで、同条の規定の解釈を振りかざせば、多くの声なき庶民は自然、保護を受ける権利があっても、躊躇することになりかねません。積極的な姿勢が国家、自治体という行政に求められるのではないかと思うのです。

 

私自身、国民の税金を使うのですから、真に困窮している方への救済を考えることは、平等な取扱として、十分検討しておくべき事柄という点は否定しません。しかし、このような基本的な部分で、明瞭に制限するような規定はあるべき福祉国家の方向性に背向するのではないかと懸念します。

 

厚労省の制度説明のうち、生活保護要件についても少し触れたいと思います。

 

保護の要件等

生活保護は世帯単位で行い、世帯員全員が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することが前提でありまた、扶養義務者の扶養は、生活保護法による保護に優先します。

 

資産の活用とは 預貯金、生活に利用されていない土地・家屋等があれば売却等し生活費に充ててください。

能力の活用とは 働くことが可能な方は、その能力に応じて働いてください。

あらゆるものの活用とは 年金や手当など他の制度で給付を受けることができる場合は、まずそれらを活用してください。

扶養義務者の扶養とは 親族等から援助を受けることができる場合は、援助を受けてください。

そのうえで、世帯の収入と厚生労働大臣の定める基準で計算される最低生活費を比較して、収入が最低生活費に満たない場合に、保護が適用されます。

 

この要件自体は、一応もっともな面があります。しかし、個別事情を的確かつ慎重に判断するには、相当の専門知識と経験が必要ではないかと思います。それは同時に、福祉行政の担い手として、心の通い合う対応という面で、より必要ではないかと思うのです。

 

ところが、毎日記事では、< 小田原市生活支援課のケースワーカーは25人。厚生労働省の定めた標準数を4人下回り、入庁1年目の経験の浅い職員が4人。貧困に苦しむ人たちと向き合う最前線で、希望者は少ない。

 事務を担う一般職として採用された男性(29)は、新卒で生活支援課に配属された。先生役の先輩職員はいたが、1人で約120世帯を担当。今でも約100世帯を受け持ち月に25~30軒を訪問する。自殺未遂の現場に急行したり、精神疾患をもつ人の過大な要求に対応したり、精神的に負担の大きい業務もある。>

 

一人で100世帯とかそれ以上を担うということ自体、よほどの専門知識があっても困難ではないかと思います。それを新卒者に、一部担わしていたわけですから、人事配置の問題が指摘されてよいと思います。今回の悪質ジャンバー着用といった問題は氷山の一角であり、より深刻な問題を行政担当者の方にも抱えているように思えます。

 

その意味では、外部機関が関与する形でしっかりした検証作業を行い、再発防止の対応策を検討し、さらに実施過程を事後検証することを期待したいと思います。そしてこれは、より公開の場で、公開の情報として、議論してもらいたい事柄と思います。

 

窓口職員や担当者といった行政のケースワーカー問題をしっかり実態解明するとともに、それ以外の生活保護と密接に関連する分野へのメスを入れてもらいたいと思います。