たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

企業統合と公正取引 <統合見通せず、公取委が難色 地銀再編かすむ針路>を読んで

2017-02-23 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170223 企業統合と公正取引 <統合見通せず、公取委が難色 地銀再編かすむ針路>を読んで

 

今朝は少し生暖かく感じるような雨脚が間断に続きました。和泉山系を横切る薄雲も浮浪雲も素早い動きです。動と静、そこに何やら調和を感じてしまうのはただの個人的な感傷かもしれません。

 

ようやく午前中からの仕事も一段落して、さてブログのテーマはと考えたのですが、なかなか気乗りしないのです。マスコミが追っかけしているいろいろの話題も尽きませんが、今日は少し遠慮しておこうかと思い、普段あまり関心を抱かないテーマを取り上げてみようかと、見出しの記事などを踏まえながら、どうなるかまったく見当つきませんが、書き出してみました。

 

私自身、独禁法といったものについて、40年以上前には結構関心を持っていました。実際、法律事務所を探す時も、公取委の審判事件などを扱っている事務所を訪問して、ほぼ決まっていたのですが、最終的な段階になり、当時とすればあまりに特異な分野なので、それでいいか迷い、結局、断念して、普通の事務所に就職してしまい、その後独禁法が問題となるような事件は数件程度扱ったくらいで、まったくの素人状態です。

 

ブログを書くようになり、新聞をよく読むようになったせいか、あらゆる記事が目に飛び込んできます。そして最近、結構、企業統合の話題が多いなと思っていたら、たまたま今朝は<核燃料 今春統合を断念…日立・東芝・三菱重工>が取り上げられ、そういえばと思い、最近のを少しフォローすると、昨日は<ふくおかFG・十八銀 統合見通せず 高シェア、公取委が難色 地銀再編かすむ針路>、一昨日は<関西3地銀 低金利で収益悪化 統合検討、系列超え再編へ>と連続して取り上げられていました。

 

で、これをどう考えるかですが、企業統合の動きの背景と統合のメリット、デメリットについて、自由な取引競争、取引の公正の視点から、ほとんど資料に当たらずに、私なり一応の事実認識と適当な理解で、書いてみようかと思っています。こういったことは専門家や学者はやりませんが、自由なブログですので、許されるかなと勝手に思っています。

 

とりあえずは、上記にとりあげた核燃料事業の統合と銀行の統合ですが、前者は簡単に触れて、主に後者について考えてみたいと思います。

 

核燃料事業の統合自体は、福島第一原発事故の影響で原発事業が世界中で稼働が停止したり、新規事業が進まなかったりで、当然、核燃料への需要が減少する一方ではないかとおもいます。需要が少ない時に価格競争することも、多くの事業所を配置しておくことも、コスト的に成り立たないでしょうから、統合して、狭い日本の市場内で競争するのを避け、海外市場を視野に入れる一方、事業所・人員などを削減してコストカットするという考え方は経済的には理解しやすいのではと思うのです。

 

しかし、興味深いのは、核燃料事業を担っているのは日立、東芝、三菱重工の3社がそれぞれ海外の原子力事業会社との合弁子会社であり、その本体自体、いずれも少なくとも原発事業そのもので多額の損失を出している状況で、なんとも見通しが暗い印象をぬぐえません。公取委が統合審査に慎重になっている理由はわかりませんが、三社が統合すれば市場支配力は100%になることは必至でしょうから、その実質的な取引制限をいかに問題解消措置で解消ないし改善できるかでしょう(たとえば新日鉄住金のケース)。それを提示できるか、経済的にも、当事者3社自体の足並みも経済的苦境のなかで簡単にはいかないのでしょう。

 

日本の原発事業を担ってきた、この3社がいま抱えている問題を開示して、根本的な改善策を示さないと、核燃料事業の統合といった小手先では対応できない状況にあるのではと懸念しています。といっても私は脱原発派ですので、最終処分までのきちんとした工程を明らかにしたうえで、事業改善をするのでなければ、すべての原発事業について撤退する方向転換が必要となると考えています。

 

次の地方銀行の統合の話です。これはある意味、地方ではたいてい取引先が地銀ですので(近くに都市銀行がない!)、今後どうなるかはより身近に感じるかもしれません。

 

関連記事を見ると、すでに関東や、九州、四国などで、すごい勢いで統合化が進んでいるのですね。記事で指摘されているように、リーマンショックによる国際的な金融取引規制が大きな引き金かもしれません。また日銀のゼロ金利政策で、多くの地銀が金利収益が減少する一方とも言われています。そして企業はというと、一部大手上場企業は事業業績を伸ばしているようですが、地銀が相手にするような中小零細企業の多くは青色吐息の状態ではないでしょうか。低利であっても借りて事業拡大するだけの先見性?とか、見通しがたたないのかもしれません。

 

しかし、それは従来の生産性の低い、事業採算性を悪い状態で、昔ながらの取引慣行で社会的に継続が容認されてきた企業が多いかもしれません。どのくらいの企業が、みずから管理会計をしっかりたてて、事業採算性を図っているのか、それを貸し付け審査でしっかりチェックできている地銀がどのくらいあるのか、そこが問題ではないかと思っています。金融庁も従来の、保証人や担保に依存する貸付審査の在り方から、企業の将来的な事業採算性を見通す能力を地銀に求めていますが、実態はさほど変わらない状況にあることが懸念されているように思います。

 

というのは、地銀の過当競争というのは、単に低利競争に走っているということですから、そこには本来金融機関に求められる貸付先企業の事業能力を把握して貸し付けるという姿からは大きく隔離しているからです。

 

それが企業統合によって、店舗や人員を合理化するだけでは、健全な融資の拡大、将来性のある企業への支援といった金融機関としての期待される役割を果たさないことになりかねません。

 

他方で、地銀の企業統合が進む中で、公取委が審査を延期して慎重な姿勢を示しているのは、金融庁の懸念とは別の競争制限や公正な取引の確保の視点だと思われますが、ふくおかFGと十八銀といっても、初めて聞く名前ですし、九州地区の市場状態もまったくわかりませんので、コメントは避けます。ただ、市場の範囲をどのように設定するのかしりませんが、メガバンクもあるでしょうし、市場支配力が問題になるような状況があるのか不思議な気がしますが、それは素人の考えで、公取委の目から見ると、地銀特有の市場分野があって、その支配力が問題なんでしょうね。

 

さてここまで一時間くらいで書いてきて、なにを問題にしようとしたのか、まだクリアになってきませんが、競争制限や不公正な取引は、いわゆる寡占企業がその市場支配力を通じて有利な立場で行うものですが、その結果、取引の相手方、最終的には消費者に不利益な結果をもたらすことに問題があるのだと思います。で、わが国の地銀を見ると、金融規制の縛りも要因かもしれませんが、自由な競争状態とはいえないように見えてくるのです。より取引先、消費者に、便利で安価で安全なサービスを提供するにあたり、よりサービスの質・量の向上というか、抜本的な改革が求められているように思うのです。

 

それは企業統合して、貸付額や預金量が増大するといった単なる量の拡大では、この分野ではあまり規模の利益を発揮しないと思うのです。サービスとは何か、私も考えたいですが、なにか本質的なものが足りないと感じているのですが、そういう競争をしっかりとやる体質改善を期待したいと思っています。

 

やはり内容のない話になってしまいました。渋沢栄一が銀行、企業など資本主義の基本を作ったとき、その理想とした考えは現在の銀行実務に生かされているのか少々疑念を抱きます。

 

ウィキペディア(渋沢栄一)によると、その道徳経済合一説は、私などの理解の及ぶものではないですが、民法的に言えば、信義誠実を第一とするに近いものかと勝手に思っています。

 

<富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。>とか、

 

<事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。>とか、

 

いずれも、「道理」を基本とするわけですが、私流に解釈すれば、信義をもって誠実に事に当たることが最も肝要と言われているのでは考えます。そして地銀のサービス、あり方に戻れば、統合して大きくなることは無論あくまで手段であって、そこにより信義・誠実なサービスの高度化がなされなければ、無益な拡張論にすぎないと思う次第です。