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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

災害を思う <東日本大震災6年・復興の検証 防潮堤>を考える

2017-02-24 | 災害と事前・事後

170224 災害を思う <東日本大震災6年・復興の検証 防潮堤>を考える

 

今日もほどよい暖かさを感じる朝でした。夜明け前に起きて着替えるときも肌寒さで緊張するという感じがなく、ゆったりと動作をすることができます。隣の梅林も満開状態で、初春を感じさせてくれます。最近は周辺を我が物顔にしているモズだけがあちこちと飛び回っています。滅多につがいも現れず、ほとんど孤高をいくという感じで、他の野鳥とは違う、外観のどう猛さが振る舞いにも現れているようにも感じます。

 

今日は午前中、一件、自己破産申立の一件書類を仕上げて、午後からはさっと法務局で調査して、ブログをゆっくり書こうかなと思っていたら、とんでもハプニングで、夕方近くまで法務局調査に時間がかかってしまいました。というのは少し古い時期の地目変更登記申請書類の閲覧だったのですが、まず利害関係の証明に少し手間取り、その後記録をさがすのに大変な時間がかかったのです。どうやら倉庫に置いてある膨大な記録の中に、あまりきちんと整理されていなかったのか、あるいはこういった申請が少ないのか、驚いてしまいました。

で、私の調査は、いたって簡単で、単に当該申請書類をカメラで撮影するだけですので、5分もあれば仕事完了です。

 

東京にいる頃、ときおり東京法務局に調査に行き、こういった調査を閲覧室でやっていましたが、ここでは大勢のいろいろな人がかなり広い閲覧室がいつも一杯になるほど、繁盛?していました。当地ではどこの法務局の閲覧室も割合のんきな雰囲気です。がらんとしています。そこが首都圏の不動産取引が世界水準でもトップクラスであるのと違うところでしょうか。

 

で、こういった申請書類は、第一次資料でとても重宝します。いま話題の豊中や豊洲などの土地売買でもそういった第一次資料がほとんどまな板にのっていないので、ある意味想像の域を出ない状態が続いていて、私も多少書きましたが、新聞報道などですので、なかなか実態が明らかにならず、隔靴掻痒の気分になります。

 

その点では、今日の法務局調査は、非常に貴重なデータが入手でき、待った甲斐がありました。手書き部分は誰の筆跡かとか、現況調査や写真で当時の土地の状態が分かります。その他登記申請書類は事件処理においては必須の入手材料なので、多少の手間はやむを得ないのです。

 

関係のない前置きが長くなりました。さて、見出しの件、いつも気になりながら、簡単には書けないな、と思いながら、膨大な報道を垣間見てきました。今日あえて書こうという気になったのは、特別な意味はありません。いつかは書いておくテーマの一つと思うので、きっかけ作りの意味でも、一歩でも前に踏み出す程度の気持ちで取り上げました。

 

私の災害に対する気持ちは、鴨長明のような感覚とは違うのですが、割合、淡々としているのではないかと思っていますので、誤解を招く可能性もあり、事実認識も新聞記事のしかも断片程度しか知らないわけですから、安易な発言は避けるべきと思いつつ、一歩踏み出してみようかと思います。躊躇の気持ちは少しは伝わったでしょうか。

 

今朝の毎日記事は、<東日本大震災6年・復興の検証>というテーマで311に向けて毎年行っている一連の記事の一つでした。<「消防団員の命守る」 自動水門、重い維持費 岩手220カ所、更新費含め年8億円>という見出しで、自動水門の「功罪」というか必要性とその維持費が取り上げられていました。

 

あの大津波の際、<水門や陸閘を閉鎖したりする中、岩手県では団員90人が津波により死亡。うち、閉鎖作業中だったのは48人にも上った。宮城県でも84人、福島県でも24人が命を落とし、宮城では11人が閉鎖作業中だった。>というのです。これは驚きでした。

 

津波の襲来から逃げ遅れた人が多かったでしょうが、彼らは津波の恐怖に耐えて、あえてその大津波が押し寄せてくる防潮堤に向かい、水門や陸閘(りっこう)を閉鎖する作業を行っていて、亡くなったのですから、その職業意識の気高さや勇気に頭が下がります。

 

その意味で、そのような消防団員の悲惨な死亡を二度とださないために、自動で水門が閉まる装置は、多くの人の思いで達成できたのでしょう。高い防潮堤とともに。その分、水門・陸閘も巨大となるでしょうし、自動装置も費用がかかるでしょう。建設費は国負担でも、維持費は各地域で負担するため、今後の維持費に加えて更新費が大変な金額になるというのです。

 

他方で、<防潮堤事業費1.4倍 1.4兆円「資材、人件費高騰」>と、防潮堤の事業費がどんどん増大しています。<東日本大震災で大きな津波被害が出た岩手、宮城、福島3県では、震災前に延長約165キロだった高さ5メートル以上の防潮堤が、約300キロに増える。>と被災地だけでも巨大かつ長大な防潮堤が作られるわけです。しかも<防潮堤の整備対象は昨年9月時点で、青森県から千葉県までの太平洋沿岸で計677カ所に及ぶ。>というのですから、トランプ流の国境の壁ほどの長さには及びませんが、その容積の巨大さでいえば負けていないのではないかと思うのです。

 

その高騰の原因についても不思議なデータが指摘されています。<資材価格を調査している一般財団法人経済調査会によると、生コンクリートは震災前に比べ、東京で7%上がっているが、仙台市は1・6倍、岩手県宮古市では1・8倍になっている。また国交省によると、12年度と現在の公共工事の労務単価を比較すると、被災3県では55・3%上昇しており、全国(39・3%)よりも上昇率が大きい。>となぜか被災地がとくに高騰しています。適切な費用管理ができてきたのか、発注側、受注側にしっかりした管理体制があったのか、気になるところです。

 

このような防潮堤事業について、毎日記事は<高い防潮堤「良かったか」 行政に不満の住民も 宮城・雄勝>と疑問を投げかける住民の声を拾っています。

 

<「住宅は高台移転するのに、いったい何を守るために造るのか」。自宅を流されたすずり職人、高橋頼雄さん(49)は憤る。「地域性や住民の意見を考慮せずにやってしまった。海が見えなくなったら、もう古里ではなくなっちゃう」。仮設住宅で同居する母の自宅が再建されれば、自分は雄勝を出ていくと決めたという。>といった調子です。

 

一年前の記事では、<海と暮らせる 石巻・雄勝波板地区に完成 住民と協議、元の高さに /宮城>として、<高さは住民と協議して震災以前と同じ海抜4・8メートルにとどめ、階段や展望部には住民自ら加工した地元産の雄勝石(玄昌石)を埋め込むなど、なじみやすい形に仕上げた。5月にも近くの高台に自宅を失った住民が移り住む防災集団移転団地が完成予定で、住民らは「安心して海とともに生きられる」と喜んだ。>とあり、<市雄勝総合支所によると、波板地区の防潮堤は当初、比較的頻度の高い100年に1回の津波(L1)を考慮し海抜6・4メートルで計画していたが、周囲に住宅や幹線道路がないことから、既存の防潮堤に地盤沈下した分の1・1メートルを上積みし、元の4・8メートルとした。>と住民との協議の結果で元の鞘に収めたようです。

 

私自身、基本的な考えは、防潮堤はできればなくし、どうしても必要な箇所でもできるだけ必要最小限度にとどめるのが望ましいのではないかと思っています。津波が来たら逃げることが基本ではないかと思うのです。むろん津波発生箇所によっては逃げる暇がない地域もあるでしょうし、一定の間隔で一定の高さの津波は必ずやってくるところもあるでしょう。

 

万全を期して、千年に一度の津波にも対応できるだけの防潮堤が必要なのか、それは最後は地域で決めることだと思いますが、地域相互で意見が違うとか、復興予算の期限に間に合わさないといけないとか、そういった理由で、防潮堤の高さや規模が一律的に決められたのだとすると、大きな禍根を残すのではないかと思っています。

 

現在計画され、どんどんつくられている防潮堤は、海辺の景観、地域の特性、住民の古里への思いを完全に崩壊させてしまうおそれがあるように感じています。海への出入りは、水門や陸閘という狭い空間だけになり、その生活空間は海とは完全に遮断された閉塞した場所になるのではないかと危惧します。いくらきれいに整備され、新しい建物が建ったとしても、海との触れあいをもてない、閉ざされた空間では、本来の海浜の豊かさを味あうこともできない、まるで都会的空間になってしまいかねません。

 

そして水門・陸閘の閉鎖も、自動制御で行われるのであれば、ますます人との絆が失われることになるでしょう。消防団員の死は二度と起こって欲しくないという気持ちはわかります。しかし、亡くなった彼らは、地域のため、仲間のため、家族のため、一人でも救いたいと思い、必至に命をかけてその閉鎖作業を行ったのだと思います。

 

そのような郷土や地域の仲間を愛する気持ちは、海との繋がり、海への愛着から生まれてくるものではないかと思うのです。巨大になればなるほど、人の手による作業は困難となり、自動制御になるのも当然ではないかと思います。規模を小さくして、人の手で開け閉めでき、周囲の人が誰でも開け閉めできるようなものであれば、よりその水門なども身近なものになるでしょう。

 

消防団員の死者がなくなるようにするために、他のさまざまな手法を考えたのでしょうか。巨大な防潮堤ありきではなかったのではないでしょうか。

 

その建設費・維持費などの膨大な費用は、復興ということで惜しみなく支出されてきましたが、ほんとにそこに住んでよかったと思う人が何人いるでしょうか。

 

うまく整理できませんが、今日も時間となり、いつかまた検討して見たいと思います。