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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

アスベストと放射性物質 <石綿規制日英比較と東芝解体の危機>を読んで

2017-02-15 | 企業運営のあり方

170215 アスベストと放射性物質 <石綿規制日英比較と東芝解体の危機>を読んで

 

今朝は少し寒さが緩んだようで、周りは凍てついた氷が光り輝く姿はなく、田んぼにはもう緑の絨毯が薄く敷き詰めたように、初春の佇まいを見せてくれています。

 

今朝の毎日は、東芝問題が大きく取り上げられていました。この問題を検討するだけでもかなり骨の折れる話です。以前も取り上げたウェスチングハウス(WH)の誰も手をださい中で東芝が6000億円でなぜ買収したか、また実価格の2倍以上の破格の値段で購入した結果、多額ののれん代を計上するという不可解な問題が出発点です。

 

買収後も企業統治がほとんど行われた形跡がみられず、福島原発事故前も後も、虚構の事業成績の発表、そしてようやく昨年4月に2000億円の減損計上した後、WHの不可解な紛争相手会社の買収を経て、昨年暮れに初めて7000億円以上の損失発覚という事態は、昨日のてんやわんやの騒動劇を引き出し、一時は日本を引っ張るトップ企業であった面影の一端も見えない悲惨な状況を感じます。

 

この数年間、多くの専門家、ジャーナリストがこの東芝問題を詳細に論じており、私自身もその一部を読みながら、この問題の深さを感じています。と同時に、別の側面について、毎日記事からアプローチしてみたいと思い、見出しのテーマとしました。

 

アスベスト問題については、被害の拡散や深刻さが明らかにされるたび、また、各種の訴訟事件の進展などに応じて、多くが報道してきたと思います。私は、ちょっと異なる視点で考えたいと思っています。アスベスト問題と東芝問題、まったく関係のない事柄ですが、細い糸でなにか脈略を感じているのです。うまく説明できるかはまだ頭の中のもやもや状態なので、書きながら考えてみます。

 

今朝の毎日記事は、<石綿扱う資格、徹底養成 英国の対策/下 講習機関設け除去の質保つ>と題して、石綿規制の日英比較をしつつ、わが国の規制が十分でないこと、イギリスでは、建物からアスベストを除去する作業について、厳格な能力・資格や監督システムを設け、しかも放散を防止する遮断囲いを設けるなど、作業者および周囲の環境保全をはかる制度を徹底する状況を視察報告しています。

 

実際、私自身、アスベストを使用していた時代のマンション取り壊しに際し、近隣住民からの依頼で行政にいろいろ指導監督を求めたことがありますが、法的規制が徹底されておらず、安全な方法で除去しているか確認できる制度にはいなかったことを記憶しています。10年位前の話ですが。

 

他方で、アスベスト被害の救済を求める訴訟は、日本各地で提起され、アスベスト訴訟としては、法務省の分類としては、<石綿(アスベスト)工場の元労働者等や近隣住民,建設業等の元労働者等及びその遺族の方々が,石綿による健康被害を被ったのは,国が規制権限を適切に行使しなかったためであるとして,健康被害又は死亡による損害賠償を求めている事案です。現在係属中のアスベスト訴訟の訴訟類型には,工場労働者型(屋内型)及び建設労働者型(屋外型)があります。>と2つの類型に分類しています。

 

国の作為義務違反は多くの訴訟で認められる傾向にありますが、実際は、国と建材メーカーを相手にした訴訟が提起されており、メーカーの責任を否定する傾向にあります。ただ、毎日新聞報道によると、昨年2月には京都地裁が<メーカーが石綿建材の危険性の警告表示なしに販売、流通させたこと自体を「加害行為」とした。その上で、おおむね10%以上のシェアを持つメーカーの石綿建材であれば、労働者が年に1度は接していた確率が高いと判断>して、加害企業を特定しない手法で、過去の公害訴訟理論をさらに一歩前進させるような、共同不法行為責任を認めています。

 

しかし、今朝の毎日は、札幌地裁が、国の責任を認めつつ、メーカーについては発症原因の企業を特定できないとして、否定したと報じています。

 

私がアスベスト訴訟の概要を取り上げたのは、あくまでプロローグです。これら訴訟は2005年にアスベスト被害がわが国で大きく取り上げられた以降に提起されたものです。

 

アスベスト訴訟は、19887月、住友重機械の退職者8人が、住友重機械(元の浦賀ドック)を相手に「横須賀石綿じん肺訴訟」を横浜地裁横須賀支部に提訴したのが最初ではないかと思います。この訴訟は、企業側の医師が不当な意見を述べて長期化し、97年に一部賠償を認めるなどの和解が成立しています。

 

で、この訴訟の発端は、82年に横須賀共済病院の三浦医師を中心とした研究チームが、過去5年年間のうちに同病院で肺癌により死亡した113名を調査した結果、石綿肺癌が多発していることが判明し、その職場が基地と造船関係だったのです。

 

そして私が取り上げたいのは、次に訴訟となった、第一次米海軍横須賀基地石綿じん肺訴訟です。米海軍の艦船修理等の作業を行って石綿肺などを発症した患者が原告となり、日米地位協定と民事特別法で、米軍への責任追及では被告となる国を相手に、997月に提訴しました。0210月横浜地裁横須賀支部が、米軍の安全配慮義務、国の監督等の義務違反を認め、画期的な勝訴判決を得ました。その後025月に二次、037月に三次の各訴訟を提起し、いずれも第一次訴訟の高い賠償額に匹敵する和解で解決したのです。

 

この訴訟を中心になって手がけた古川さんは、普段穏やかな雰囲気の弁護士ですが、しっかりした識見と強い意志で、国相手にアスベスト訴訟の高い壁を打ち破ったのだと思います。

 

で、横須賀という町、まさに米海軍基地の町であり、自衛隊の基地でもあります。横須賀港に面するターミナル駅・JR横須賀駅を出ると、別世界の感がします。そこには海上自衛隊の艦船が並び、潜水艦が目の前に飛び込んできます。そして遠くには寄港している米原子力空母の巨大な姿も見えるかもしれません。

 

この原子力空母の寄港に当たり、横須賀市民や各地から駆けつけた多くの人々がいかに核の脅威を畏怖し、反対したか、それは単なる不安では止まらない問題を抱えています。

 

むろん原子力発電所に類似する危険な原子力空母が東京湾に長期間、継続して寄港することの危険です。広瀬隆氏は、原発の危険性を訴えたとき、東京に原発をと唱えたのは80年代でしたか、それと同じような事態が現在、継続しているのです。

 

で、なぜアスベスト問題を取り上げたかというと、米軍は、基地労働者に対して、アメリカでは昭和30年代から危険性が指摘され、適切な対策を講じることが義務づけられていたのに、まったく防護措置を講じず、アスベスト被害を発症させたという体質をもっているということです。上記の横須賀支部判決は確定しており、米軍の杜撰な管理を明確に指摘しています。

 

それは基地労働者に対するだけではないのです。空母からアスベスト廃棄物を不法投棄した事実も報道されていました。これはたまたま発見された氷山の一角です。米軍が世界の各地に基地を保有していますが、その撤去後に有害危険物が不法投棄されていたことが問題になることは少ないのです。90年代半ばだったと思いますが、カナダでも撤去した基地敷地内に埋設された大量の有害廃棄物の処理をめぐってカナダ政府と紛糾していることが取り上げられていました。

 

現在横須賀基地に寄港する原子力空母は、二代目のロナルド・レーガンですが、その放射性廃棄物の処理が適切に行われているのか、知る機会はないのに等しい状況です。と同時に、北朝鮮の危うい挑発は、いつ米国、一番正確に狙えるのはまさにこの空母ではないかと愚考しますが、横須賀が標的とされるおそれが決して低いとはいえないと思うのです。仮に、万が一にも核攻撃は別にしても、ミサイル攻撃で命中したとき、核爆発が起こらない保障はあるのでしょうか。可能性がほとんどないとしても、万が一にも起こったとき、東京湾は閉鎖的水域に近い状態で一挙に、東京湾一帯、首都圏は放射性物質に汚染され、それはわが国にとって未曾有の再生困難なほどの被害となるおそれがあります。むろんそのような可能性はないと信じていますが。

 

他方、WHが行っていた原子力事業の問題です。いまもって実態が不透明です。WHは原子炉の設計を行う会社で、建設は別会社が行っていたようですが、スリーマイル事故以後、アメリカでは原子力事業は長く停止していたのであり、WHがアメリカにおいて実際の原子力事業の事業化可能性をどの程度有していたか、検証する必要があると思います。少なくとも東芝は、自ら原子力事業を行っていたのにもかかわらず、その原子炉の形態がまったく異なるとしても、購入時、WHの能力をまったく評価できておらず、また、購入後の受注や事業遂行の状況をまったく統御していなかったことが、今回歴然となりました。

 

そのような東芝が、WHを含む原子力事業から基本的に撤退することは当然としても、問題は、福島第一原発の廃炉作業を担っている事業についても、ほんとうに委ねてよいのか、改めて検証が必要ではないかと思うのです。

 

アスベストというとても便利で汎用性がある物質は、静かな時限爆弾と言われるように、半世紀後も経過して発症することもある、極めて有毒な物質であるのに、その廃棄処理は簡単ではありません。とはいえしっかり徹底すれば、イギリスの制度のごとく整備すれば、相当程度危険性を確実に除去できるわけです。ところが、わが国も、アメリカも、それを怠ってきたのです。

 

そのような安全への配慮が十分でない政府の下で、東芝は土光時代の高度な遺産を食いつぶして、組織自体がずたずたな状態になっているおそれすらあります。不正会計発覚後、一体何人のトップが代わったのでしょうか。第三者委員会という組織も型どおりの調査だけで、組織の本質的な膿を避けてしまいました。

 

そして原発、その廃炉が抱える放射性物質の危険性、その処理は、アスベストの比ではないことはあきらかです。政府や関係者は、東芝が廃炉を今後も担当する主力としているようですが、すでに医療機器や白物家電というまっとうな事業体で収益事業を売り払い、今度は稼ぎ頭でしっかりした事業体である半導体も売らざるを得ない状況です。そうなると、一体、東芝には何が残るのでしょうか。

 

四半世紀前、東芝を先進的な有力企業と思い、その活動を勉強したいと思っていた私ですが、いまは残念な気持ちを抱きながら、福島復興再生のために金字塔となるべき、廃炉作業を担える組織といえるか、その不安を払拭するだけの検証を行わないと、廃炉事業事態が底なし沼に入り込む危険性すらあると思うのです。廃炉事業を担う三菱重工業についても、たとえば仏アレバ(沈みゆく船とも批評される)への出資の計画は、大きなリスクをかかえたばかりか、東芝の二の舞にならないとの不安を払拭する説明が必要ではないかと思うのです。