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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

障害・差別と高い技能 <健常者マッサージ師学校 新設制限・・違憲か>を読んで

2017-02-05 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

170205 障害・差別と高い技能 <健常者マッサージ師学校 新設制限・・違憲か>を読んで

 

今朝は雨足がなかなか途絶えません。昨日は研修で和歌山に出かけていったので、今日は久しぶりに密集竹林のどこから攻めようかと昨夜頭をめぐらしていたのが無駄になりました。

隣家の竹林なれど、小川に倒れ込み、さらにわが家のヒノキ林にもたれかかってくるのは、見過ごしにくいのです。といってわが家の草刈もなかなかやれていない状況ですから、優先順位をどこにおくか、いつも悩んでいます。ま、悩みといえるかはともかく、作業をするまでは頭の中でいろいろ考えますが、作業を始めると、もう作業に熱中するので、すべて忘れます。身体作業のいいところでしょうか。

 

さて見出しのタイトルは、毎日朝刊の社会面に大きく掲載されていました。法律の正確な名称は「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」です。「あはき法」という略称は、この記事で初めて知りました。また、19条で、<視覚障害者が生計に困らないよう、国は視覚障害のない人のためのマッサージ師養成学校の新設を制限できる>とされていることも、なんらかの視覚障害者保護規定があるかと思いつつ、この記事で初めて知りました。

 

なぜ驚くかというと、その規定自体が53年前にできたということですから、1963年新設でしょうか、それまではなかったこと、その後現在も規定が生きていることに少々びっくりしました。

 

というのは、私自身は、80年代後半頃からつい最近まで、マッサージを中心に、針・灸など継続的に治療を受けてきましたが、一度も視覚障害の方から治療を受けたことがありませんでした。だいたいあん摩マツサージ指圧師という広告もあまりみかけなかったように記憶しています。

 

で、私が視覚障害者の方の仕事をしたのは、ご夫婦の方で、一方が任意後見、他方が成年後見の手続きをしました。いずれも過去に按摩マッサージ師として活動されていたと言うことで、多少の知識をえましたが、もう高齢だったこともあり、仕事の話はあまり関心がなかったですが、やはり仕事の量が減ってきたのと体力が持たなくなったことで廃業したということでした。そして身内がないことから、献体の遺言をされるということで公正証書づくりを支援した程度です。任意後見の方は、当地に移るまで担当していたので、定期的にお会いしていましたが、目が不自由なため、次第に元気がなくなっていったのを思い出します。成年後見の方は、少し利害が対立する可能性があったので、知り合いの弁護士にやってもらいました。

 

そんなわずかな経験ですが、すでに施設に入居していて、目が不自由なため、やはり生活はいずれも簡素でした。高齢であったこともあり、穏やかではあったのですが、ラジオを聞くとかちょっとしたことを楽しみにしていたように思います。海辺のそばにある施設でしたので潮騒の音に安らぎを感じていたように思います。

 

と見出しのタイトルと次第に離れた内容になってきましたが、他方で、私が受けていたマッサージ治療は、非常に人気があり、各種スポーツ選手がやってくるようなところで、スタッフも相当数いました。1時間くらい全身をマッサージしてくれ、最中もいろいろアドバイスをしてくれたり(実際はほとんど眠り込んでしまいましたが)、相当リフレッシュできました。とはいえ、週一回まではいけなかったと思いますが、定期的に行っていた割には、結局、大きな改善はなかったのです。そこの治療が悪いというのではなく、それ以前も、その後も、針・灸・カイロプラクティック・温冷療法などなど、さまざまな治療を受けましたが、やはりそこのマッサージが一番よかったと思っています。

 

ここで私のつたない経験を話すのは、マッサージという仕事は、たしかに視覚障害者にとって生活の糧となる重要な職業と思いますが、現在、さまざまな仕事上の軋轢などで、身体的・精神的不調を抱えたり、とりわけスポーツ選手のような場合の深刻な症状の場合、より効果的なマッサージを行うことができる人に、自然と足を向けるのではないかと思うのです。

 

むろん視覚障害者の人であっても、長年の技量でコツをわきまえれば、必要以上の力を出さなくても効果的に血流をよくしたりするなど、適切な治療をほどこすことができる人もいるでしょう。

 

しかし、20世紀という時代は別として、現代において、視覚障害者の人の仕事として、マッサージという分野を特に絞って、健常者たちの参入を抑制してまで、その権利擁護が必要かは、そろそろ考えてもいいのではないかと思います。

 

なお、毎日記事は、<国は障害のない人のためのマッサージ師養成施設の新設を「当分の間、承認しないことができる」と規定>と「あきは法」を紹介していますが、文字数が制限されているからやむを得ないかもしれませんが、正確ではありません。

 

この19条は、附則という変わった形式で、追加されており、条文自体は、次のように定めています。

 

当分の間、文部科学大臣又は厚生労働大臣は、あん摩マツサージ指圧師の総数のうちに視覚障害者以外の者が占める割合、あん摩マツサージ指圧師に係る学校又は養成施設において教育し、又は養成している生徒の総数のうちに視覚障害者以外の者が占める割合その他の事情を勘案して、視覚障害者であるあん摩マツサージ指圧師の生計の維持が著しく困難とならないようにするため必要があると認めるときは、あん摩マツサージ指圧師に係る学校又は養成施設で視覚障害者以外の者を教育し、又は養成するものについての第二条第一項の認定又はその生徒の定員の増加についての同条第三項の承認をしないことができる。

 

つまり、毎日記事は、単純に、下線部のみ引用していますが、健常者のための新設や定員増加について、学校・施設の生徒総数に占める健常者の割合その他を勘案して、承認しないことができるとしているのです。この比率は視覚障害者の生活維持に困難かどうかを判断するのにさほど大きな影響を与えないのかもしれませんが、「その他の事情」は毎日記事でも指摘されているように、<新設制限のないはり師、きゅう師の学校はこの約20年間で7倍に急増しているが、障害のない人が通えるマッサージ師養成施設は約20カ所と半世紀変わっていない。>という点は、新設や定員増を制限することが果たして有効か問題にされてもよいと思うのです。

 

他の競合する業態が増えているので、マッサージ師まで増やすとますますジリ貧になるとみることもできますが、むしろ視覚障害者のマッサージ師の活躍の舞台を広げるような方策を検討することの方が彼らの生計を成り立たせたり、技能発揮に効果的ではないでしょうか。

 

と同時に、視覚障害者の仕事の道、幅を狭めるような保護制度になっていないか、検証してみることも必要ではないかと思うのです。

 

江田祐介和歌山大教授の「日本の盲人史」によれば、彼らは多様な能力を発揮してきました。その芸能の多彩さ豊かさは、わが国の文化を豊かにしてきたと思います。琵琶の名手である蝉丸、琵琶法師として平家物語などの文学を貴人だけでなく庶民に普及させ、高度な文化を形成させる一翼を担ったのですから、彼らの芸能的才能は人々から敬慕されていたのではないかと思うのです。今様の稀代の名手である後白河法皇ですら、盲人の歌唱について「いと尊く侍りき」と言われるほどです。その暗唱力、歌唱力、またさまざまな楽器の演奏力は健常者がとてもかなわないものだったのでしょう。

 

それは現代でもたとえば、故高橋竹山氏の津軽三味線や、辻井伸行氏のピアノ演奏に心を揺さぶられない人はいないでしょう。視覚障害者によるパラリンピックをはじめ、さまざまなスポーツへの挑戦も心惹かれます。そういった特別な才能がない方もいるでしょうが、視覚障害者の道はもっと広げる方向で検討される時代ではないかと思うのです。

 

その才能の豊かさは、塙保己一のように稀代の暗唱力や構成力を発揮された人もいますが、司法試験くらいなら合格できるだけの才能を持った人(むろん視覚障害者で現在合格された方は大変な努力をされていることを前提にしてですが)も、点字を含めさまざまな新しい支援技術を利用すれば、これから増えていくことも期待したいと思います。活躍の場はもっとひろく見てあげる必要を感じています。

 

で、このマッサージ師という職業を視覚障害者の主な生計の手段とするという考え方は、江戸時代に(総)検校を筆頭にして巨大な官僚的な体制になる一方、運上配当や座頭貸しという金融業として強大な権益を握ったことが現代に到っても、残滓としてなにか背景にないのかを疑ってしまいます。これらの制度は、明治維新で廃止されているので、そのような故考えは不見識かもしれません。ただ、視覚障害者の多様な能力をマッサージ師などに狭めてしまうような教育システムが現在も維持されているのであれば、再検討してよいのではないかと思うのです。

 

なお、マッサージ師が行う施術は、その体全体や部分の役割や効果に対する説明などを含め、高く評価されるべきだと思っています。それを前提に、視覚障害者の道をさらに広げてもらいたいとの気持ちで書きました。