170228 AIの功罪 <投資信託 「AI」次々 膨大な資料分析・株価予測>を読んで
今朝は少し凍るような空気の冷たさ。でも空は晴れ渡り、朝日が和泉山系の稜線を輝かしていました。これはチャンスかなとつい思ってしまいます。あの「関西のマッターホルン」が見えるかなとの期待です。見えました、遠くに、しかしぼんやりと。やはり吉野当たりで陽炎でもあるのでしょうか、よく見ないと分かりません。でも形のいい三角形が、連山の中ににょきっと突き出す形はやはり評判どおりでいいです。
今日もなにやら訴状作成や法律相談、打合せなど、諸々の用事があって、なんと時計を見ると帰る時間です。さてこれから何をテーマにしようかと毎日記事のウェブ情報をスキャンしてみましたが、どうもぴんときません。ちょっと困りました。でも千日行?ならぬブログをやるつもりですので、この程度で中断しては情けない。無理矢理、テーマを引っ張りだし、記事の中身を中心に、学びながら、少し考えてみようかと思います。
投資信託はたぶん昔一度くらいはやったように思いますが、私の好みでもないので、それっきりで、いくら勧誘されてもというか、もう勧誘されなくなって20年以上にもなるので、さて現状はどうなのかよくわかりませんが、記事を見ながら考えてみようかと思います。
記事は、<人工知能(AI)を運用に活用する投資信託の設定が、国内で始まっている。>として、海外ではかなり前から活用されているようです。当然でしょう。ポートフォリオなんかは、AIを活用しないと、大量の情報を収集整理分析できないと思うのです。いままでも部分的には使われてきたのかもしれません。
<米系運用会社ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント>、ウォール街を牛耳り、トランプ氏ももしかして手の中で踊らしている?ような企業ですから、記事が指摘するように、当然、個人向け商品にAIを使用しているとのこと。
<人間が日常的に使う言語を読み込んで理解する「自然言語処理技術」を活用し、過去のアナリストのリポートなど100万本以上を分析。アナリストが個別銘柄を「買い推奨」する前に使いがちな言葉を見つけだすなどして、日本を含む先進国株式の中から値上がりが見込める銘柄を選ぶ。>
ということは、アナリストがいらなくなる?そうしたらゴールドマン・サックスの稼ぎ頭もいらなくなるということにはならないのかと思うのですが、そうならないように商品化するんでしょうね。
この<「自然言語処理技術」>は、投資信託だけでなく、広範囲に応用が利く可能性があるように思います。どんどん知能が発達していき、いずれは医療、法律・会計実務といった、いままで高度の専門知識・技術が必要とされてきたと言われる分野も、統計分析に加えて、過去の多様な人の裁量的判断やその基準、その適用方法も、あっという間に、問題に答える、いや創造的な発想も生まれるのではないかと、半信半疑ながら期待と、不安とが入り交じりつつ、予想してしまいます。
今回の記事で新味は次のような部分でしょうか。
<新たに登場したAI投信は、「ディープラーニング(深層学習)」などの新たな技術を使い、画像や文章などの膨大なデータをAIが学習し、自らその特徴を見つけて投資先選定に活用する点が特徴だ。人間が気づいていなかったデータと株価の関連性を発見する可能性もあるという。>
この「ディープラーニング(深層学習)」という言葉も、最近時折耳にしますが、実態がよくわかりません。「自然言語処理技術」とどこがどのように違うのか、共通するのか判然としません。とはいえ、人間の考えを画像情報や文章情報からAIが学習して、人の思考能力の発達以上に進化するのかもしれません。
問題も指摘されています。<米大統領選でトランプ氏が勝利した後に起こった株価の上昇「トランプ相場」のように、一つのニュースで市況が急激に変わる場面では過去のデータが使えなくなるため、AIには予測が難しいという。> それは当然でしょう。
結局のところは、人間の能力を基礎にしていることと、過去の株価の動向と多様な社会事象に係わる情報を基礎にしているのですから、限界はあるでしょう。ただ、情報処理能力が高いので、1万年のさまざまな災害情報を含め気象変動なども情報自体は膨大に蓄積し、アウトプットも容易にできるようになるのでしょう。
しかしながら、このようなAIで予測される投資行動は、情報の方向性が単一化するおそれも感じます。万が一、AIが同じ方向の予測をして、多くがその情報に依拠して投資したとき、別のベクトルに向かう事象が発生したら、大暴落になる可能性も十分あるように思えます。
いまのトランプ相場の急騰は、いつまでも続くかのような見えない糸をがむしゃらに追っている大衆の裏で、反転することを予測してずるく投資するウォール街をはじめ巧妙な投資家によるえさ場になってしまう恐れを十二分に感じてしまいます。
AIはその結果に責任をとることはできないでしょう。まさか装置を破壊するといったことでは責任はとれないでしょう。AIを人類の将来がほんとの豊かさを勝ち取るための手段として適切に使われるのであれば、よいのですが、このような投資に使われること自体、果たして有益な役割を果たすのか疑問なしとしないのです。むろん、一定の価値観を追求する、それは多くの人にとって有益となる、まいえば、最大多数の幸福といったものがあれば、そういう価値を達成するのに、有効に機能するのであれば、今後も投資に活用されることを期待しますが、単なる利益拡大のためであれば、いかがなものかと懸念するのです。
今日は無理矢理、引っ張りだしたテーマなので、いつも以上に、無理筋議論が続きました。最後に、<個人などが保有する投資信託の純資産残高は1月末時点で約97兆3900億円>とのことですが、これを多いとみるか少ないとみるかは、意見が分かれるでしょう。投資残高の多寡も重要でしょうが、その内容です。欧米では、遅くとも90年代以降、投資先選択がファンドの価値とも繋がり、さまざまな運動とも連携しています。
わが国では、政府の株式投資への積極的な働きかけもあり、年金基金だけでなく、公益法人、宗教法人など多様な組織が投資するようになってきたと思います。しかし、その投資のあり方について、その法人や運動体の目的に適合するかとか、その追求する価値観と整合性を持つかといった観点が欠けているように思うのです。単に投資による収益が黒字になった、いや赤字で大変だといった、企業の収支と同じようなスタンスで投資(信託)に参加しているところが大半ではないかと危惧しています。
それは投資に当たって、適切な価値基準を設けて、意思決定していないところに問題があるのではないかと考えています。投資は、場合によって投資先企業がさまざまな事業活動を行い、社会貢献に繋がる側面をもっていると思います。その意味では、まさに当該法人にとっては、自分に代わって、自己の目的ないしは付随ないし関連する目的を実現してくれる可能性を十分持っています。ある意味では、自己以上に、企業の事業活動で、目的を達成してくれるかもしれません。
そうでなくても、企業活動について、望ましい事業選択や事業化を求める意見を述べる株主になったり(これは株式投資ですが)、そうでなくても投資信託を担うファンドなど担当者に、自己の存在理由や目的に適合する投資先選択を求めることも、期待されてよいのではと思うのは、わが国の現状では筋違いになるのでしょうか。現実性のない甘い夢を語ってしまったかもしれません。もう少しで①時間になるので、この程度で今日はおしまいにします。