たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

喜びは創り出すもの <NHKBS「ターシャ・テューダー四季の庭」>を見て

2017-02-19 | 心のやすらぎ・豊かさ

170219 喜びは創り出すもの <NHKBSターシャ・テューダー四季の庭」>を見て

 

今日は小春日和というか、まるで春の訪れを感じます。久しぶりに竹木の枯れ木を伐倒しよと、気分よく出かけていきました。少しは冷えを感じますが、ちょっと動けば暖まるので、ちょうどよい感じです。

 

そんなわけで竹木などの伐倒と枝打ちで4時間以上楽しみ、筋肉痛があちこちでてきました。そしてNHK囲碁番組で、一力氏の山下敬吾氏をねじ伏せる豪腕ぶり?というか、大変な一番を途中から見て、何が何だか分からないけど、もう勝負あったという解説にそうなんだと思いながら、若手のホープはまた伸びしろを見せてくれたような気がします。

 

今日は昨夜見た録画の番組を取り上げたいと思っていますが、その前に、ターシャさんの庭づくりが一人でやってきたということに驚きつつも、私自身も比較にならないけど狭い空間で興じている状況を少し紹介しておきます。

 

まずは倒れ掛けの竹木を根っこから取り除いたり、途中からアメリカのレインジャーも使っている?という広告で買ったノコギリで、次々と切り倒していきます。さすがに切れ味がよく、これでヒノキの木も切り倒します。

 

これは一本伐倒するのに、かなり体力を消耗して、年齢を感じてしまいます。ヒノキを伐倒するときは、基本マニュアルに従って、受け口を用意して、追い口を切り、そして狙った方向に倒すのです。ところが、前に立つヒノキの枝にひっかかってしまいました。ほんとはこういう方向に倒すのはダメなんですが、木自体が斜めになっていて、無理して方向を変える方が危ないと思ったので、引っかかることはやむなしと思っていました。胸高径が10㎝程度の細い木ですので、あまり緊張もなく、少しずらしながら、枝から滑るようにして倒しました。

 

その後、ある程度伐倒木がたまったので、というかはじめから、以前の焼け残った木と枯れ木を焼いて暖をとりながら、切り倒していて、消えそうになったところに、大量に焼くわけです。頭上高く炎が舞い上がるのはいつ見ても気分がいいものです。

 

今日は、気分がいいので、久しぶりに、ぶり縄(ヒノキの枝とロープを使って足場を木につくりながら登っていく杣の昔ながらの手法の一つ)で、枝打ちをやりました。ヒノキの木、高さ10mくらいでしょうか、胸高径が25㎝くらい、大量の枝が張っていて、見苦しいので、今度は竹用のノコギリで、枝を切っていきます。実はナタを持ってきていたのですが、これはプロでないと細い枝は別として、径が数㎝以上5㎝くらいになると、うまくできません。プロだと、簡単に枝打ちしますが、私のような素人だとナタでかっこよく落とすと言ったことはあきらめています。

 

ともかくそれでわずか一本のヒノキの木、たぶん8m近くまで登って枝打ちしましたが(ほんとはそんなに高いところまでは必要ないでしょうが、私のは道楽ですので)、その枝の数は数十本で上から下を見下ろすと数十本が山のようになっています。なんともすごい量の幼子のような手の指を広げた感じの緑葉が一杯あります。

 

火にくべると、パチパチというか、音の感性がいいと、うまく表現できるとおもうのですが、この火との相性がいい印象を感じるのです。

 

そうやってへとへとになって家路の道を歩いていると、柿畑のところでは、緑の絨毯の中に、青白い小花が一杯咲き誇っています。オオイヌノフグリがいつの間にか群生しているのです。そのすぐそばでは、ホトケノザもピンク色で仏さんでもいるのかなと思ってしまう可憐さで一体に広がって佇んでいます。

 

さて本論のターシャさんの庭の世界にはいって行きたいと思います。これは2005年に放送した番組で、アーカイブで録画していたのを昨夜、月尾嘉男著「地球千年紀行」(BS番組を書籍化)を読みながら、美しい音楽と語りを聞きながら、ついつい画面に、内容に引き込まれてしまったのです。

 

月尾氏の先住民の叡智を語る内容も、都市問題の先達として、同じカヌーイスト(といっても当方は20年以上パドリングしていないので精神面では少し理解する程度)として、いつか紹介したいと思いますが、今日はターシャさんの世界にどっぷりつかりたいと思います。

 

ターシャさんは絵本作家として生涯現役を通したようです。そして結婚生活は恵まれなかったものの、シングルマザーとして、自分で開墾して農産物をつくり、料理も自ら工夫してつくり、子育てをしてきたのです。これだけでも素晴らしい生き方だと思うのです。そのターシャさん、休む暇などない中、小さい頃から好きだった絵を描く趣味を生かして、絵本作家としてデビューして、大変な評判になったようです(残念ながら私は絵本に関心がないわけでないのですし、嫌いではないのですが、読む時間がとれていないため彼女の作品を知りませんでした)。

 

そのターシャさんが庭造りを始めたのは、1972年、57歳のときからというのですから、驚きです。この年齢、いままで関心を抱いた人の、何人かはこの年代で新たな人生を切り開いています。私の場合、そんな気持ちもなかったわけではないのですが、いつの間にか通り過ぎてしまっています。とはいえ、模索しているので、ターシャさんの生き方は非常に参考になります。

 

そのターシャさん、一人で庭造りを始めてて、いまでは30万坪になったというのです。約100haですか、すごいですね。私は1haも満足に管理できていませんが、その100倍もの広大な面積を、自らの考えに沿って、庭を造っていくのですから、素晴らしいの一言です。

 

さまざまな花、むろんローズのような豪華な花もあれば、路傍に咲く花も、みな一緒に、それぞれの生命を大事にして、それぞれが色とりどりに自らを満足させているように、生かそうとしているように思えるのです。

 

私は、カナダBC州の州都ビクトリア市で毎年行われているガーデンツアーに参加したことがあります。多くは豪華な屋敷にバラなど豪華絢爛な花が見事に手入れされていて、そのツアー自体は満足できるものでした。また、テレビ番組で、イギリスで行われているイングリッシュガーデンの審査といったものを見ましたが、多くの人がその評価を得よと大変な工夫と苦労を重ねている様子が紹介されていて、ほんとにイギリス人は庭造りが好きなんだなと感心しました。わが国では、古くからの農家も庭造りを大事にしていますが、多くは庭師に委ねていて、彼らの流儀でいわゆる小規模の日本庭園的なものが家庭につくられています。

 

いずれもそれぞれの趣を感じますが、私が好む方向とは大きく異なっていることを感じていました。あるとき北海道の40代くらいの人でしたか、野草をかなり広大な敷地の中で、その土壌条件や特性にあったものを選んでつくっているのがテレビで紹介されていましたが、それは私の感覚と少し似通った感じを受けました。しかし、ターシャさんの場合はその生き方自体が、とても刺激されるものでした。

 

といってもターシャさんの日常は、いたってスローライフそのもの、一時も何かをしようとすると同時に、静かに佇み、紅茶を楽しむ時間も大切にしています。でも、農作物も、食べ物も、もちろん花たちも、すべて自分でつくっていくのです。だから一日はあっという間に終わってしまうわけです。他方で、おそらくTVITも外部からの連絡もほとんどないようにも思えます。

 

そのターシャさんの魅力の一つは、生き物との深い絆とユーモアではないかと思うのです。ひょいと衣服の前を開けて、見せてくれたのは鳩の幼鳥でした。驚きました。最初は鶏の雛をおなかに入れて育てたそうです。それを話すターシャさんの、おもわずしてやったりという表情であふれていました。

 

そしていつもスケッチをしています。さっと鉛筆が走ります。自然な動作です。

 

私も高校生くらいまで、絵を描くのが好きで、面白くない授業の時はいつも絵を描いていました。いつのまにか絵を描くことを忘れてしまった自分をつい思い出してしまいます。絵を描くことの楽しさはまた違う自分になりえるとおもったりするのです。そういえば、四半世紀前ころ、東京弁護士会の広報委員をやっているとき、マンガで弁護士の活動を紹介する企画を立てて、久しぶりに絵のコンテ的なものを書いて企画として提案し、そしてむろんプロの漫画家による、弁護士会初のマンガ出版をしたことを思い出しました。あのマンガはどうなったのかしらと思いますが、私の企画では自転車に乗って(東京でエコロジカルな生活を表現)活動するといったコンセプトでしたが、それは採用されなかったように思います。

 

いつもの脱線が続きますが、このブログも書くことに一段落したら、絵の世界に入るのもいいかななんて思ったりしています。この年で無理と言われても、北斎流にいえば、これからが絵描きの本領発揮かもしれないと、比較にならない人の話をだしても意味がありませんが、夢は夢としてもっておいても損はないかも。

 

で、ターシャさんの一つ一つの所作がとてもいいのです。暖かくなると、裸足で草原に踏み入れます。いや、これは素敵です。私も農村にやってきているのに、裸足になって田畑や山林に入ったことは、自然農をやっていた2年だけ。それもほんのわずかな期間です。裸足で歩くことこそ、自然を五感で感じる有効な方法だと思うのです。

 

昔、ボルネオや、ブラジルなどの先住民の案内で、ジャングルの中に入っていきましたが、彼らは裸足です。足の甲は分厚く、その裏は固さがすぐ分かります。それで土の変化も分かるのだと思います。私も裸足の生活をいずれはやってみたいと思っています。木登りなんかは、子どもの頃、むろん裸足でした。自分でつくった土であり、庭であれば、裸足こそ、一番だと思うのです。

 

ターシャさんは、自然の音のみに包まれているように思えます。野鳥が果樹や花の蜜をあさりに次々とやってきて、その鳴き声がこだまして、後に聞こえてくるのは風の声くらいでしょうか。農村でも、なかなか人工的な音が絶え間ないのが普通です。わが家はまださまざまな野鳥がやってくるので、野鳥の鳴き声が騒がしいくらいですが、それでも線路のそばなので、時折通る電車の音が煩わしいですが、100haの地上の楽園では、そのような心配は不要ですね。

 

ターシャさんの考え方がとてもいいです。見出しで取り上げましたが、「喜びは創り出すもの」というのです。シングルマザーとして自立して、90歳を超えても、子どもにも、行政にも頼らず、それまで自分で成し遂げてきた、自分の考えでやってきた生き方を続けているのです。そのターシャさん、喜びは誰かが与えてくれたりするものでなく、自らの手で創り出すものというのですから、彼女の人生観そのものなんでしょう。

 

ターシャさんは、先祖から受け継いだ料理道具を大切に使っていて、開拓期の入植者の精神や生活を大事にしています。故郷を追われてアメリカにやってきたかもしれないけれど、自由と平等で、自立して生きていけば人生が開けると、高い理想を掲げ、個人の尊厳を大事にしてきた先祖の思いをしっかり受け継いでいるように思えるのです。いまアメリカは世界の富を一部が独占しようとしていますが、開拓期の自由と平等、個人の尊厳を大事にする精神を失いつつあるようにも思える中、ターシャさんの言葉は至言だと思うのです。

 

ちょっとここでもう一人、私自身、とても気になる女性がいます。ビアトリクス・ポターです。ピーターラビットの生みの親で、絵本作家として、ターシャさんの先輩に当たります。彼女は、絵本作家として活躍したのは割と短い期間ですが、もう一つ、彼女を有名にしたのは、湖水地域の保全活動に寄与し、4000エーカー(1600ha)をできたばかりのナショナルトラストに寄付したことでしょうか。私自身は、映画「ミス・ポター」で、ポター役を演じたレニー・ゼルウィガーがとてもかわいらしく、それでいてユーモアたっぷりに自立した女性像を見事に演じていたと印象が残っています。それに絵本の魅力(絵本の世界がアニメ的に動き出す)と湖水地方のうつくしさが見事にマッチしていました。

 

ターシャさんとポターさん、生き方は相当異なると思います。アメリカ・バージニア育ちの女性と、イギリス・ロンドン育ちの女性、時代もビクトリア朝全盛期に育ったポターさん、その後に世界を席巻するアメリカで育ったターシャさん、時代も背景も異なるから当然ですが、いずれも女性の自立を鼓舞することなく、自然の流れのように、それでいて自分自身の立つ位置は一歩も譲らない、確固とした生き方をした女性として、尊敬に値すると思っています。

 

ターシャさんは、自分の庭が、現代科学の力を取り入れない方法で、いわゆる手作りで作り上げたものですが、90歳をすぎ、さまざまな衰えを自覚し、そろそろ自分のつくった庭を、自然に戻すことを考えていました。そのこと自体、すばらしい考えではないかと思うのです。自分のやり方で、持続的な庭づくりができないのであれば、別の方法で維持されるより(それは自然破壊につながるおそれや、本来の自然と調和する庭ではないとのかんがえではないかと思うのです)、元の自然に戻すことが、変えてしまった人の責任だといった考えに基づくのではないかと思いました。これがアメリカ建国の精神ではないかとも思うのです。

 

幸い、孫がその年、結婚して夫婦で、彼女の庭を訪れ、彼女の庭造りやロウソクづくり、アップルジェリーや、アップルジュースづくりなど、さまざまな伝統的な作業を手伝う中で、いつの間にか、彼女を師匠のように慕い、その庭造りを彼女の指示で今後も行う意思を固めたようでした。ターシャさんのそのときの笑顔は、とても安堵の気持ちが表れていたようでした。喜びは、人に感動を与え、人がその感動を自らのものにすると、今度は人に喜びを与えるものかもしれません。喜びの連鎖というか、繋がりは、あちこちで広がるといいですね。


最後に、わが国の農地法制について一言。ターシャさんは農家でないのに、農地?を取得しているようですが、わが国ではこのような取得はできません。もう一つ、欧米の土地規制の中でとても重要と考えている一つは、土地分割の禁止制度です。わが国では当たり前というか、相続でもあれば自由に分割しますし、それは農地、宅地問いません。この自由は、欧米の財産権制度の中では異例です。それがわが国ではさまざまな問題を起こしている要因の一つと考えています。余分な話ですが、今後検討すべき重要な問題の一つと考えています。また脱線しました。