<添付画像>:映画「硫黄島からの手紙」、映画解説パンフレット表紙より・・
実は、その日は絶対に「武士の一分」を観に行くつもりで自宅を出たけれど、市内に辿りついたら突如として気が変った。行きつけの喫茶店でモーニングを注文し新聞に目を通しつつ時間調整の後、朝の第一回目上映時間(午前10時30分)に間に合うよう、何か得体の知れない4次元世界のモノノケにとり付かれたかのごとく、さりとて平常心にて粛々と我が心臓の鼓動高まるを抑えつつ、前々日と同じ映画館に入ってしまった。先日(1月30日付)投稿記事「映画・硫黄島からの手紙を見終って」から、わずかに一日の間を置いてのち、今月2月1日のこと、かくして2時間21分間、性懲りもなく2回、「同じ映画」を観てしまった、、、。
(以下、本日記事の本文・・)
何故に2度も同じ映画を観に行ったのか? 理由あり・・・
栗林中将役の渡辺健さんのセリフの数箇所、どうしても確認しておきたい個所があったのだ。
それらの確認は?
完全に出来た!
解った・・・
先の記事投稿には、多くのコメントをお寄せ頂いている。
先週金曜日2月2日から本日まで、書こうと思い思い続けてきた「硫黄島からの手紙」レヴュー記事・・・
やはり書けない。
そして、書きたくない。
先記事にコメント頂いたTSさん始め、読者各位とのお約束をたがえるけれども、やはりココは、
「この映画を、2度も観てしまった・・・」
という『ご報告』だけに留め、本日投稿を終えたい・・・
そこで一言、
いや、どうしても、二言?付け加えて「締め括り」たい!!!
1)
もう一度、我輩自身の問題として、近代史としての昭和史を「歴史の事実」として関連文献を読みこなしたい。もって「近代日本経済発展の歴史的考察」に切り口を求め、昭和史を考察したい。
要点としては、明治維新以降の「日本近代経済発展の歴史」に焦点をあて、日清戦争日露戦争会戦に始まり、さらに日中戦争から大東亜戦争に至った経緯と戦争史歴史の稜線と谷間の「影の部分」を、国際経済の視点観点から紐解いてみたくなった。この日本国近代史の考察に欠かせないものは、第二次世界大戦における、日中戦争と大東亜戦争の仔細なる事実を見つめることか。日本帝国海軍に関わる著作はある程度満足のいく資料あれど、あまりにも日本帝国陸軍の史実を取り上げた著作が少なすぎる。その意味からすれば「硫黄島からの手紙」は、数少ない「陸軍将校」の観点視点からの史実を、思想的な偏りなく語った叙述誌的映画作品か。このあたりがクリントイーストウッド的である。
我国近代史を「近代経済の発展史」の切り口にて捉えると、おのずと戦争の歴史を直視せざるを得ない。なぜならば、当時の戦争は、国家と国家の経済戦争のぶつかった極限であるからだ。すなわち、史実としての日中戦争と太平洋戦争から、論点視点を外すと、後は何も見えなくなり、近代史考察はその時点で感情と思想の彼方に追いやられるから始末が悪い。戦後60年間或いはそれ以上、近代史研究は封印されたままだから、この先我国の進路方針は今もって定まらない。歴史を無視する国家と民族は、非文化的にしてアイデンティティーすら持ち得ない「非発展的国家国民民族」と定義可能か。ならば我々日本民族は、将来の夢も希望も持とうとしない一哺乳類動物に逆戻りするを望むのか?感情論抜きに我国近代史を直視できず、国家観を無視し、さりとて持とうと自覚しない行為たるは、あまりにも馬鹿げているではないのか?
かくして明治維新以降の我国日本に於いて、我国と我国を取巻く各国の経済的関りから切り込む「近代経済発展史と昭和戦争史」の考察!
もって、お涙ちょうだい的感情の拘りなく、左右の思想介入なく、真っ当な日本近代史を考察を継続したい、、、。
たぶん、これは我輩のライフワークになるであろう・・・
そして、
上述考察のための、大切な枝葉に及ぶと、
2)
昨年の夏から始めた「東京裁判史観」分析を継続したい。引いては戦後憲法(現行憲法)の不合理性について、今以上に突っ込んで考察したい。
すなわち、
第二次世界大戦戦勝国群(当時の連合国)の一方的な判断で、敗戦国日本の責任を片手落ちに「結論付け」した東京裁判判決の過去の現実と、今尚続く不条理な「結論付け」の踏襲こそが大問題なのだ。サンフランシスコ条約調印後も、何故か我国は自虐的に東京裁判判決の結果を受け、今尚それを周到しているから不合理である。東京裁判の判決を丸呑みした結果、昭和の歴史と戦前戦中戦後の歴史を日本国民自ら封じ込め、日本国の近代史観を自虐的に捻じ曲げているからたまらない・・・
とにもかくにも、日本近代史分析の為に、戦前戦後の政治経済史に踏み込みたくなった。
政治と思想の問題を突っつくと底知れぬ泥沼に嵌るから止めておくけれども、戦後政治のもっとも重大な問題で今も奥歯にモノの引っかかった様相を呈して止まない問題は、敗戦直後、当時のマッカーサー率いる占領軍指導のもと、にわかに制定された昭和憲法(現行憲法)の存在であり、戦後60数年経過した今も尚、存続していることから生ずる各種の不都合である。かくして、時代にそぐわなくなった現行憲法の不整備こそが、21世紀の我国社会発展と飛躍に及ぼす多大なる負の要因根源に他ならないか。引いては日本国の衰退国民の消滅に繋がることの証明、否、警報警告警鐘は、現実社会の不都合是正の為の必須条項か、、。法律や憲法を論ずるは、専門外ではあるけれど、引いては戦後制定された「憲法」の「改正」の是非を、今一度自問自答?問い質しつつ、早急なる「新憲法制定」の必要性を論立ててみたくなった・・・
またもや、映画の感想文からほど遠い、五里霧中的記事になってしまった・・・
*「武士の一分」(山田洋次監督、藤沢周平原作)<Yahoo映画解説は、こちらから入れます>
-----------------------------------------
<追記>(2月9日 10:00a.m.)
なんと!
幸いにも、上記掲載紹介なる櫻井よしこ女史の著作あり、、、。
昨夜2月8日『ysBlog』にて発見!
是非にも一両日中に入手して縷々通読したい。読書感想はまた、あらためて後日記事投稿する。
実は、その日は絶対に「武士の一分」を観に行くつもりで自宅を出たけれど、市内に辿りついたら突如として気が変った。行きつけの喫茶店でモーニングを注文し新聞に目を通しつつ時間調整の後、朝の第一回目上映時間(午前10時30分)に間に合うよう、何か得体の知れない4次元世界のモノノケにとり付かれたかのごとく、さりとて平常心にて粛々と我が心臓の鼓動高まるを抑えつつ、前々日と同じ映画館に入ってしまった。先日(1月30日付)投稿記事「映画・硫黄島からの手紙を見終って」から、わずかに一日の間を置いてのち、今月2月1日のこと、かくして2時間21分間、性懲りもなく2回、「同じ映画」を観てしまった、、、。
(以下、本日記事の本文・・)
何故に2度も同じ映画を観に行ったのか? 理由あり・・・
栗林中将役の渡辺健さんのセリフの数箇所、どうしても確認しておきたい個所があったのだ。
それらの確認は?
完全に出来た!
解った・・・
先の記事投稿には、多くのコメントをお寄せ頂いている。
先週金曜日2月2日から本日まで、書こうと思い思い続けてきた「硫黄島からの手紙」レヴュー記事・・・
やはり書けない。
そして、書きたくない。
先記事にコメント頂いたTSさん始め、読者各位とのお約束をたがえるけれども、やはりココは、
「この映画を、2度も観てしまった・・・」
という『ご報告』だけに留め、本日投稿を終えたい・・・
そこで一言、
いや、どうしても、二言?付け加えて「締め括り」たい!!!
1)
もう一度、我輩自身の問題として、近代史としての昭和史を「歴史の事実」として関連文献を読みこなしたい。もって「近代日本経済発展の歴史的考察」に切り口を求め、昭和史を考察したい。
要点としては、明治維新以降の「日本近代経済発展の歴史」に焦点をあて、日清戦争日露戦争会戦に始まり、さらに日中戦争から大東亜戦争に至った経緯と戦争史歴史の稜線と谷間の「影の部分」を、国際経済の視点観点から紐解いてみたくなった。この日本国近代史の考察に欠かせないものは、第二次世界大戦における、日中戦争と大東亜戦争の仔細なる事実を見つめることか。日本帝国海軍に関わる著作はある程度満足のいく資料あれど、あまりにも日本帝国陸軍の史実を取り上げた著作が少なすぎる。その意味からすれば「硫黄島からの手紙」は、数少ない「陸軍将校」の観点視点からの史実を、思想的な偏りなく語った叙述誌的映画作品か。このあたりがクリントイーストウッド的である。
我国近代史を「近代経済の発展史」の切り口にて捉えると、おのずと戦争の歴史を直視せざるを得ない。なぜならば、当時の戦争は、国家と国家の経済戦争のぶつかった極限であるからだ。すなわち、史実としての日中戦争と太平洋戦争から、論点視点を外すと、後は何も見えなくなり、近代史考察はその時点で感情と思想の彼方に追いやられるから始末が悪い。戦後60年間或いはそれ以上、近代史研究は封印されたままだから、この先我国の進路方針は今もって定まらない。歴史を無視する国家と民族は、非文化的にしてアイデンティティーすら持ち得ない「非発展的国家国民民族」と定義可能か。ならば我々日本民族は、将来の夢も希望も持とうとしない一哺乳類動物に逆戻りするを望むのか?感情論抜きに我国近代史を直視できず、国家観を無視し、さりとて持とうと自覚しない行為たるは、あまりにも馬鹿げているではないのか?
かくして明治維新以降の我国日本に於いて、我国と我国を取巻く各国の経済的関りから切り込む「近代経済発展史と昭和戦争史」の考察!
もって、お涙ちょうだい的感情の拘りなく、左右の思想介入なく、真っ当な日本近代史を考察を継続したい、、、。
たぶん、これは我輩のライフワークになるであろう・・・
そして、
上述考察のための、大切な枝葉に及ぶと、
2)
昨年の夏から始めた「東京裁判史観」分析を継続したい。引いては戦後憲法(現行憲法)の不合理性について、今以上に突っ込んで考察したい。
すなわち、
第二次世界大戦戦勝国群(当時の連合国)の一方的な判断で、敗戦国日本の責任を片手落ちに「結論付け」した東京裁判判決の過去の現実と、今尚続く不条理な「結論付け」の踏襲こそが大問題なのだ。サンフランシスコ条約調印後も、何故か我国は自虐的に東京裁判判決の結果を受け、今尚それを周到しているから不合理である。東京裁判の判決を丸呑みした結果、昭和の歴史と戦前戦中戦後の歴史を日本国民自ら封じ込め、日本国の近代史観を自虐的に捻じ曲げているからたまらない・・・
とにもかくにも、日本近代史分析の為に、戦前戦後の政治経済史に踏み込みたくなった。
政治と思想の問題を突っつくと底知れぬ泥沼に嵌るから止めておくけれども、戦後政治のもっとも重大な問題で今も奥歯にモノの引っかかった様相を呈して止まない問題は、敗戦直後、当時のマッカーサー率いる占領軍指導のもと、にわかに制定された昭和憲法(現行憲法)の存在であり、戦後60数年経過した今も尚、存続していることから生ずる各種の不都合である。かくして、時代にそぐわなくなった現行憲法の不整備こそが、21世紀の我国社会発展と飛躍に及ぼす多大なる負の要因根源に他ならないか。引いては日本国の衰退国民の消滅に繋がることの証明、否、警報警告警鐘は、現実社会の不都合是正の為の必須条項か、、。法律や憲法を論ずるは、専門外ではあるけれど、引いては戦後制定された「憲法」の「改正」の是非を、今一度自問自答?問い質しつつ、早急なる「新憲法制定」の必要性を論立ててみたくなった・・・
またもや、映画の感想文からほど遠い、五里霧中的記事になってしまった・・・
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<追記>(2月9日 10:00a.m.)
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幸いにも、上記掲載紹介なる櫻井よしこ女史の著作あり、、、。
昨夜2月8日『ysBlog』にて発見!
是非にも一両日中に入手して縷々通読したい。読書感想はまた、あらためて後日記事投稿する。
恥ずかしながら初歩的な間違いをおかしてしまった事をお詫び申し上げます。
さて硫黄島の手紙。
男爵さんが何故この映画を観たくなかったのか。逆に言えば何故観たかったのか。
そして何故感想を述べる事ができないのか。
勿論男爵さんは全てにおいて私より遥か高いレベルでの考察ですが、大きな共通点があると思います。
それは、広島でも長崎でもなく硫黄島だからではないでしょうか。
前回の記事で私へのレスで太平洋戦争の展開順を明記して下さいました。(これをコピーしておくだけでも一見の価値あり!)
私を含め太平洋戦争を認識してる日本人がどれだけいるでしょうか。
戦後60年経った現在でも東京裁判はじめ未だ問題山積みなのはその難しさを立証しているのではないでしょうか。
これは戦争点でなく長く複雑な線であるからだと思います。
私はこの映画には単なる戦争映画ではなく政治的、歴史的背景を踏まえた映画であって欲しいと期待しました。
勿論無理な要求です。
上記に書いた通り60年経った今も答えが出ないものを2時間強の映画で答えを出せというのですから。
しかしイーストウッドは硫黄島を舞台に映画を作った。
本来アメリカが硫黄島を舞台に映画を製作する事はタブーとも言える事。
この激戦地で日本軍はほぼ全滅の2万人の死者を出した場所で思い出したくもない事だから。
対し米軍の死者は6,800人。(死傷者2万8千人と挙げる事もあり個人的にはこういった人数も統一させて欲しいです)
しかし歴史として知っておかなければならない事でもある。
それが男爵さんも私もこの映画に期待と不安を抱いた事ではないでしょうか。
実際色々な意味で重みのある映画だったと思います。
個人的に映画としての完成度だけならば星条旗の方に軍配を上げます。
しかしこの2作品に関しては映画云々の問題ではありません。
しかし今回は硫黄島を舞台にした映画でしたが今後更に太平洋戦争の真実を映画、著書等あらゆる手段で振り返る必要性を感じます。
我々日本人は勿論、アメリカ人も、中国人も、世界中の人達が。
長々と連ねましたが、対したコメントにもレビューにもなっておらず申し訳ございません。
「・・・!」
頂いたコメント、二度、拝読しました。
意味深長です。
感動モノです。
昨夜拝読した一回目は、思わず(僅かながらも)感涙です・・・
ひとえに、「父親たちの星条旗」をみなければならなくなりました。
それを観て、その後ようやく、この『硫黄島・・』の映画を観終えたと言えるのでしょう。
私は、過去、海軍出身者の著作した書籍には割合頻度高くこの時代の書き物に目を通している心算ですが、まだまだ序の口、、、。
あまりにも旧日本海軍の色眼鏡で「太平洋戦争」を表していた感、無きにしも非ず。そしてこの度の「硫黄島・・手紙」の映画を観て、旧日本陸軍将校からみた太平洋戦争の書籍を読んで見たくなりました。残念ながらしかし、そのランクの元軍人は、決して先の大東亜戦争の印象思い出に触れたくないようでして、今後益々その様な書籍に触れる機会は少なくなるは必定。ならば、報道や文籍の断片を自ら拾い集め、つなぎ合わせ復元してみる以外に方法がないのか?まるで考古学者の真似事をしなくてはならなくなったか。
困ったものです。
さて、
一昨日から、本当工記事末尾に紹介した櫻井女史著書「気高く、強く、美しくあれ―日本の復活は憲法改正からはじまる」を、読み始めています。全400ページ近くの長編論文です。まだ、ほんの50数ページ程度ですから、今からが一苦労です。
おもいがけなく面白く、当然ながら芯のある重厚な論文です。
なぜならば、今までの「論戦シリーズ」著作と違って、この度の著作は我国新旧憲法問題を語る「一大論文」なのですから、驚いているのです。櫻井女史は、憲法の専門家ではないけれど、立派に新憲法の必要性を説いておられ、理屈抜きに「理路整然」且つ、「憲法の専門分野」に対し、近代史を熟知された「櫻井流名刀」にて、バッサリと切り込んでおられるようです。
加えて、
上記著作の「まえがき」には、期せずしてなんと、拙ブログの当記事末尾にて書き加えた、不肖エセ男爵流「腹の内」と同じようなセリフが見出されており、やたら勇気が出てきました。
多少時間かかると思いますが、読み終えたら読後感を記事に致したく思っています。
自宅近くの「ルート170」(国道170号線に面す)という映画館で12時から。
もう、先々週に看板、ポスター、ブローシャーも無く、1~6号劇場のテレビで4号で上映している、
というので、思わず得をした気分に。
好評?だったので、終了後もそして祝日でもあったので、アンコールみたいなもの。
でも総勢50名程度。
戦後60年とは言え、イーストウッドもあそこまで書くのが限界だったかも。
戦争の色んな事象のほんの一部の代表的部分だけ?
でも、できるだけ客観的に製作した、努力も読み取れる。
日米の将校(互いに友人)が戦場で向き合ったときお互いに撃てるか、という冗談に対し、中将は「撃てない」と言った、と思う。
この約束を守った???どころか、プレゼントされた銃を自らに向け発射、事後、米戦士が持ち帰った。
イーストウッドは、中将の信念に敬意を表し、鎮魂の気持ちも表したかったこともあろう。
イーストウッドのこれまでの西部劇で見られた筋書き、非常に単純かつ明確な筋書き...であったがために、
見る人の感慨は少なかったかも。
無理も無い、我が年代は戦中戦後派ではなく、戦況はすべて読み聞いた範囲に限られ、その中で戦後派は自分自分の考え方にたどり着いたわけだから。
もっとも人によっては全く自分の考え方を持ち得なかったひとも大勢いるかも。
遂に(ようやく)、観に行ったのですね!
観て頂いて良かった・・・
ひとえに、
クリントイーストウッド的に、よくあそこまで頑張って「彼らしさ」丸出し、むしろクリントイーストウッド的自然体で作った映画だと思いながら、極端に言えば、不謹慎ながら「マカロニウエスタン的描き方」を貫いた作品だと評価しています。
そして
「だから、何が云いたいのか?」
と、問われれば、マカロニウエスタンが悪いのではなく、むしろその描き方でないと、余分な「感情」や「思想」を入れなくてはならないことになりかねず、硫黄島の決戦を映画に取り上げ得る可能性は少なかったはず、、、。と、申し上げたいのであります。とにかく、あれ(硫黄島・・)は、あれで、一つの立派な映画作品です。
とにかく、しかし、「硫黄島からの手紙」は、私にとって未だ鑑賞し終わっていないのです。
「父親たちの星条旗」を鑑賞しなければ、 完結しません。
たぶん、この2本の映画を「一つの映画」として考えなければ、「一連のクリントイーストウッド作品を観たことにはならん!」と、思っているのです。
そして、貴兄のたどり着いた帰結に、、
>イーストウッドは、中将の信念に敬意を表し、鎮魂の気持ちも表したかったこともあろう。・・・
>イーストウッドのこれまでの西部劇で見られた筋書き、非常に単純かつ明確な筋書き...であったがために、見る人の感慨は少なかったかも。・・・
>無理も無い、我が年代は戦中戦後派ではなく、戦況はすべて読み聞いた範囲に限られ、その中で戦後派は自分自分の考え方にたどり着いたわけだから。・・・
もっとも人によっては全く自分の考え方を持ち得なかったひとも大勢いるかも。・・・
同年代の私にとって、貴兄の「このくだり」は、ごもっとも、
・・・・賛同、同感です、、、。
大切なこと、コメントし忘れていました。
以下、TSさんコメントより抜粋、、
>この激戦地で日本軍はほぼ全滅の2万人の死者を出した場所で思い出したくもない事だから。・・・
>対し米軍の死者は6,800人。(死傷者2万8千人と挙げる事もあり個人的にはこういった人数も統一させて欲しいです)しかし歴史として知っておかなければならない事でもある。・・・
以上のデータに関し、この硫黄島の戦いの場合は日本軍米軍共に、ほぼ正確無比な数値のはずです。
なぜならば、
絶海の孤島に援軍なき決戦を迫られた日本軍の将兵は、戦死か自決か捕虜になるか?その3つの選択肢しかなかった。だから、戦没者の数値は正しく、まともな野戦病院も薬品も無い、孤立無縁な硫黄島では、例え即死ではなく僅かな負傷でも、死を待つしかなかった。
しかし、米軍の場合、負傷したら直ちに衛生兵に引き渡され、最前線から離脱し、硫黄島沖合いに待機する病院船に運ばれ、適切な医療を施され、手厚い看護を受けながら、即刻米本国に送還されたはず、、、。
若し、米海兵隊も日本守備軍と同じ「行き届かない環境設備」で戦っていたなら、2万6千人の死傷者は、全て死亡者になっていたはずです。
だから、
この硫黄島の戦いは、戦略に於いては「硫黄島を奪取された日本軍」の、負け!
しかし、戦術的には死傷者の多い米軍の、負け!
と、判断します。
硫黄島の後、背景状況は違えども、沖縄戦に於いても、米軍は苦戦を強いられました。
だから、
若し、日本本土決戦となると、想像を絶する米軍の犠牲が想像され、恐ろしくなった米国政府は、迷った挙句に原爆投下の判断に踏み切ったやも知れません。
ま、これも結果論です・・・
いすれにしても、硫黄島の米軍将兵死傷者の数は、(私の記憶違いかもしれませんが)ヨーロッパ戦線の全期間(パットン将軍率いる米戦車軍団が英軍機甲師団と北アフリカで合流の後イタリア宣戦突破し、且つフランス海岸「D-Day上陸」して以後の米軍兵士の損害についてのこと。たぶん1年間以上か?)で戦った時に蒙った米軍将兵の死傷者数を上回った。とか、・・・
もう一度調べておきます!