このところ、俄に三莫迦隣国が喧しい。竹島問題、尖閣諸島等々枝葉的領土問題。棚上げされた6ヶ国協議の狭間で、一向に前進しない北朝鮮との国交正常化を視野に置いた未解決なる核開発問題。とりもなおさず未解決の拉致被害者問題等々、馬鹿馬鹿しくも煩くて、煩くて、仕方がない。
そんな我輩、毎週ルーティーンでお伺いする『ys櫻井よしこblog』2006年04月27日「金正日打倒で日韓は協力せよ」06年4月27日号日本ルネッサンス 第212回、を拝読。なんと支那共産政権と南北朝鮮により仕組まれた、一見複雑にして扁平的歪曲なる、三莫迦隣国連系「三文オペラ風政治戦略」に触れられているではないか。
シナ共産政権ならびに韓国三流政権から我国に対し、近年頓にヒステリックに繰り返し反復される「歴史認識問題」から「靖国問題」等々、三莫迦隣国からの横槍が入りすぎる昨今。そんなところで我輩は、あらためて明治維新以降の我国と朝鮮半島の歴史的出来事を、一度包括的に整理してみたくなった。
歴史上の出来事を整理する為の資料を蒐集すれば限がなく、多岐にわたり膨大であるからして、当面のところ、表題添付画像に於ける岩波書店発行「机上版世界史年表」と「日本史年表」(1995年1月9日第1刷発行1998年10月15日第4刷発行。1999年、購入)を紐解き、明治維新以降の「朝鮮と日本の歴史的関わり」を抜粋し、約2ヶ月かけて、我が乏しき知識の整理を敢行することにした。(本テーマに関し、今後は当ブログに連載する)
何と!
出て来るは、出て来るは、19世紀末の明治維新(1868年)から征韓論、日清戦争勃発の明治27年(1894年)、日露戦争の始まった明治37年(1904年)、支那事変をへて日中戦争に展開し、昭和16年12月7日(1942年)の真珠湾奇襲攻撃から始まった太平洋戦争のさなか1945年の第二次世界大戦終戦まで。さらには終戦後、「朝鮮動乱」を経て李承晩政権下の李承晩ラインによる不当不法なる日本漁船の拿捕から漁船人の拉致等々、朝鮮半島の歴史のあらゆる場面で、往時の日本政府ならびに民間日本人との間に起きた種々雑多にしてネガティブ、煩雑にして埒の開かない諸問題(トラブル)が頻発しているのだ。
近代史の年表を追っていくだけでも、あまりにも知らない(知らされていない)「我国と朝鮮半島の歴史事実」が山積している事に気付き、あらためて昨今の朝鮮半島と我国の諸問題の典型が垣間見えてくる。明治維新を切り口にしてもすでに100年以上、如何に「朝鮮半島問題」が煩雑であるか、あらためて認識し、21世紀の我国の朝鮮半島に対処せざるを得ない「あるべき姿」を浮き彫りにしてみたい。等と、可能な限り時間をかけ、自分自身の知識認識の蓄積を図ろうとしている。
そんな時、たいへんよいニュースが飛び込んできた。
米国を訪問した横田早紀江さん始めとする拉致被害者代表団が米国ブッシュ大統領と会見したのと事。既に読者諸氏ご承知のとおり報道されている。
しかし、一連の報道内容に、何か、何か食い足りない。
拉致被害者家族が「現役の米国大統領」と会見した事実。快挙ではあるまいか!
しかし、何故かメディアの報ずるところ平べったくも断片的で今ひとつの盛り上がりを感じない。(我国マスメディアの一連の報道に、疑問と不満を思われる方、こちらをクリック頂きたい)<人気blogランキングへ>
冒頭で述べた「三莫迦隣国」との歴史的関わりを調べている最中の「拉致被害者米国大統領との会見」をすり合わせ、はたと思いついた。
そうです。
歴史的な絡みともすり合わせたく思いつき、約10年前の櫻井女史の著「論戦1994~1996」を書棚から取り出した。古新聞を読み返す如く、10年前の櫻井女史の熱き論説に目を通せば、社会正義を目標としておられる女史の論旨には、現在のそれと一片の揺るぎなく、凛として整然なる論陣が張られているから、なんとも清々しい。
この頃、社会党村山政権なる歪(イビツ)で捻じ曲がった政局の最中、阪神大震災に見舞われた日本列島、オウム真理教事件が明らかになった頃、すでに北朝鮮核保有の問題が浮き彫りになっていた。そして今、2006年。上述「論戦」を開き、あらためて歴史の推移を感じる。当時、櫻井女史といえども触れように触れられなかった「拉致問題」。今や歴史的事実として表面化している。しているにもかかわらず、一向に埒のあかない拉致被害者問題である。ブッシュ大統領との会見が引き金となって「問題解決」の進展を見たい。
しかし今、俄に三莫迦隣国が騒がしい。何故か?敢えて、我が国の執るべき道を見失わせる意図があるかの如く、騒がしく騒ぎ立てているような気がしないでもない。ひるがえって、我国の政府役人も政治家もマスコミも、三莫迦隣国の空騒ぎに毅然とした対応策を、意識して出しかねているように思える節もある。
「論戦2004~2006」からの抜粋『北朝鮮と加藤紘一氏をつなぐ鍵』を精読頂きたい。 (抜粋掲載に関し、先ほど櫻井女史にはメールでご了解を頂いた)
この一説(一節)から、我輩は懸念すべき事柄を推測する。
それは、
1)今尚北朝鮮と連携している日系商社並びに政治家は存在するはず。ならば、北朝鮮向けの経済制裁など、我国政治家と政府役人が実行しようにも、彼らの政治的牽制が介入すれば、北朝鮮への経済制裁は困難となるか。
2)今、もっとも懸念される事態は、支那共産政権と北朝鮮、加えて韓国三流政権の合作で、歴史認識問題と靖国問題で翻弄されつつ、引いては竹島尖閣諸島の領土問題を掲げて我国外交を画策し、支那と韓国の共謀により、我国本来の「経済的利権(日本海漁場権益と東シナ海の油田の支配)」を略奪する戦略が、見え隠れする。そんな中、我国一部の政治家政府役人と企業の癒着により、我国国益百年の計が、根本的に阻害される事があってはならない。
我々一般国民をして「つんぼ桟敷」に置かれるような事態にならないことを願いつつマスコミに対し、もっともっと必要不可欠な情報を堂々と報じてほしいのである。
〆て、櫻井女史の著なる「論戦」の事、
あれから10年、日本の政治は変わった。世の中も変わり、もっと困難で危険をはらんだ局面になっていると直感する。10年一昔前、当時の我国政府の北朝鮮対応を復習するのも趣きあり、我々庶民にとって(歴史を振り返るは)重要な作業と考える。
<本文・了>
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<添付参考資料>
*拉致被害者問題、関連ニュース・・
A)論戦より「北朝鮮と加藤紘一氏をつなぐ鍵」・・
B)村山政権当時、内閣のプロフィール・・
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(拉致被害者関連ニュースはこちらから入れます)
社会ニュース - 4月30日(日)19時0分 ニュース記事写真動画トピックス
「大きな成果をきっかけに」=横田さんら、訪米から帰国-成田
米国を訪問していた拉致被害者横田めぐみさんの母早紀江さん(70)らが30日午後、帰国した。ブッシュ大統領と面会した早紀江さんは成田空港で会見し、「思った以上に大きな成果があった。これをきっかけに(拉致被害者が)みんな帰ってくる方向に行ってほしい」と話した。(中略・・)・・・「公聴会でも大統領と会った時も、1人ひとりが思いをしっかり受け止めてくれた」と充実感をにじませた。ブッシュ大統領については「明るい方。『お母さん』と言いながら抱き締めてくれたので、びっくりした」と笑顔を見せた。
(時事通信) - 4月30日19時0分更新
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<記事タイトル>「思った以上の成果」 訪米の早紀江さんら帰国
北朝鮮による拉致問題について米議会で証言し、ブッシュ大統領とも面会して解決に向けた協力を直接要請した横田めぐみさん=失跡当時(13)=の母早紀江さん(70)が30日午後、成田着の定期便で帰国、空港で記者会見し「思った以上に大きな成果があった」と振り返った。(・・中略)・・・
会見で早紀江さんは、一番印象に残った場面として大統領との面会を挙げ「握手しようとしたら、大統領が『マム(お母さん)』と言いながら抱き締めてきた。大きな人でびっくり」。その上で「これを機に、助けを求めている人たちが元気で帰ってこられるよう願っています」と力を込めた。
(共同通信) - 4月30日19時24分更新
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「論戦」1994~1996 より・・
p151~p153
『北朝鮮と加藤紘一氏をつなぐ鍵』
今ニュースといえばオウム真理教一色のような状態だが、その裏で日本の将来に警鐘を鳴らす深刻な事態が相次いで起きている。
その第一が朝鮮民主主義人民共和国への支援問題だ。1995年3月末に平壌(ピョンヤン)を訪れた与党三党による訪朝団が、ほぼ完全に北朝鮮の舞台に引きこまれたことは記憶に新しい。
調印された「日朝会談再開のための合意書」には、本文第二項に「対話再開と国交正常化のための会談には、如何なる前提条件もつけない。徹底して関係改善のためのものにする」との内容が記されている。つまり、対話再開のためには核開発疑惑や李恩恵問題は持ち出さないということだ。同時に「徹底して関係改善のため」ならば、
・・・( 中 略 )・・・
与党三党はそのような害あって益ない合意書に調印してしまったわけだが、この訪朝団の言動を見て抱いた疑問は、なぜこんなにものの見事に相手の思惑の中に陥ってしまうのかという点だった。
この疑問を解き明かすひとつの鍵が、4月11日、参議院外務委員会で明らかにされた。新進党の石井一二議員が「新日本産業」の社長・吉田猛なる人物が、自民党の加藤紘一氏の事務所スタッフの一員として三党訪朝団に加わっていたのではないかと質したのだ。
河野洋平外相らは答弁は避けたが加藤氏はその事実を認めた。
さてこの吉田猛氏が社長の新日本産業は1970年から北朝鮮との貿易を専門にするようになり、今では日朝友好商社“最老舗”として知られている。北朝鮮側からも究めて高く評価されており北の幹部と太い人脈を持つ。
吉田氏はまた、韓国の大財閥のひとつ「現代(ヒュンダイ)」グループの名誉会長、鄭周永(チョンジュヨン)氏を北に“誘導”した人物でもある。鄭会長の北朝鮮への肩入れは大きな話題となり、北への幅広い投資を呼び起こすきっかけともなりうるものだった。韓国財閥の大物をその気にさせたのが吉田氏だったのだ。つまり吉田氏は事実上北朝鮮の利益を代表する人物だと見当がつく。
ではなぜそのような人物が加藤事務所のスタッフとして三党訪朝団の随員になっていたのか。その点を理解するには北朝鮮の対日戦術の変遷を見る必要がある。
長年北朝鮮が頼りにしてきたのは左派を中心とする社会党の面々だった。ただ社会党に頼っても埒が明かないと北朝鮮が理解した時に、社会党は自民党にとってかわられた。北朝鮮の接触の相手は金丸氏になり、金丸氏失脚のあとは竹下-小渕ラインがそうだといわれていた。
だが今回、北朝鮮が接触したのは加藤紘一氏だった。接触された加藤氏は相当の意を決して準備したのではないだろうか。なぜなら、三党訪朝を成功させる事が出来れば、将来の日朝間の交流において、氏は揺るぎない立場を確保することになるからだ。
だが心すべきは三党招請は、金溶淳(キムヨンスン)氏が金正日(キムジョンイル)書記の名で行なったことである。同氏はアジア太平洋平和委員会の委員長でもある。同委員会は北朝鮮労働党統一戦線部の別名だ。その目的は思想を超えて階層別の要求をまとめて韓国政府を孤立させ打倒することにある。そのような意図を十分に理解し、“アドバイス”を与えているのが吉田猛氏ではないか。
つまり三党訪朝団が北朝鮮に行くだけで日韓間に距離を置かせることができる、その上うまくいけば北側に有利な条件をつけることができるという狙いだ。
となると吉田氏をスタッフとして同行させた加藤氏は結果として北側の狙い通り動いたことになる。今、日韓間に加藤氏を軸に新しいパイプができつつあるのは明白だ。だとしたら加藤氏には功を焦って日本の不利益を招く事だけは心して避けてもらいたい。政治家として代表すべきは自らの利益よりも日本国民のそれであることを忘れてほしくはない。
(以上、櫻井よしこ著:論戦1994~1996 抜粋引用)
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<参考資料>(ウイキペディアより引用)
『村山内閣』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村山内閣(むらやまないかく)は、日本の第81代内閣。海部俊樹を破って村山富市が首相指名を受け、日本社会党、自由民主党、新党さきがけ(自社さ)の連立政権として、1994年(平成6年)6月30日に発足した。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件と立て続けに災害とテロを受け、戦後では未曾有の苦難に満ちた内閣であった。1995年(平成7年)8月8日に総辞職。
[編集]
閣僚
内閣総理大臣 村山富市(日本社会党委員長)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
法務大臣 前田勲男(自由民主党・小渕派、参議院議員)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
外務大臣(副総理) 河野洋平(自由民主党総裁)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
大蔵大臣 武村正義(新党さきがけ代表)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
文部大臣 与謝野馨(自由民主党・渡辺派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
厚生大臣 井出正一(新党さきがけ)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
農林水産大臣 大河原太一郎(自由民主党・渡辺派、参議院議員)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
通商産業大臣 橋本龍太郎(自由民主党・小渕派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
運輸大臣 亀井静香(自由民主党・三塚派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
郵政大臣 大出俊(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
労働大臣 浜本万三(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
建設大臣 野坂浩賢(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
自治大臣 野中広務(自由民主党・小渕派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
内閣官房長官 五十嵐広三(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
国家公安委員会委員長 野中広務(自治相兼任)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
総務庁長官 山口鶴男(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
北海道開発庁長官 小里貞利(自由民主党・宮沢派)
平成6年6月30日~平成7年1月20日
小沢潔(国土庁長官兼任・沖縄開発庁長官兼任)
平成7年1月20日~平成7年8月8日
防衛庁長官 玉沢徳一郎(自由民主党・三塚派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
経済企画庁長官 高村正彦(自由民主党・河本派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
科学技術庁長官 田中真紀子(自由民主党・無派閥)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
環境庁長官 桜井新(自由民主党・三塚派)
平成6年6月30日~同8月14日
宮下創平(自由民主党・三塚派)
平成6年8月14日~平成7年8月8日
沖縄開発庁長官 小里貞利(北海道開発庁長官兼任)
平成6年6月30日~平成7年1月20日
小沢潔(国土庁長官兼任・北海道開発庁長官兼任)
平成7年1月20日~平成7年8月8日
国土庁長官 小沢潔(自由民主党・宮沢派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
国務大臣(震災対策担当大臣)小里貞利
平成7年1月20日~同8月8日
内閣法制局長官 大出峻郎
平成6年6月30日~平成7年8月8日
内閣官房副長官(政務) 園田博之(新党さきがけ)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
内閣官房副長官 石原信雄
平成6年6月30日~平成7年2月24日
古川貞二郎
成7年2月24日~同8月8日
よくもまあここまでやってくれたものだ!10年前のこの事態、我々は見逃していたのか?時代は変わったがしかし、こういうノー天気な内閣が組閣された「破廉恥的日本の政治」が行なわれていた時代もあったこと、記憶に留めておきたい・・・
かくして、
当時の破廉恥内閣は、今、莫迦隣国をのさばらす引き金になった。と、思われる方、是非以下のブルーバーをクリック願いたい!
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そんな我輩、毎週ルーティーンでお伺いする『ys櫻井よしこblog』2006年04月27日「金正日打倒で日韓は協力せよ」06年4月27日号日本ルネッサンス 第212回、を拝読。なんと支那共産政権と南北朝鮮により仕組まれた、一見複雑にして扁平的歪曲なる、三莫迦隣国連系「三文オペラ風政治戦略」に触れられているではないか。
シナ共産政権ならびに韓国三流政権から我国に対し、近年頓にヒステリックに繰り返し反復される「歴史認識問題」から「靖国問題」等々、三莫迦隣国からの横槍が入りすぎる昨今。そんなところで我輩は、あらためて明治維新以降の我国と朝鮮半島の歴史的出来事を、一度包括的に整理してみたくなった。
歴史上の出来事を整理する為の資料を蒐集すれば限がなく、多岐にわたり膨大であるからして、当面のところ、表題添付画像に於ける岩波書店発行「机上版世界史年表」と「日本史年表」(1995年1月9日第1刷発行1998年10月15日第4刷発行。1999年、購入)を紐解き、明治維新以降の「朝鮮と日本の歴史的関わり」を抜粋し、約2ヶ月かけて、我が乏しき知識の整理を敢行することにした。(本テーマに関し、今後は当ブログに連載する)
何と!
出て来るは、出て来るは、19世紀末の明治維新(1868年)から征韓論、日清戦争勃発の明治27年(1894年)、日露戦争の始まった明治37年(1904年)、支那事変をへて日中戦争に展開し、昭和16年12月7日(1942年)の真珠湾奇襲攻撃から始まった太平洋戦争のさなか1945年の第二次世界大戦終戦まで。さらには終戦後、「朝鮮動乱」を経て李承晩政権下の李承晩ラインによる不当不法なる日本漁船の拿捕から漁船人の拉致等々、朝鮮半島の歴史のあらゆる場面で、往時の日本政府ならびに民間日本人との間に起きた種々雑多にしてネガティブ、煩雑にして埒の開かない諸問題(トラブル)が頻発しているのだ。
近代史の年表を追っていくだけでも、あまりにも知らない(知らされていない)「我国と朝鮮半島の歴史事実」が山積している事に気付き、あらためて昨今の朝鮮半島と我国の諸問題の典型が垣間見えてくる。明治維新を切り口にしてもすでに100年以上、如何に「朝鮮半島問題」が煩雑であるか、あらためて認識し、21世紀の我国の朝鮮半島に対処せざるを得ない「あるべき姿」を浮き彫りにしてみたい。等と、可能な限り時間をかけ、自分自身の知識認識の蓄積を図ろうとしている。
そんな時、たいへんよいニュースが飛び込んできた。
米国を訪問した横田早紀江さん始めとする拉致被害者代表団が米国ブッシュ大統領と会見したのと事。既に読者諸氏ご承知のとおり報道されている。
しかし、一連の報道内容に、何か、何か食い足りない。
拉致被害者家族が「現役の米国大統領」と会見した事実。快挙ではあるまいか!
しかし、何故かメディアの報ずるところ平べったくも断片的で今ひとつの盛り上がりを感じない。(我国マスメディアの一連の報道に、疑問と不満を思われる方、こちらをクリック頂きたい)<人気blogランキングへ>
冒頭で述べた「三莫迦隣国」との歴史的関わりを調べている最中の「拉致被害者米国大統領との会見」をすり合わせ、はたと思いついた。
そうです。
歴史的な絡みともすり合わせたく思いつき、約10年前の櫻井女史の著「論戦1994~1996」を書棚から取り出した。古新聞を読み返す如く、10年前の櫻井女史の熱き論説に目を通せば、社会正義を目標としておられる女史の論旨には、現在のそれと一片の揺るぎなく、凛として整然なる論陣が張られているから、なんとも清々しい。
この頃、社会党村山政権なる歪(イビツ)で捻じ曲がった政局の最中、阪神大震災に見舞われた日本列島、オウム真理教事件が明らかになった頃、すでに北朝鮮核保有の問題が浮き彫りになっていた。そして今、2006年。上述「論戦」を開き、あらためて歴史の推移を感じる。当時、櫻井女史といえども触れように触れられなかった「拉致問題」。今や歴史的事実として表面化している。しているにもかかわらず、一向に埒のあかない拉致被害者問題である。ブッシュ大統領との会見が引き金となって「問題解決」の進展を見たい。
しかし今、俄に三莫迦隣国が騒がしい。何故か?敢えて、我が国の執るべき道を見失わせる意図があるかの如く、騒がしく騒ぎ立てているような気がしないでもない。ひるがえって、我国の政府役人も政治家もマスコミも、三莫迦隣国の空騒ぎに毅然とした対応策を、意識して出しかねているように思える節もある。
「論戦2004~2006」からの抜粋『北朝鮮と加藤紘一氏をつなぐ鍵』を精読頂きたい。 (抜粋掲載に関し、先ほど櫻井女史にはメールでご了解を頂いた)
この一説(一節)から、我輩は懸念すべき事柄を推測する。
それは、
1)今尚北朝鮮と連携している日系商社並びに政治家は存在するはず。ならば、北朝鮮向けの経済制裁など、我国政治家と政府役人が実行しようにも、彼らの政治的牽制が介入すれば、北朝鮮への経済制裁は困難となるか。
2)今、もっとも懸念される事態は、支那共産政権と北朝鮮、加えて韓国三流政権の合作で、歴史認識問題と靖国問題で翻弄されつつ、引いては竹島尖閣諸島の領土問題を掲げて我国外交を画策し、支那と韓国の共謀により、我国本来の「経済的利権(日本海漁場権益と東シナ海の油田の支配)」を略奪する戦略が、見え隠れする。そんな中、我国一部の政治家政府役人と企業の癒着により、我国国益百年の計が、根本的に阻害される事があってはならない。
我々一般国民をして「つんぼ桟敷」に置かれるような事態にならないことを願いつつマスコミに対し、もっともっと必要不可欠な情報を堂々と報じてほしいのである。
〆て、櫻井女史の著なる「論戦」の事、
あれから10年、日本の政治は変わった。世の中も変わり、もっと困難で危険をはらんだ局面になっていると直感する。10年一昔前、当時の我国政府の北朝鮮対応を復習するのも趣きあり、我々庶民にとって(歴史を振り返るは)重要な作業と考える。
<本文・了>
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<添付参考資料>
*拉致被害者問題、関連ニュース・・
A)論戦より「北朝鮮と加藤紘一氏をつなぐ鍵」・・
B)村山政権当時、内閣のプロフィール・・
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社会ニュース - 4月30日(日)19時0分 ニュース記事写真動画トピックス
「大きな成果をきっかけに」=横田さんら、訪米から帰国-成田
米国を訪問していた拉致被害者横田めぐみさんの母早紀江さん(70)らが30日午後、帰国した。ブッシュ大統領と面会した早紀江さんは成田空港で会見し、「思った以上に大きな成果があった。これをきっかけに(拉致被害者が)みんな帰ってくる方向に行ってほしい」と話した。(中略・・)・・・「公聴会でも大統領と会った時も、1人ひとりが思いをしっかり受け止めてくれた」と充実感をにじませた。ブッシュ大統領については「明るい方。『お母さん』と言いながら抱き締めてくれたので、びっくりした」と笑顔を見せた。
(時事通信) - 4月30日19時0分更新
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<記事タイトル>「思った以上の成果」 訪米の早紀江さんら帰国
北朝鮮による拉致問題について米議会で証言し、ブッシュ大統領とも面会して解決に向けた協力を直接要請した横田めぐみさん=失跡当時(13)=の母早紀江さん(70)が30日午後、成田着の定期便で帰国、空港で記者会見し「思った以上に大きな成果があった」と振り返った。(・・中略)・・・
会見で早紀江さんは、一番印象に残った場面として大統領との面会を挙げ「握手しようとしたら、大統領が『マム(お母さん)』と言いながら抱き締めてきた。大きな人でびっくり」。その上で「これを機に、助けを求めている人たちが元気で帰ってこられるよう願っています」と力を込めた。
(共同通信) - 4月30日19時24分更新
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「論戦」1994~1996 より・・
p151~p153
『北朝鮮と加藤紘一氏をつなぐ鍵』
今ニュースといえばオウム真理教一色のような状態だが、その裏で日本の将来に警鐘を鳴らす深刻な事態が相次いで起きている。
その第一が朝鮮民主主義人民共和国への支援問題だ。1995年3月末に平壌(ピョンヤン)を訪れた与党三党による訪朝団が、ほぼ完全に北朝鮮の舞台に引きこまれたことは記憶に新しい。
調印された「日朝会談再開のための合意書」には、本文第二項に「対話再開と国交正常化のための会談には、如何なる前提条件もつけない。徹底して関係改善のためのものにする」との内容が記されている。つまり、対話再開のためには核開発疑惑や李恩恵問題は持ち出さないということだ。同時に「徹底して関係改善のため」ならば、
・・・( 中 略 )・・・
与党三党はそのような害あって益ない合意書に調印してしまったわけだが、この訪朝団の言動を見て抱いた疑問は、なぜこんなにものの見事に相手の思惑の中に陥ってしまうのかという点だった。
この疑問を解き明かすひとつの鍵が、4月11日、参議院外務委員会で明らかにされた。新進党の石井一二議員が「新日本産業」の社長・吉田猛なる人物が、自民党の加藤紘一氏の事務所スタッフの一員として三党訪朝団に加わっていたのではないかと質したのだ。
河野洋平外相らは答弁は避けたが加藤氏はその事実を認めた。
さてこの吉田猛氏が社長の新日本産業は1970年から北朝鮮との貿易を専門にするようになり、今では日朝友好商社“最老舗”として知られている。北朝鮮側からも究めて高く評価されており北の幹部と太い人脈を持つ。
吉田氏はまた、韓国の大財閥のひとつ「現代(ヒュンダイ)」グループの名誉会長、鄭周永(チョンジュヨン)氏を北に“誘導”した人物でもある。鄭会長の北朝鮮への肩入れは大きな話題となり、北への幅広い投資を呼び起こすきっかけともなりうるものだった。韓国財閥の大物をその気にさせたのが吉田氏だったのだ。つまり吉田氏は事実上北朝鮮の利益を代表する人物だと見当がつく。
ではなぜそのような人物が加藤事務所のスタッフとして三党訪朝団の随員になっていたのか。その点を理解するには北朝鮮の対日戦術の変遷を見る必要がある。
長年北朝鮮が頼りにしてきたのは左派を中心とする社会党の面々だった。ただ社会党に頼っても埒が明かないと北朝鮮が理解した時に、社会党は自民党にとってかわられた。北朝鮮の接触の相手は金丸氏になり、金丸氏失脚のあとは竹下-小渕ラインがそうだといわれていた。
だが今回、北朝鮮が接触したのは加藤紘一氏だった。接触された加藤氏は相当の意を決して準備したのではないだろうか。なぜなら、三党訪朝を成功させる事が出来れば、将来の日朝間の交流において、氏は揺るぎない立場を確保することになるからだ。
だが心すべきは三党招請は、金溶淳(キムヨンスン)氏が金正日(キムジョンイル)書記の名で行なったことである。同氏はアジア太平洋平和委員会の委員長でもある。同委員会は北朝鮮労働党統一戦線部の別名だ。その目的は思想を超えて階層別の要求をまとめて韓国政府を孤立させ打倒することにある。そのような意図を十分に理解し、“アドバイス”を与えているのが吉田猛氏ではないか。
つまり三党訪朝団が北朝鮮に行くだけで日韓間に距離を置かせることができる、その上うまくいけば北側に有利な条件をつけることができるという狙いだ。
となると吉田氏をスタッフとして同行させた加藤氏は結果として北側の狙い通り動いたことになる。今、日韓間に加藤氏を軸に新しいパイプができつつあるのは明白だ。だとしたら加藤氏には功を焦って日本の不利益を招く事だけは心して避けてもらいたい。政治家として代表すべきは自らの利益よりも日本国民のそれであることを忘れてほしくはない。
(以上、櫻井よしこ著:論戦1994~1996 抜粋引用)
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『村山内閣』
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村山内閣(むらやまないかく)は、日本の第81代内閣。海部俊樹を破って村山富市が首相指名を受け、日本社会党、自由民主党、新党さきがけ(自社さ)の連立政権として、1994年(平成6年)6月30日に発足した。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件と立て続けに災害とテロを受け、戦後では未曾有の苦難に満ちた内閣であった。1995年(平成7年)8月8日に総辞職。
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閣僚
内閣総理大臣 村山富市(日本社会党委員長)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
法務大臣 前田勲男(自由民主党・小渕派、参議院議員)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
外務大臣(副総理) 河野洋平(自由民主党総裁)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
大蔵大臣 武村正義(新党さきがけ代表)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
文部大臣 与謝野馨(自由民主党・渡辺派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
厚生大臣 井出正一(新党さきがけ)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
農林水産大臣 大河原太一郎(自由民主党・渡辺派、参議院議員)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
通商産業大臣 橋本龍太郎(自由民主党・小渕派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
運輸大臣 亀井静香(自由民主党・三塚派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
郵政大臣 大出俊(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
労働大臣 浜本万三(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
建設大臣 野坂浩賢(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
自治大臣 野中広務(自由民主党・小渕派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
内閣官房長官 五十嵐広三(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
国家公安委員会委員長 野中広務(自治相兼任)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
総務庁長官 山口鶴男(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
北海道開発庁長官 小里貞利(自由民主党・宮沢派)
平成6年6月30日~平成7年1月20日
小沢潔(国土庁長官兼任・沖縄開発庁長官兼任)
平成7年1月20日~平成7年8月8日
防衛庁長官 玉沢徳一郎(自由民主党・三塚派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
経済企画庁長官 高村正彦(自由民主党・河本派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
科学技術庁長官 田中真紀子(自由民主党・無派閥)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
環境庁長官 桜井新(自由民主党・三塚派)
平成6年6月30日~同8月14日
宮下創平(自由民主党・三塚派)
平成6年8月14日~平成7年8月8日
沖縄開発庁長官 小里貞利(北海道開発庁長官兼任)
平成6年6月30日~平成7年1月20日
小沢潔(国土庁長官兼任・北海道開発庁長官兼任)
平成7年1月20日~平成7年8月8日
国土庁長官 小沢潔(自由民主党・宮沢派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
国務大臣(震災対策担当大臣)小里貞利
平成7年1月20日~同8月8日
内閣法制局長官 大出峻郎
平成6年6月30日~平成7年8月8日
内閣官房副長官(政務) 園田博之(新党さきがけ)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
内閣官房副長官 石原信雄
平成6年6月30日~平成7年2月24日
古川貞二郎
成7年2月24日~同8月8日
よくもまあここまでやってくれたものだ!10年前のこの事態、我々は見逃していたのか?時代は変わったがしかし、こういうノー天気な内閣が組閣された「破廉恥的日本の政治」が行なわれていた時代もあったこと、記憶に留めておきたい・・・
かくして、
当時の破廉恥内閣は、今、莫迦隣国をのさばらす引き金になった。と、思われる方、是非以下のブルーバーをクリック願いたい!
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あの震災、この人等のおかげで助かるはずの命の多くが失われ事忘れまいぞ。
彼の現場に向けて「自衛隊は憲法違反です」と叫ぶ、怒囲他科子。
災害出動を「初めての事じゃけ~」と寝ぼけて大幅に遅らせた、無駄八馬首相、
この災害をヘリから取材し「まるで温泉街にあちこちから煙が~」曰うた畜生哲也。
この頃、私もまだ完全には目覚めていない時です。
あな、恐ろしや。恥ずかしや。
男爵様、何かこう見ると、売国系の人の目って妙に通じる物がありませんか?
今は未だ、解った後の考察ですが、売国系がばれる前から見抜ける能力があればと思う昨今です。
「何があっても大丈夫」は、今、仲間内で回遊しています。
下記は私のBlogに訪問する将来新聞記者を目指す慶大生のBlogからの引用です。
この記事を書いた後Blogで書いたら秘密にならないと叩かれてましたが国家機密でしたら学生になど漏れるわけもないのですが。
しかしこれだけ立派な資料が日本には数多くあえうわけです。
これを有効に使わない手はないと思うのですが。
ちなみにこの慶大生の授業ではきっこのブログを教科書代わりに使った事もあるそうです。
だからアクセスが伸びるのです^^;
>スクープ情報です。
外務省の極秘情報
今外務省は、日本の博物館の学芸員などに、
世界中の博物館所蔵の古地図における、
竹島(韓国名独島)の表記について、
極秘裏に調べさせている、
というもの。
しかも結果はもう出ていて、
この島に表記がある1000枚以上の古地図のうち、
独島と記された例は、
なんと2~3例・・・・・。
1000枚以上が、日本の名称である「竹島」と
表記されている、という結果が出ているらしいです。
この調査は韓国政府に漏れないように極秘に世界中で行われたらしく、
近いうちに公式に発表される情報のようです。
なぜこのような情報を僕が知ったか、説明します。
僕は今日の2時限目に「博物館学」という授業を履修していて、
その教授は静岡県にある「三島美術館」の館長です。
今日は博物館の役割として
収集
調査研究
展示
というないようで講義が行われたんですが、
その調査研究のところで、
「これはとある博物館関係者から教えてもらったことなんだけど、今竹島問題ってあるじゃないですか、
その日本の領有権主張の正当性を裏付けるために、今外務省が日本の博物館研究員に命じて、世界中の地図の調査をしらみつぶしにやってるらしいんです。
極秘に。韓国にはばれないようにね。」
というようなことを漏らしていました。
博物館はこういうこともやるんだよ、というような脈絡での漏えいでした。
いつも巡回ありがとう。
(((((((・・;)サササッ
100クリックぐらいしたい気分です。
当時の内閣が残した負の遺産は多すぎます。
絶対に許せません。
そして今尚、その生き残りが国会と言う場に存在できていると言う事実。
日本人は政治家に対して甘すぎませんか。
と言うより、無関心すぎるのでしょうか?
明らかに異常事態です。
変える必要が絶対にあると思います。
今日の記事にも少し触れましたが個人的にはふざけた制度だと思っております。
資本金もない会社など会社とはいえないと思うので。
またすぐ制度が変ると思いますが。
>見れば見るほど壮絶なメンバーですね。・・
「壮絶!」な、なるほど!
さすがに殿下的表現の冴え!
(驚きつつ、いつもながら笑いがこみ上げます)
そうです。
まさしく、同感です!
さらに、カケコトバ的tonoさん表現!
>この頃、私もまだ完全には目覚めていない時です。
目覚めていないのは、小生も同じ!
そして、かの大地震のニュース。
ハンガリーで聞きました。
3週間の後、帰国時(スイス航空で成田到着)の乗り換え経由地Zurich国際空港でタイム誌を購入。タイム誌記者の取材による英文記事にて全容を知りました。
帰国して古新聞を漁り、当時の記事に目を通しました。気が付いた事、タイム誌は、「山口組の慈善行為」に関し、詳細を記していましたが、日本の新聞並びにTV局は、報道を控えたようです。
ここらが我が国報道のあり方の不可思議なところです。
>売国系の人の目・・
さすがです。
殿下の謂わんとされること、よく分かります。
表情に出ているのですよ。
その類いに対する、事前の察知能力!?
ムム、難しいですね・・・
でも、tonoさんは既にお見通しかも?!!
いずれにしても、もう暫く、
さあ~、
諸々、諸々、
今年の9月が楽しみです。
ムム・・・・・・・
本当に、TSさんご自身のブログの記事にされても宜しいほど、充実且つ深遠なるコメントを頂き、
感激、
感謝、
敬意、
等々、
適切な御礼の申し上げようもない重大内容のレター(既にコメント以上の内容という意味にて)を頂き、不肖・エセ男爵、誠に光栄です。
私は、
ハンガリーに6年、
インドネシアに約4年、
滞在していました。
ハンガリーでは、下宿先の女主人の実家に招待され、当時80歳?のお父上にお会いし、ハンガリーの歴史地図を幾度も幾度も見せてもらいました。お父上曰く、ハンガリーの最大版図は19世紀初頭、15~6世紀から、度重なるオスマントルコの侵略に遇い、ハンガリーの国土は半分以下になったり、第1次世界大戦、第2次世界大戦を経て、現在のハンガリー国土に至っている事、お父上の「国を愛する」精神と、ハンガリー民族」の高潔なる伝統精神にもとずいた講釈を、ワインを酌み交わしながら何度も何度も拝聴した次第です。
ひるがえってインドネシアでは、
1945年に独立したものの、過去の歴史を話し語ってくれる大学教授も知識人も財界人も、見当たらないのです。
ヒンズー教の歴史的遺産も、イスラム文化も、戦前(第二次世界大戦)に残され、現在に引き継がれているはずの「資料」を探すは至難の業なのです。
なぜなら、
1845年以前の教育に、インドネシアの歴史的教育を受けたインドネシア知識人がほとんど皆無といってよいくらい、今の世に存在しないということ。
先立ちが死んでしまったのではなく、そういう歴史的知識を受け継いだ人材がなく、しかも資料を残すべき博物館的「所在地」がないのです。
なぜそうなったか?
聴いて驚きました。
1945年、日本の敗戦。と、同時に、いままで植民地として統治していたオランダ人が再度インドネシア占領を試みたものの、故スカルノ大統領を代表とするインドネシア人民族主義者に追われ、インドネシアは独立を果たしたのです。その時、歴史的遺産(石仏・歴史的資料・民族的芸術品の数々)を接収し、なんと、オランダ本国に持ち帰ったたとの事。
さすがオランダ人。一見紳士、さも貴族然として、おとなしそうですが、一皮剥けば、精神的には凶暴この上ない。
さて、我国日本。
そこでこのコメントにて、TSさんの仰るとおりです。
忘れていた「歴史的資料」!
大切です。
いま、その史実をひっくり返し、徹底的に整理すべきですね!
竹島関連の資料の調査、大切です。
あわせて、
近代日本、近世の歴史、もっと系統立てて整理したいものです。
〆て、
TSさんのコメントによる「逸話」の数々、たいへん参考になります。
ありがとうございます。
いや~~~~・・・
久しぶりに「刀舟流切れ味抜群」気迫満々のご意見を「記」していただき、感謝、且つ、光栄です。
破廉恥且つ蛆虫的な政治家!
いま尚存在、曲りなりに健在です!
無責任且つ自己利益誘導にて日々棲息しています。
許せません。
「・・・?」
さて、
刀舟さん、
如何でしょうか?
10年前から遡れば、
今日、
煎じ詰めれば「小泉兄」の、実績、改革の切り口、切り開いた功績は大ですぞ。
ならば、
ポスト小泉は、
切り口から「膿と癌」を抉り出し、完全治癒に向けて敢然と、政治生命を賭け、
『憲法改正』!
これに踏み切らねば、21世紀の我国は、完全消滅します!
いまの三莫迦隣国の揺さぶり、怖いことです。
手を打たねばなりません。三莫迦隣国の雑音は、徹底的に排除しなければなりません。
そのためには、今、直ぐやらなければならない作業とは、、、。
そう、
国民の末端まで、
A)正しき歴史認識と、
B)全時代的左巻思想を排除し、
C)世界に誇れる「教育改革」を、
断固実行すべきでしょう・・・
刀舟さん、
(お互い)日本男児ならば、
意を結して我々のやるべき活動あり。そのやるべきことの「前進」あるのみ、
ささ、さあ、動こう・・・
動いて、正しき認識の宣教、実践しようではありませんか!!!
ブッシュ君との会談。
横田夫人、会ってもらえて、ほんとうによかったです。
よい切っ掛けになればよいと思います。
日清戦争の調停、当時のルーズベルト大統領の肝いりで落着したのですが、米国大統領は「下心」があった。
日露仲立ちの交換条件で、当時の「満鉄」を、日本との共同経営を実行したかったのです。が、これを日本が断った。
この延長線上で「太平洋戦争」に引きずり込まれた歴史的結果があるのです。
面白いといえば面白いのですが、笑うに笑えません。
日本外交、もっと視野を広げて遂行してほしいものです。
特に21世紀は・・・
と、おもうのです・・・
>昨日から新会社法が施工されました。・・・
そうだ、そうですよね。
総論としては、間違っていないと思いますが、果たしてうまく機能するかどうか?
私的には、今さら会社設立するつもりがないので、直接関係ないのですが、TSさんの世代には優良法案ではないかと思いますが、如何?
そして、
私的に思うには、
うまく運用できること、願っているのです。
少し様子を見てみたいですね。