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Mnemonic:記憶術?

2006-02-12 00:03:30 | 趣味の話&本と雑学メモ
(image photo: Fountain-pen, by Wikipedia)

 調べものをしていたら、下記の英単語にぶつかった。

MNEMONIC:From Wikipedia, the free encyclopedia

できるだけ辞書を引きたくなかったけれど、引いた。引いて少し驚いた。最近の15年間にて、初めて出くわした単語であるから驚いた。なぜそれが判別できるか?念のために解説しておく。一度引いた英単語には必ず朱色の鉛筆でアンダーラインを引いており、それが二度目三度目になるとそれなりの回数がわかるよう、自分の記憶しにくい単語が判別できるよう、自分の辞書を管理し整理しているからだ。恥ずかしながら、どうしても覚えにくいジャンルの単語がある。引いた回数5~6回のマーク付きの単語があるが、覚えにくくてしょっちゅう忘れている。

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さて、
引っかかる単語だから、さらにしつこく英英辞典を引こうと思ったけれど、PCから操作できるウイキペディア事典(言語)を引いてみたら、下記の意味が出ていた。同じく日本語表記可能となっていたので『日本語』も引いてみたら結構詳細に意味が載っていた。
我輩、今日も脱帽である。パソコンから直接参照できるウイキペディア百科事典の便利さを、今日もまた再確認した次第である。
実は、
最近になって人物の名前、特に映画俳優や歌手などのど忘れが激しくなったので、いささか気になっている。元々記憶力に自信のない我輩、あえて今さら『記憶術』などどうでも宜しい事なのであるが、こうして百科事典を引いてみると、歴史的に科学的に?記憶する為の「技術」なり「工夫」がなされていたのだと感心する。
そして、自分自身の記憶にとどめておくためにも、本日参照したMnemonicの意味をブログ記事として記録しておきたい。

そして今からも尚、記憶力に自信のない我輩は、(特に英単語関連は)記憶しようと思わずに、ひたすら必要な英文を淡々と読み進めて行きたい。単語を忘れたていたら、ひたすら辞書を調べる。頭脳が記憶する必要性を感じていれば記憶しているであろうと、我が頭脳と気長に付き合っていきたく、記憶力の弱さを恥じることなく振舞うことにする。

以下、Wikipediaから、引用する。
A mnemonic (pronounced [nəˈmɑnɪk](発音記号明記できず) in American English, [nəˈmɒnɪk](発音記号文字化け) in British English) is a memory aid. Mnemonics are often verbal, something such as a very short poem or a special word used to help a person remember something. They are often used to remember lists. Mnemonics rely not only on repetition to remember facts, but also on associations between easy-to-remember constructs and lists of data, based on the principle that the human mind much more easily remembers data attached to spatial, personal or otherwise meaningful information than that occurring in meaningless sequences. The sequences must make sense though. If a random mnemonic is made up, it is not necessarily a memory aid.

The word mnemonic shares etymology with Mnemosyne, the name of the titan who personified Memory in Greek mythology. The first known reference to mnemonics is the method of loci described in Cicero's De Oratore.

The major assumption is that there are two sorts of memory: the "natural" memory and the "artificial" memory. The former is inborn, and is the one that everyone uses every day. The artificial memory is one that is trained through learning and practicing a variety of mnemonic techniques. The latter can be used to perform feats of memory that are quite extraordinary, impossible to carry out using the natural memory alone.

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 <以下、ウイキペディア日本語からの引用>

『記憶術』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

意味:記憶術(きおくじゅつ)とは、記憶しやすくするための技術。

目次
1 歴史的経過
2 内容
3 数字子音置換法(メジャー記憶術)
4 数字仮名置換法
5 語呂合わせ
6 場所法
6.1 片手指法
6.2 両手指法
6.3 時計法
7 物語法
8 頭文字法
9 音韻法
10 形態法
11 関連項目
12 外部リンク
13 関連書籍


歴史的経過
古代ギリシアのシモニデスが開祖といわれる。修辞学の一部門として扱われていた。 古代ローマの元老院などでは、メモを使用しての弁論が認められていなかったなどの理由により発達した。
現在では主に、入学試験対策や資格試験対策に活用されている。

内容
記憶術は、大きく2つの系統に分類できる。一つは、純粋に記憶のコツのようなものによって記憶の効率を上げる方法、もう一つは、人間の能力を向上させることによって記憶力を向上させる方法である。

シモニデスによってなされた、宴の座席とそこに座っていた人間とを対応させて記憶する「座の方法」や、そこから派生した、物を掛けるためのフック(鈎)を想像して、これに記憶すべきものを対応させる「フックの方法」などが前者の例として知られる。

後者の例としては、視野の拡大や、右脳の活性化などによる方法や、記憶力の向上によい食品や生活スタイルの追求などがある。

現在体系化されている記憶術は多くは、この両者を組み合わせたものである。

数字子音置換法(メジャー記憶術)
数字を子音に置き換える方法である。子音と子音の間に適当な母音を補う。 英語などのヨーロッパ系の言語で用いられる。

0 → s, c(サ行の音), z
1 → t, d, th
2 → n
3 → m
4 → r
5 → l
6 → sh, ch, j, g(ヂャ行の音)
7 → k, c(カ行の音), g(ガ行の音), ng
8 → f, v
9 → p, b

数字仮名置換法
数字を仮名に置き換える方法である。数字子音置換法を日本語用に改良したもの。

1 → あ行 → あ、い、う、え、お
2 → か行 → か、き、く、け、こ
3 → さ行 → さ、し、す、せ、そ
4 → た行 → た、ち、つ、て、と
5 → な行 → な、に、ぬ、ね、の
6 → は行 → は、ひ、ふ、へ、ほ
7 → ま行 → ま、み、む、め、も
8 → や行 → や、ゆ、よ
9 → ら行 → ら、り、る、れ、ろ
0 → わ行 → わ、ん

語呂合わせ
数字を仮名に置き換える方法である。数字子音置換法よりも簡単に習得できるが、数字に対応する文字が少ないので、適当な文を作るのが大変である。音読みとその変形をカタカナ、訓読みとその変形をひらがなで表す。

1 → イチ、イ、ひと、ひ
2 → ニ、ふた、ふ
3 → サン、サ、み
4 → シ、よ
5 → ゴ、コ、いつ
6 → ロク、ロ、む
7 → シチ、なな、な
8 → ハチ、ハ、パ、や
9 → キュウ、ク、ここの、ここ、こ
0 → レイ、レ、ゼロ、まる、わ、ん
10 → ジュウ、とお、と

場所法
場所(実際にある場所でも、架空の場所でも良い)を思い浮かべ、そこに記憶したい対象を置く方法である。記憶したい対象を空間的に配列する方法である。片手指法、両手指法、時計法などがある。

この方法は海馬にある場所ニューロンの特性を利用している。場所ニューロンは名前のとおり、場所の記憶を司る。場所の記憶は動物にとって重要なため、長期記憶に保存されやすい性質を持っている。


片手指法
5の項目を片手の指に対応させて覚える方法である。

左手小指 → 1
左手薬指 → 2
左手中指 → 3
左手人差し指 → 4
左手親指 → 5

両手指法
10の項目を両手の指に対応させて覚える方法である。

左手小指 → 1
左手薬指 → 2
左手中指 → 3
左手人差し指 → 4
左手親指 → 5
右手親指 → 6
右手人差し指 → 7
右手中指 → 8
右手薬指 → 9
右手小指 → 10

時計法
12の項目を時計の文字盤に対応させて覚える方法である。

1時 → 1
2時 → 2
3時 → 3
4時 → 4
5時 → 5
6時 → 6
7時 → 7
8時 → 8
9時 → 9
10時 → 10
11時 → 11
12時 → 12

物語法
物語を考え、その話に記憶したい対象を登場させる方法である。記憶したい項目を時間的に配列する方法である。


頭文字法
記憶したい対象の頭文字を取り出して覚える方法である。

音韻法
数字をその数字と韻を踏む単語に置き換える方法である。

1 → one → sun,fun,gun,nun
2 → two → shoe,Jew
3 → three → tree,bee,key,tea
4 → four → door,core
5 → five → live
6 → six → sticks
7 → seven → heaven
8 → eight → gate,date,fate,mate
9 → nine → line,sign,pine,wine
10 → ten → pen,men,hen

形態法
数字をその数字に似た形に置き換える方法である。

1 → 鉛筆、煙突
2 → アヒル
3 → 耳
4 → ヨット
5 → 鍵
6 → さくらんぼ
7 → がけ、鎌
8 → だるま
9 → オタマジャクシ
0 → 卵

関連項目
記憶
速読術

外部リンク
記憶術の技法
記憶術に優れた人の脳
記憶力を高めるトレーニングと10のポイント

関連書籍
『記憶術』フランシス・イエイツ 青木 信義 、 篠崎 実 、 玉泉 八州男 、 井出 新、 野崎 睦美 ISBN 4-89176-252-7
『記憶術と書物 中世ヨーロッパの情報文化』メアリー・カラザース 別宮貞徳訳 ISBN 4-87502-288-3
記憶術と書物
『 記憶術のススメ 近代日本と立身出世』岩井洋 青弓社 ISBN 4-7872-3132-4
記憶術のススメより作成

以上、ウイキペディアより引用、、。

以下、アマゾンドットコムより、参考のため検索し添付した。記憶術に関連する書物は、英単語の記憶方法から端を発し、かなりの種類に及ぶ多数が紹介されているから驚いた。
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ブログ小説 「フォワイエ・ポウ」 (2)

2006-02-10 02:09:28 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
Photo by G.A., at the French Restaurant in "Auberge Blanche Fuji" on Nov. 2004.

* 連載小説の掲載を始めました。毎週2回発表(水曜日&金曜日)いたします。

1)第1回掲載分(2月9日)(こちらから入れます)

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<ブログ連載小説>
 『フォワイエ・ポウ』 著:ジョージ青木

1章 1.(メタリックレッドのロールスロイス)

(2)

五反田恵子率いる一行は、ようやく目的地の「飲み屋専門雑居ビル」に到達した。
居酒屋、おでん屋、一杯めし屋、等々、ようやく7~8店舗程度の飲食店が入れる程度、そんな小さな4階建ビルの側面には、店の数だけ看板に灯が燈っている。
上から5番目の位置に黒地に白抜きの文字、カタカナで「フォワイエ・ポウ」・・
この看板の店、すなわち「フォワイエ・ポウ」が、御一行様の今夜の目的場所である。
小さなエレベーターに、すし詰めになって8名全員が乗り込むと、ほとんど定員オーバーの状態である。しかし、やはり女性ばかりの乗客は、このエレベーターにとっては軽いのであろう。エレベーターは定員オーバーのブザーは鳴らず、拒否反応無しに、動き始める。五反田恵子はおもむろに3Fのボタンを押すと、かなりゆっくりと動く旧式エレベーターは、それなりの時間をかけて目的地の3階に辿りつく。
再びエレベーターの扉が開く。
エレベーターから降り立った扉の目の前には、大人の雰囲気をうかがわせる和風居酒屋がある。その居酒屋の前を通過し、さらに左に回りこむ。回ればその右手におでん屋がある。これがまことに狭苦しい「おでん屋」で、カウンター席の7~8脚だけしかない。したがって7~8人で満席となる広さは、ビルの中に入っていなければ、まるっきり都会のガード下の屋台店そのものである。しかしそれなりに店の特徴らしきものもうかがえる。和風にしつらえてある壁は格子戸風ガラス張り。必ず着物を羽織って出勤するママは、年の頃40半ばであろうか。その他の従業員は1名。ママの母親の年恰好ではないけれども、どう見ても50台後半の女性である。おでん一筋の商売をして、すでに七年もたつ。今もつぶれずに頑張っている。そんなお店、外からガラス越しに店内が見える「おでん屋」を右側に眺めながら、約4~5メーター前進する。
通路は、そこで行き止まりとなる。
行き止まりとなった通路の突き当たりに、先ほどの「自転車ロールスロイス」が手前左側の壁に立てかけてあるではないか。行き止まりと思われた通路の右側の隅に、青いペンキが塗られた洋風のドアーが見えてきた。雑居ビルの狭い通路をこのあたりまで奥に入ると、わずかにモダンジャズ風の音楽が聞こえてくるのだ。ブルーに塗られたドアーの内側から、わずかに、もれ聞こえてくる。
息せき切って先頭を歩いていた五反田恵子が、息を弾ませながら口を開いた。
「さあ、ようやく到着しました!ここが目的地です、、、」
同じく息を弾ませている栗田係長は、息を吐きながら小さく叫んだ。
「俺、この4階の店に一度来た事あるよ。老舗の居酒屋で『モツ料理』が中心で、特に『テールスープ』が有名だぜ」
「あ、なんだ係長、そうなんだ、すでにこの場所、知ってらっしゃったんですね」
「知ってるよ、このビルにある居酒屋、地元の通のサラリーマンやそこそこの経営者クラスは、それなりに知ってるぜ、地元の有名人も来ているらしいし、結構それなりに凝った店があるんだってよ、そうなんだって」
一番年上、しかも御一行様の内ただ1人の男、なぜか今夜の栗田係長は1人ではしゃいでいる。女性陣からの返答や間合いの声がかからないので、栗田ひとりが喋っている。
「なんだなんだ、このビルは和風の飯屋ばかり入居しているのだ、とばかり思っていたけれど、しゃれた飲み屋もあるんだ」
栗田係長が一人で呟き感心しているうちに、先頭の五反田恵子がバーの入り口ドアーを開き、御一行はすでにバーの中まで足が進んでいた。

「いらっしゃい! お待ちしていました」
むやみに大声でなく、さりとて小声で呟くでもなく、しかし御一行様全員に聞こえるよう適切なヴォリュームの声で、マスターがお迎えの声をかけて、挨拶代わりにする。
「いらっしゃいませ・・・」
マスターに続き、若い男性従業員が控えめに挨拶をする。狭い店内の中、身のこなしはいかにも軽く、御一行到着までのわずか数分間の間にセッッティングを終えた一番奥のボックス席へ誘導する。が、しかし、その立ち居振る舞いはけっして大げさではなく、適度なスマートさが、ある。彼の名前は三城淳一、地元唯一の国立大学H大教育学部数学科2年生、九州は宮崎県の出身である。
栗田係長をはじめに、あついオシボリを手渡しながら、
「お飲み物いかが致しましょう?」
淳一の視線は、それとなく五反田恵子の目に向けられている。
「そうね、キープしている私のボトル、まだありましたね、それを出してくださいな・・・」
とっさに栗田が口を挟んだ。
「いや、今日は新しくボトルを出してもらおう、きみきみ、あ、三城君だっけ、ちょっと本田さん呼んで、俺がマスターに直接話しするから・・・」
女性に囲まれ、ボックス席にふんぞり返り、おもむろに足を組み、タバコに火をつけながら栗田は早口にしゃべり続ける。
「かしこまりました」
カウンターの中にいた本田は、すでにこのやり取りを聞いていた。栗田がしゃべり終わると、おもむろにカウンターから奥のボックス席にゆっくりと進んだ。
「マスターマスター、さすがですね。話がもう通じている。ところでさ、何かボトルキープしたいの、さて何にしよう?キープのお酒はなにがありますか。さて、みんな、何がいいのかな」
恵子が発言した。
「さすがに係長。今日は係長にご馳走になりますからね。でも、予算は決めていますからね、そう、2千円だけ!」
「先に係長に渡しておきますから、宜しくお願いしま~す」
しゃべりながら恵子は、さっそく他の女性連中から2千円を徴収し始めている。
「わかった、足らずは俺が出す。そのかわり俺の好きな酒をキープするよ、それでいいな、みんな・・・」
「OKで~す、係長にお任せしま~す」
「よ~し、シーバスだ!マスター、シーバスリーガル。ありますね。それ、キープできますか?」
「はい、大丈夫です、うちでキープできるのは、ちょっとクラシックですが、サントリーの角瓶、それから定番のサントリーオールド通称だるま、それにオールドパーとシーバスリーガルなのです。ほとんどがスコッチですよ、あと、最近はバーボンを云々言うお客がいますが、うちはワイルドターキーの12年物だけです。他のバーボンは、キープ対応はしていません」
この大切な話題、マスターは手短にしかもかなり詳細に、栗田に説明した。
「オオ、さすがマスター、シーバスはOKなんだ! 良かった、良かった。さっそくシーバスで、キープお願いしますよ・・・」
マスターに直接オーダーした栗田は、あらためて満足した。
「はい、さっそくご用意します」
「それから、乾杯はビールだよな。マスター、最初はビールでやりますからね」
「了解です、でも、この店、瓶ビールはおいてません、ハイネッケンの生ですが、それで宜しいでしょうか?」
「あ~、うれしいなマスター、ハイネッケンの生ビールがのめるなんて、それそれ、それでいこう・・・」
生ビールの注がれた人数分のジョッキー、さらにシーバスリーガルのボトル、人数分の水割りグラスが用意されたが、なぜか同時にワイングラスもテーブルに運ばれた。さらに彼らのボックスに近い場所に、ワインクーラーが運ばれてきた。
「このワイン、マスターからのプレゼントです」
マスターに代わって段取りしていた三城君は、栗田以下の全員に説明を始める。
「ドイツのモーゼルワイン、白ワインで少し甘口ですが、どなたのお口にも合いますので是非召し上がってみてください。とのことです・・・」
女性連中は単純に驚き、喜んだ。が、栗田の驚きが一番大きかった。
「ちょっと、ちょっと。こんなことしてもらって、どういうことなのかな」
栗田のつぶやきに、三城君が答える。
「あ~、時々ですが、うちのマスターは自分の気に入ったお客さんに特別にサービスする癖があるんです、なんだか、今日はまた特別にマスターの御機嫌が良いみたいでして・・・」
栗田は納得した。
「恐縮です、マスター、どうも、ありがとうございます」
カウンターの中で、急ごしらえのパーティー用オードブルを作っている本田に向けて、栗田は自分の席から立ち上がるように身体を乗出し、両手を振り回しながら、傍目に見ればまことに大げさに栗田流の礼を表現していた。
「あ~、ワインのお礼だなんて、大丈夫ですよ。どうぞご遠慮なく。後で五反田さんのお好きな温かい肉料理をご用意しますから、プレゼントしたモーゼルワインは暫くクーラーの中で冷やしておいて、温かい料理が出来上がってから、料理と一緒に召し上がってください」
こうして栗田に向けて話しながらも、カウンターの内側にいる本田の手元は忙しく、オードブルの飾り付けに専念してる。
御一行はビールで乾杯を終えた。たちまち栗田は奥のボックス席からカウンターに移ってきた。
本田に話しかけるのが、目的である。
「早速ですがマスター、ご一緒に生ビール、いかがですか?」
本田は即答を避け、少し考えた。その間、わずか十秒前後であるが、栗田にとって、そうとう長く感じた。
「はい、少し早いのですが、今夜はいいでしょう、一杯やりましょう」
通常本田は、10時過ぎまで、可能な限りアルコールを口にしないよう、努めて心がけていた。それには単純な理由がある。人にはそれぞれ酒の飲み方がある、酒を呑めば調子が変わる、いわゆる酒癖がある。しかし本田の酒には癖がない。あえて癖を探せば、ある。その癖は、酔っ払うと太っ腹になる癖であり、若い頃はずいぶん太っ腹になってはしご酒をやり、散財した経験がある。だから、自分のお店で太っ腹になると、金を払ってのみに来たお客全員に、酒をおごりかねない。近頃は自ら、そんな心配をしており、その証が、10時までは、酒を口にしない、という自己の決まりを作っているのだが、これがなかなか守れない。
「カンパイ!ようこそ、初めまして、宜しくお願いします・・・」

赤い自転車ロールスロイスとの出会いで、少し驚き、目的地の店に入るとモダンジャズのBGMで少し盛り上がり、店の一番奥のボックステーブルのセッティング準備完了で案内されたから久しぶりに自尊心が高まり、自分の好みのシーバスリーガルをキープして喜び、今夜の栗田の目的に合致したワインをサービスしてもらって盛り上がり、普通の飲み屋ではなかなか見当たらないハイネッケンの生ビールを口にして、アイドリングからいよいよ本調子にエンジンのかかった栗田は、満足して今夜のアクセルを踏み始めた。
まだ生ビール一口しか飲んでいない今夜の栗田係長は、すでに酔っ払っていた。それはアルコールに浸された肉体を意味するのではなく、アルコールを飲む前から、アルコールのムードに乗ってしまった自分自身の気分に酔っ払っていたのである。

ブログ小説 「フォワイエ・ポウ」(1)

2006-02-09 05:03:09 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<写真:クラブ・デラ・ヴァルケッタ参加車より、場所:旧オーベルジュ・ブランシュ・富士正面入り口にて(2004年11月中旬)>


   ブログ連載小説『フォワイエ・ポウ』

                著:ジョージ青木

        1章

  1.(メタリックレッドのロールスロイス)

 (1)

ようやくまともに走り始めた自転車の進行方向には、何故か今夜に限って7~8名の歩行者集団があり、それは一つの固まりになって、しかもいそいそとわずかながら小走り気味に歩いている。いくら人間が小走りに歩いても自転車のほうが、早い。たちまちメタリックレッドの自転車ロールスロイスは追いついてしまう。

夕方のラッシュアワーに退社時間が鉢合わせする時間帯、夕方の6時過ぎ、八丁堀交差点付近の人の流れは途切れることなく金座街から中央商店街まで繋がっている。数時間は途切れない。が、いったん「並木通り」に入ると、なぜか人通りの混雑は落ちつく。
自転車とその運転者はようやく元気になった。
ペダルが回りタイヤが回り正常に進み始めたにもかかわらず、その進行方向には思いがけない障害物がある。
男女8人の集団。
いや、男性1人、他は、全員女性の一団である。
(なんだなんだ、なにやってんだよ、この連中は、、、)
この集団、おしゃべりが忙しい。後ろから自転車が追いついている気配を、まったく感じ取れないでいる。
(困ったものだぜ この時間に並木通りを集団で移動する輩がいるか? 一体全体、どこに遊びに行こうとしてるんだ、もう、この界隈のブティックは店じまいの時間だ、お店が閉まる時間になって、しかも集団で、どこのブティック見学をするのだろう?)
この街では、並木通りは、高級ブティック街として有名である。だから、自転車の運転者はてっきりこの集団がブティック見学に出向いていると思い込んでいるのだ。
(おいおい、そろそろどちらかに避けてくれよ、自転車を通してくれよ!このままでは、追い越せないぜ、まったく・・・)
ロールスロイスの運転手は、いよいよ6~7メーター手前からベルの警笛を鳴らす。
「チー~ン」
片手で、ベルを鳴らす。
一昔前の荷車的自転車のようなジリジリと鳴る自転車的ベルは装備されていないから、通常はこんな上品なベルを鳴らしても、にぎやかな周囲の雑音にかき消されてしまうから、ベルを聞いて欲しい人物には十分な音は届かなく、さほどの実用的効果はない。このベルの音は気持ち的な飾り音、すなわち自転車運転者の自己満足的音勢である。しかしかろうじて、前方の集団にはこの警笛が聞き取れたらしく、いそいそと歩いていた横一列の隊列から、大慌てで進行方向左手のブティック側に移動し始めた。隊列が移動を始めたのはよかったが、急ぎ足で歩いていたからこそ、横に移動する隊列が乱れた。二~三人の足元がよろめき、まるで出来損ないのアヒルのヒナの一団は、がに股でもたついているように自転車ロールスロイスの彼の目に、映る。
(なんだなんだ、こんな時こそ男が女をカヴァーしなくちゃ、この野郎、一番初めに左に寄って退避してしまって…)
(男たるもの、レディーファーストを忘れているのか、若い女性を、なんと考えるのか、どうもこの男、けしからんぞ・・・)
見るからに高級なトレンチコートを羽織った細身小柄な男は、最初に退避した。こうして後ろから、しかも通常の目線よりも少々高い位置である自転車のサドルから眺めていると、連中の態度振る舞い状況などが、よく見える。いかにも足短く、歩けばよろけている女性軍団の後ろ姿の滑稽さを眺めて笑いつつ、自転車ロールスロイスの運転手は、男女八名の御一行様を抜き去った。
「オ、オ! なんだなんだ!急に自転車で追い抜いたりして、危ないじゃないか!」
「歩道を歩いている人に、自転車が通るからよけて歩け!なんて、失礼ね!」
あくまでも乗り手の自己満足的なロールスロイス風自転車の走り方に対して、ご一行の中の二三人の女性が、マナーをうるさく非難し、罵声を投げかける如くに喋りまくるが、自転車までの距離には、会話の音はおろか内容までは決して伝わっていない。そんなこんなの罵声を、自転車が分け入って抜き去ったすぐその後、団子状態集団の一人が叫んだ。が、自転車はそのまま集団から離れていく。ゆっくりとペダルをこぎながら、自転車の運転者は後ろの団子集団の御一行に対して全く気に留めてなく、すでに十メーターばかり集団から離れてしまっている。車体が軽いから、ギアーの比率が適宜に高いから、よく舗装整備された平坦な道路であれば、それらの条件が大前提の話であるが、なにしろペダルに足を置いているだけで、足の重さだけでその自転車は前に進んでいるといっても過言ではない。
「失礼ね、何なの、あの自転車に乗ってる人ったら気取っちゃって」
「ハンチング帽子なんかかぶって、あれ結構高級な替え上着よ、乗馬服を気取っているわけでもないのに」
紺色一色の地味なハンチング帽子は、やや前傾気味に深くかぶり、ジャケットの内側にはシンプルな白のスポーツシャツ、足元は濃紺のズボン。極めつけは、右足の足元のズボンをくるぶしに巻きつけて、後生大事に靴下の中に突っ込んでいる。それには理由ある。つまり、自転車の前のギアーが裸であるから、そのままペダルをこぐと、こぎ始めた瞬間にズボンの裾が大きな前ギアーとチェーンの間に食い込んでしまい、一瞬のうちに自転車は停止、さらにズボンの裾がギアーとチェーンに絡み付き、ズボンは瞬時にずたずたに裂けてしまい、二度とはけなくなり一巻の終わりとなる。だから、右足のズボンの裾だけ靴下に巻き込んで食い込み事故を未然に防いでいる。だから自転車の運転者がやっている足元の出で立ちは、まぎれもなく正しい姿なのだ。しかし、知らない人間が見れば、片足だけズボンのすそを靴下に突っ込んでいるアンバランスさは、理解できないに違いない。
「あ、あれ? なんだあの人、マスターだ!」
「マスター、マスター・・・」
メタリックレッドの自転車ロールスロイス運転者は、なんだかヨタヨタ歩きの御一行様の知り合いのようだ。ロールスロイスが抜き差って数秒と立たないうち、後ろから声がした。
トロトロ運転の自転車は、とりあえず停まった。
すでにその一団とは十数メーターの距離があった。すでに周囲は暗く、連中の姿かたちはわかるが、お互い顔までは確認できない。
「本田さん、マスターですよね・・・」
ご一行様の集団と自転車の持ち主の距離が短くなるにつれ、お互いにようやく顔かたちが確認できるようになった。
「あ~ なんだ、恵子さんだ。こんばんは。おげんきでしたか、ほんとうにおひさしぶり・・・」
自転車を走らせていた人物は、本田幸一。こうして自転車を停め、さらにようやく自分から口をきいた。
「マスターは今、自転車でご出勤ですか?」
「そう、でもすでに若者が店に入っているから心配ない、私の出勤時間は?と、言えば今日はいつもより早い出勤ですよ・・・」
「よかった! 今ここで、マスターとお会いできて」
彼と会話しているのは五反田恵子、本田の店の常連客である。
「何なのですか、こうして皆さんご一緒に行動されて・・・」
ここで、立ち話が始まった。
「皆でマスターの店に行こうということになって、今、向かっているところなのです!」
あらためて本田は、五反田恵子に理由を聞いた。
五反田は理由を話した。
彼女の職場内で、飲み屋直行の計画が飛び出した。しかもこの計画は、今日の夕刻になって突然まとまった話だという。一週間遅れで仲間の女性の誕生パーティーを開く事になったそうだ。場所も決めていなく、さりとて予約できる時間でもなく、そうとなれば本田の店に一番乗りしてテーブルを確保し、行き当たりばったりの「バースデー・ミニ・パーティー」を開く以外に方法はない、ということになった。と、云う。
「今夜、席はありますね、大丈夫ですよね」
「何人?」
「もう少し後になって二~三人来ます。お店で直接集合する、といって、まだ残業しています。おそらく全員で十人になります」
「OK! 奥の席2テーブル使えばいけるよ」
「え~ 奥のテーブル全部使っていいですか?」
「ウム、まったく構いません」
「あ~ うれしいわ・・・」

五反田恵子はよろこんだ。メンツが立ったようだ。
「早く来て、よかったな・・・」
集団の中の一人の男性がようやく喋った。
「なに? それで皆さん、急いでいたの?」
「そうなんです、あ、それからマスター、申し遅れました、紹介します」
恵子は大急ぎで男性を紹介した。
「栗田係長です。私達の、となりのセクションの係長です。わが社で指折りのプロ歌手です。今日はカラオケ大会やりますから、是非、マスターに係長の歌を聴いて頂きたいのです」
「始めまして栗田です」
年のころ三十歳の半ば、眼鏡をかけており、礼儀正しくかつ神経質そうな細身の男である。
「本田です、いつもお世話になります」
「こちらこそ、若い者がいつもお世話になっていまして、ありがとうございます、 そして、すてきなマスターのおうわさは何度もお聞きしています」
「私の噂ですか? 怖いな~ でも、こちらこそ皆様にご贔屓にして頂きまして…また、これをご縁に栗田さま、どうぞ宜しくお願いします」
栗田の立ち居振る舞いから、本田はとっさに判断した。
(今夜のスポンサーはこの人物、すなわち栗田係長に相違ない!)
(ウム、今日は出だし好調、今夜はいける、いいぞ!)
この団体客の売り上げ予測が、頭をよぎった。
さらに頭の中で呟き、支払いの確かさを再確認した。かたや、わずか数秒の間、栗田係長は、本田の赤い自転車を興味深そうに眺めていた。
こうして互いの挨拶を終えた。さっそく団体さまご一行を受け入れるための準備にかかるべく自転車にまたがり店に向かった。
本田が走り去った直ぐその後、再び栗田係長が口を開いた。
「五反田君、マスターの乗っている自転車、あれ、かなり高級品だぜ」
五反田恵子は、話の意味が分からない。
「高級品という事は、買うと高い、ということですか? なるほど、やはりそうなんだ、聞いたことありますよ、たしか、『これは、自転車のロールスロイスだ!』って、お酒飲んでいたマスターから、私は直接ウンチクを聞かされたことがありますよ・・・」
五反田恵子の解答は、どうやら栗田の満足する答えになっていたようだ。
栗田はつぶやいた。
「マスター、なんだか、そうとう凝り性なんだろうな・・・」
「凝り性かどうか、分かりませんが」
「とすると、今から行く店も、変わった嗜好を凝らしているのかな?」
本田と顔を合わす事わずか1~2分間にもかかわらず、初対面の栗田にはあらゆる楽しい想像が膨らんできた。こうしてミニパーティー参加の集団は、先に走って視界から消え去った自転車ロールスロイスの後を追うごとく、いっそう足早に歩き始めた。

 *続く-2月10日(金)

ブログで取組みたい『企画』?

2006-02-08 12:43:33 | つれずれ紀行
<添付:イメージ画像>from Wikipedia:"Yacht" (Single-masted sailing yacht passing a luxury private yacht and a schooner)

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 昨年の2月に立ち戻ると、ブログを張った最初の動機が見えてくる・・・

サラリーマン時代の大先輩から突然電話が入り、
「ホームページを作らないのであれば、ブログとやらを始めてみてはどうか?」
「・・・?」
「君は、『電車男』を知っているか? 今流行のブログを知っているか? 『鬼嫁日記』を知っているか?」
「・・・!」
こちら何の事だかさっぱり要領を得ない。
ものぐさに「ameblo」とやらを開いてみた。なんとなく分かった。
今度は自分から先輩に電話した。
「!・・・!」
「おう、それそれ、君のブログで『バリ島の長期滞在』の企画を売り出したらどうか?」
「まあ、ブログで旅行を販売するのはきわめて難しいでしょうが、様子見のために手元にあるバリ島の写真でも記事にしてみますか~」

てな感じで飴風呂を始めたのが切っ掛けであった。その後、2ヶ月も経たないうちに飴風呂の掲載写真のキャパシティーが一杯になってしまい、現在のgooに替わって記事投稿始めたのは4月の中旬からであったか、、、。
昨年夏場から秋口にかけて少し投稿を休んだが、9月末から再開し年がかわって2月になった。
ブロガー経験=1年間・・・
と、なった今日、あらためて自分自身のブログ取組みを整理したくなり、本日この記事を書いている。

何かやるとなれば、 

A)アフィリエイトをバシバシ貼って「サイドビジネス」をやらかすような小技は、我輩にはできない。ブログでバリ島のロングステイ企画を売出すなど、無論できっこないし、今尚やるつもりはない。

B)日記風に、思いついたことを好きに書きなぐる方向は、この一年間やってきた。しかし逆に、フラストレーションがたまる今日この頃。

C)何故にそうなのか?考えてみた。

考えた結果、ブログでやれる可能性の中核から避けて来続けた自分の存在に気がついた。

そう、
物書きの真似事を始めてから、すでに足掛け5年になる。
物書きとして、自分のターゲットを射止めるまでにはもう暫く時間がかかるのは確かである。しかし、せっかくブログという発表の場があるのだから、作品の一部をブログに掲載したら如何なるのか?

すでに半年くらい以前から、考え続けてきた案件である。が、昨夜一晩寝て、今朝になって決断した。掲載する事に踏み切った。

ちょうど手元に、未だ未完成の「長編エンターテインメント小説」がある。なかなか気合を入れて書き進めることができない、結構面白く且つ厄介なシロモノを携えている。これ、ある程度世間に晒す事により、最期まで書き進める事可能となるよう、執筆継続の動機となれば、ありがたい・・・

決めた!
1)連載小説は、必ずや毎週2回の投稿とする。概ね週中(水曜日)と週末(金曜日)が良いだろう。
2)今まで通りの記事投稿は、これを続ける。
3)しかし、小説執筆に重点を置くとならば、通常記事の投稿は少しヴォリュームを絞りたく、これまた毎週1~2回程度の投稿に留めておきたい。

さて、
連載する小説は『フォワイエ・ポウ』と題し、
時代は少し遡ること1990年代の初めから、現在に至るまでを背景とし、
場所は日本国内。地方中堅都市の夜の巷に佇むクールでマニアックな「バー」を舞台に、バーの経営者であるマスターと彼の店に出入りする顧客との織り成す『人間模様』を描き切ってみたい。
連載は、毎週二回。向う半年間、おおよそ今年7月迄連続か、、、。
飲み屋(バー)という動かない位置から、定点観察をする。すなわち「舞台演劇的手法」にて、物語に登場する「人間アラカルト」のヴァリエーションを、粋に、お洒落に、ダンディーに、抽出してみたいのだ。以って、年齢性別を越えた読者には、必ずやフォワイエ・ポウ(小説の舞台となるBar、すなわち「お店」の名前)の顧客のいずれかに?そう、小説の読者は全員、「小説の登場人物」になっていただけるであろう事を期待したいのだ。
そして、
月並みな推理小説的事件性は控えつつ、淡々且つほのぼのと、時代の動きと人間模様を徒然に描き切ってみる、それを試みる、、、。

さて、連載小説の初回は明朝(木曜日)、2回目から金曜~水曜、投稿予定、、、。
長編エンターテインメント小説『フォワイエ・ポウ』を宜しく応援してください・・・
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Blogをはじめて、早くも一年・・・

2006-02-07 12:31:58 | つれずれ紀行
 光陰矢のごとし・・・・

月日の経つのは早く、飴風呂にてBlogをはじめたのが昨年の2月。といっても、まだ一年しか経っていないのですが、飴風呂のブログに参加した当初の、飴風呂参加者数は、確か25万人少々の登録者数でありました。何といまや飴風呂は86万人をこえる参加者に達している。たしか我輩が飴風呂を脱退したのは昨年の4月中旬。その時のgooブログの参加者は25万人になるかならないか。
ところが今、459,777人!
上記人数は昨日(2006年2月6日)現在の「gooブログ参加者数」となっている。
となれば、何と何と、日本全国に張りめぐらされた各ブログを総合すれば、おおよそ200~300万人がブログを張っている計算になるか、あるいはもっと沢山いるのか。
ブログ参加者の増加率は驚異的であり、当gooブログから割り出しても、一年間でおおよそ倍近くに参加者が増加しているのである。おおよそ1日で1000人前後の新規ブログ開設者が(実際に)いるのである。各社ブログを加算合計すれば、一日に1万人弱の新規参加者がいると思われる。
しかし、新しく参加するものもいれば、ブログから去っていくものもいる。あるいは、我輩のように飴風呂のサイトをそのまま生殺しに放り投げているブロガーも多く存在するであろう。ひょっとすると、参加者の半数以上は、すでに遊休ブログになっている可能性は大きいと見るが、如何?
しかし今後、どう考えてもブロガーが減少することはないと思うし、長い目で見て、
1)今からどれだけブログ開設者の数が伸びるのか?
2)ブログで一体何が変わるのか?
3)皆さん、ブログで何をしようとしているのか?
よく判らない。が、しかし、そんなことは気にしなくてもよく、一向に解からなくてもいいような気がする。

問題は、自分自身の事、自分はブログで何をしたいのか?

それを明確にしておかねばならない。

いや、一年経過した今日、明確にしておきたい。

明確にし、さらに、自分流のブログを創りたい。

<続く=明日記事へ・・・>


* 自分自身のブログの「あり方」について、あらためて真面目に考え、今後の方針を自問し試行錯誤する「不肖・エセ男爵」の心境に対し、いくばくかのご理解を頂ける方は是非、下記バーをクリック願います、、、。

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節分祭 『安芸の宮島』より(4/4)

2006-02-05 11:13:32 | つれずれ紀行
Poto: by Mr. UT, (at Miyajima-Hiroshima, on 3, Feb. 2006)

 宮島の船着場から、さらに西方向に位置する参道商店街を抜けると、いよいよ厳島神社が見えてくる。

 この位置から撮影したUT氏の右斜め後方に、「海上の大鳥居」を望める神社と鳥居を撮影可能とする『好位置』なのである。ほぼ9割方逆光線、小波打つ水面の光線反射を極限に抑えつつ、適切な露出が成り立っているから、この写真はすばらしい。とにかくUT氏は、先ず素直に且つたいへん巧く撮影している。昨年一年間、さらに写真撮影技術を磨いた航跡がうかがえるが、決して技巧に凝らない。被写体を素直に見つめ、邪念のないきれいな画面を求めてやまない純朴さが魅力なのである。

 このところ毎年台風シーズンになると、高潮で「一騒ぎ」しなければなんらないのが、この海上廊道にあたる板張りの通路である。満潮時の高潮で、板の上まで海面が押し寄せるからたまらない。地球温暖化が叫ばれる今日この頃、南極北極の氷が解けて世界中の潮位が上がっているらしい。こうなったら時間の問題であるから、そろそろ海上神社全面を、さらにもう1メーターくらい高い位置になるよう、改築工事しなくてはいけないのではないか。無駄な経費を省いて、こういう時にこそ、しっかりとお金を使ってほしい。

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<参考資料>
『厳島神社の由来』(宮島観光案内より)
 太古の時代から、宮島の景観には人々が霊気を感じ、島そのものを神として、信仰の対象にしていました。社殿の創建は、推古天皇即位元年(593年)、佐伯鞍職によると伝えられています。
 神社の敷地を州浜に求めたのも、島そのものを神と見たためと思われます。
 厳島神社は、弘仁2年(811年)にはじめて日本の歴史に記録され、『日本後記』には伊都岐島神を名神に列しています。
 平清盛の時代には、平家一族の拝するところとなり、仁安3年(1168年)ころには社殿が造営されました。平家一門の権勢が増大するにともない、社を崇拝する度合も高まり、多くの貴族を始めとする人々の知るところとなり、社運はますます盛大になりました。
 京都からは、皇族、貴族が訪れ、当時の平安文化が積極的に取り入れられました。舞楽が始まったのもこの時代です。平家滅亡後も、源氏一門に厚遇され、安定と隆盛の時代でありました。
 社殿は、承元元年(1207年)と貞応2年(1223年)に火災にあい、これら災害の修復が行われましたが、たび重なる火災で神社の規模も移り変わったと思われ、弘安の時代(1278~1288年)に記された社殿の図は今の配置と異なっています。その後、正中2年(1325年)台風で現在の配置に近い姿であったことがうかがえる記録が残されています。
 鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になると、社殿は徐々に衰退し、荒廃の時代を迎えますが、弘治元年(1555年)、毛利元就が厳島の合戦で勝利を収め、社殿を支配下に置き、神社を深く崇敬した頃から社運はふたたび上昇しはじめました。豊臣秀吉も、九州遠征のさいに立ち寄り、安国寺に大経堂の建立を命じています。
太古からの人々の信仰を集め、時の権力からも崇拝をうけ、たぐい稀な建築様式と文化を併せ持つ厳島神社は、現代にも生き続ける日本文化と歴史の象徴であり、日本の人々の心の情景でもあります。

* (宮島観光協会のHPは、こちらから・・・)

節分祭 「安芸の宮島」より(3/4)

2006-02-04 11:05:12 | つれずれ紀行
Photo: by Mr. U.T., (at Miyajima-Island., Hiroshima-Japan, on 3, Feb. 2006)


 掲載写真は、我輩の友人UT氏の撮影。安芸の宮島「大鳥居」である。

 JR山陽本線宮島口駅より徒歩5分。宮島向け専用の船着場から、JRと私鉄(私鉄ではなく私立?の船会社、確か「松大汽船」)の運行するフェリーボートに乗船。僅か十分前後で宮島の港に着く。この大鳥居は、海上から舟にて厳島神社に御参りする目的で建造されたと聞く。
 この太陽の位置からして、撮影時間は遅い午前。鳥居の背景をなしている景観は、本州。やや右斜めの位置がJR宮島口駅方面になるであろう。(宮島観光協会のHPは、こちらから・・・)

 この日の中国地方は、にわかに冬型天気になり、冷たくも冴え渡った冬の晴れ空の中、瀬戸内海の海風はいかにも北風にさらされ、いつもの凪の状態から少し波立っている。かくして又、いかにもUT氏らしい心温まる『美しい写真』に出来上がった・・・

 今年の正月、元旦の「かどまつ」写真に継ぐUT氏からの「寄贈写真」。一連の写真からは、やはりUT氏らしさが「表現」されているから、あらためて不思議さを感じている。

「・・・?」

「いやなに、何てことないけれど、通して同じ撮影者の写真作品を観ると、その作者の個性が現われてくるから面白く、且つ不思議なのである・・・」 

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(宮島観光協会のHPは、こちらから・・・)

節分祭「安芸の宮島」より(2/4)

2006-02-03 10:08:48 | つれずれ紀行
Photo: by Mr. UT, (at Miyajima on 3, Feb. 2006)

 日本三景の一つ、安芸の宮島から「節分祭」のレポート。

 第2弾・・・

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下記、友人UT氏からのメール抜粋。
 
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寒中お見舞い申し上げます。

お元気ですか、2月に入り再び寒波襲来でしょうか?  この週末はチョッピリ冷たく、夕方は小雪が舞っていました。
今日は恒例の宮島の「厄除け・開運 節分祭」があり、毎年の行事としてお参りに行ってきましたので写真を送信します。

節分祭についての「ちょっとした情報」をお教えしましょう。
まかれる物は: 紙袋入りの福豆・紅白餅・もみじ饅頭・みかんです。
接待としては: 1500人分の開運そばの接待があります。想像できますか11:00~13:00まで行列が出来ています。
         そばの接待を受ける列の姿に戦後の食料配給の真剣さは重なりません、余裕・・余裕で並んでいますよ!
          大きさ量は(どん兵衛)と同じですが、味はとても比較になりません、ベリイデリシャスでした。

また、今日は結婚式の行列にも出会いました。

では・・・また。


            2006.2.3.  T.U.

節分祭「安芸の宮島」より(1/4)

2006-02-03 10:06:41 | つれずれ紀行
Photo: by Mr. UT, (at Miyajima-Hiroshima on 3, Feb. 2006)


「・・・!?」

「あ、この看板ですか? 節分祭の看板です・・・」

「・・・?」

「場所? はい、安芸の宮島にて、広島県は瀬戸内海に浮かぶ厳島(いつくしま)。そう、宮島です・・・」

 2月3日は「節分」。宮島でも、毎年節分の行事が行なわれ、我輩の友人TS氏は恒例にて参加し、さっそく写真を送ってよこした。

 連載5回、3日間にて記事にしたい。

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ロートレック (2/3) 華麗なる19世紀の「夜の盛り場」を描く・・・

2006-02-02 11:53:52 | 研究:「ダンディズム」
(La Goulue arrivant au Moulin Rouge) from Wikipedia,,,

 「・・・!」

「え? 違いますぞ。この女性は岸田今日子さんとは違うでしょう!」

「・・・?」

「そう、ロートレックの描いた代表作、キャバレーに出入りする女性だから、ショー・ダンサーか、あるいは呑屋に出入りして客を物色している娼婦でしょうが・・・」

「・・・!?!」

「あ、また早とちり。違ってましたか?・・・」

 艶やかなブルーの衣装を纏った女性、いたるところに白色を駆使されているのが、いかにもロートレック絵画の表現法か。

 この絵の女性は、かの有名な「フレンチ・カンカン」を創作したダンサー:「La Goulue」がムーランルージュに到着した様子を描いたものだとされる。今はシカゴ博物館に所蔵される、ロートレックを代表する名画なのだ。したがってこの女性、並みの踊り子でもないし恐れ多くも巷の娼婦殿ではない。しかし、彼女の表情、いかにも東洋系ではなかろうか、、、。

 伯爵家出身のロートレック。生まれながらにして身体障害者であったのこと。19世紀当時の身体障害者は(程度によりけりであろうが)カタワ者として、我々現代人の想像以上に蔑まれていたに違いなく、たぶん、ロートレック自身も劣等感にさいなまれたはず。夜の巷に生息する「夜の女」たちを描き続けたのは、自己否定し且つ卑下しつつも、「夜の世界」や「踊り子」はたまた「夜の女」を描き続けたのは、強烈な自己主張の表現なのか。そんなロートレックの心の内に、彼独自の美意識と価値観が、毅然として存在していたに違いない。
 そんな視点から、「この絵」とロートレックの「生き様」を紡いでいけば、その先に見えてくるものは「粋の世界・ダンディズムの世界」なのか。
そう!
まずは時代を、100年前に遡ってみる。そして、自分の見て知っている現代「パリの夜世界」と、当時のロートレックの感じた「夜の世界」をブレンドし、もってカクテルを作った。情景・風情・人情・音とざわめきと光を想像し、ブレンドして出来上がったものは、そこはかとなく薫り高い「19世紀の夜の文化」へのいざないであった。
 これ、日本風に於きかれば、高級料亭における芸者遊びに類似し結びつくか。はたまた御茶屋遊びなのか。我輩の気風として、どうも四畳半にて男女しっぽり膝を付き合わせた「遊びの世界」には無粋にて未だ通じず、したがって永井荷風的世界も暗夜航路の時任謙作的遊びの放蕩甘美な領域は、解らない。そして今尚、理解不行き届きにて、現在に至る。いかにも和風な洒落と粋の世界は立ち寄りがたく、クラブやキャバレー遊びに傾倒していた旧き良き時代、若かりし頃の放蕩三昧を思い出す。
 しかし、時は今、21世紀。夜の盛り場で気炎を吐きつつ歎美の世界に没頭するは、もはや時代遅れの戯言になってしまったか、、、。
あ~ またしてもショーンコネリー卿の奥様ミシェル夫人の絵画の蘊蓄から脱線してしまい、今日もまた暴走を続ける。

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 絵画の話に戻るけれど、しかしどう見たって、この狐顔の女性は東洋系の顔に見える。あらためて見てみると、なぜか往年の名女優「岸田今日子」お姉さまに見えてきて仕方がない。いや、岸田今日子姉御の方がよほど美人に見えてくる。失礼。我がテーマはけっして女性を語るものではなく、あくまでも「男の粋」を語ろうとしているのであるから、これは失礼・・・



徳間ジャパンコミュニケーションズ

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芸名 岸田今日子
フリガナ キシダキョウコ
出身地 東京
血液型 A
身長 156cm
体重 48kg
ジャンル 女優
デビュー年 1950年
デビュー作品 キティ颱風
代表作品 ・砂の女(映画)(1964)

 という訳で、大女優・岸田今日子さんの若かりし頃の映画を引っ張ってきたが、我輩一度もこの映画を観ていない。(右隣の美人?往年の若尾文子さんかい?)
女優岸田今日子さまは、むしろ一歳取られた近年の作品の方に、そこはかとない女性の可愛さと魅力を感じているのだ。
 加えて 「あまぞんcom」を参照すれば、何と何と岸田今日子さん関わるBOOKs、たくさんあるではないか。執筆をなさるとは知らなかったけれど、映画女優としての彼女の芸術世界を、文章活字で追いかけるのも趣がある。
てなことで、なんだか面白そうだから、是非一度、拝読したいものである。

大人にしてあげた小さなお話

大和書房

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 話をロートレックに戻す。
ロートレックを紹介する書籍は沢山ある、、、。
これも是非一度、ロートレックを紹介する書籍に目を通したくなった・・・ 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

PARCO出版

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