基本的に禁止令は、鵜呑みにしているわけではなく、人はそのようなメッセージを受けつつも、自分で選択して受け入れているはずです。
窮屈だった脱ぐだろうし、ほどよい締め付け具合で、本来はゆるくて、もろくて、溶け出しそうな自分が「しゃんと」していられるという恩恵もあり(笑)
私が受け取ったと心当たりのある「子供であるな」「女であるな」「愛するな・信用するな・近づくな」「感じるな」という禁止令ですが、
「子供であるな」という禁止令を、類似する言葉としても、ダイレクトに言語で受け取った記憶はないです。
私は姉と7歳違い、多少遅く生まれたこともあり、大人ばかりの家庭に育っています。そのせいか、比較的早い段階で「自立」を求められ、「自分のことは自分でやろう」と育てられ、母の期待以上に自主性を発揮し、何か形になった時のまだ若かりし日の母のうれしそうな顔は今でも覚えています。
何でも自分でできることがよいことなのだという私の価値観はこうして形成されていっていると思います。
全く可愛げはありませんが、おかげ様で、たくましく自活しています(笑)
「女であるな」そんなこと、真顔で直接言う親は少ないでしょう・・・でも、いるかも。
これは私が、本家の末娘に生まれて後を継がなければならない立場だったことも影響しています。
それは、小さい時に、親が私を「下の娘です」と紹介した時、「お宅は、男の子はおいでではないのか?」とよく周囲の大人たちに聞かれたことが原因でしょう。
父も母も、毎度、毎度、本当に歯切れの悪いリアクションでしたね・・・・。
んったく、なんかモゴモゴしてるっていうかぁ~。
実家の金沢は古くは加賀藩で藩主であった前田家が「命は一代、名は末代」と戦国の世の争いを極力避け、今もなお誇り高き文化都市を見守っている、そんな街です。
私の姓は非常に珍しく、私が養子をもらわない限りは、名前が絶えることを両親が残念に思っていたことをいつも感じていました。
男に生まれていれば・・・などと無意味に自分を責めることはしませんでしたけどね。
ん、結構お気楽なコ?・・・って言うか、当時の科学が産み分けの知恵を授けるはずもなく、誰も選べませんでしたからねっ。
母が、不妊の時期を乗り越え、私を生み育て「あなたは望まれて生まれてきた子だ」と言ってくれることや、いまだに「へその緒」を見て感想をメールで送ってくるあたりに、もう「女性でいていいんだなぁ」と遠慮なく思えるようになって来ました。
年をとり、力なく、諦めも混じり、またそんなことよりも、娘の人生を何よりも案じる親心でしょうかね・・・。
まっ、不肖の娘ほどかわいい・・・って不名誉な誉め言葉も、親の元気なうちはありがたく受け取るとして(苦笑)
最近、自分が、母になる日がくるのか来ないのか、まったく霧の向こうのことが「ほんの少しだけ」気になるようになってきました。
とは言え、ものには順番がありますので・・・(笑)
と、急に成人(A)の自我がむっくり起き上がり、全く妄想に耽れない(苦笑)。
はるさん、自由な子供(FC)を高めてください・・・・
イメージって大事ですから。
「あんたは一生1人でいるひとじゃないと思うから」そんな母の言葉が、夫と別れ、1人で生きていくことを後押ししたひとことでした。
「禁止令(Injunctions)」には「許可するもの(Permissions)」といって、禁止令に対して、それを選ぶか否か選択を促すメッセージがあります。
「女でいてOKだよ」
私は、このメッセージで、女性として強く、美しく生きることを選びます。
外見の経年劣化はいたし方なく、今から劇的に容姿端麗な女性になりたい訳ではなく、心身ともに錆びつかないように、可能な限り努力は続けていきたいと思う訳です。
そういうお手本となる年長の女性の方々に、最近接する機会があったのもラッキーでした。
脚本を分析しながら、こうして次の生き方を見つけ、具体的にしていくことには少し時間がかかっていますが、自分にとって、とても大切な時間だと思っています。
私の人生の再決断を、今後もこっそり応援してくださる方は、今日もクリックお願いします。
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