11,12月とブログを更新しておらず、とうとう大晦日を迎えてしまいました。
書き記しておきたいことはたくさんあるので、振り返りを兼ねて可能な限り書いてみます。
11月に3回目の宮城県東松島市宮戸島に災害ボランティアにうかがいました。
熱中症に気をつけながらの7~9月までとは違って、ようやくしのぎやすい天候のもとでの作業になりました。
今回は、高齢者の方々のゲートボール場の整備と、運動場に仮設住宅が建設されたため田んぼに代替の運動場作りをお手伝いしました。
掘り起こせば、際限なく出てくる大小の瓦礫を分別します。
可能な限り、小さなガラスや陶器の破片を取り除き、裸足で走り周れることを願って根気良く作業。
それにしても、きりがない。
それから、衣料品・雑貨品の展示とビンゴ大会は、ボランティア参加者全員が力を合わせて盛り上げ、楽しんでいただきました。
「久しぶりにこんなに大きな声で笑った」と言われて、仮設住宅では隣の部屋の人を気にして当たり前の感情表出ができないんだなぁ・・・と気づかされたり。
大学生の参加者が中心になってのカフェの運営やクリスマスリース作りの時間も、お喜びいただいたようです。
何かを創ることや美味しいお菓子や暖かい飲み物が緊張感を緩める上で、本当に欠かせないことなんだと、多くの笑顔を拝見して、しみじみと感じました。
しかし、今回、最も痛感したのは、「支援物資の質」の問題です。
衣料、家電製品、雑貨の質には細心の配慮が必要ということです。
届いた衣類などを現地で分類しながら思ったのは、被災地に送るのは「使わないけどまだ使えるレベルの中古品」では選択側には躊躇の表情が見られます。
仮設住宅の2間ほどの暮らしの中で、維持できる衣料・雑貨は量的に限りがあります。
個人的に、囲まれて元気の出るものは、新品に近い「質の良い品物」だと思っています。
そして、年配の方々の体型(ウエスト・腰周りへのゆとり)に思いが至っていないものや、雪が降る暮らしに適さないもの(ファー付のコート、ウールのロングコート)も、最終的にはお譲り先がないまま持ち帰ることになりました。
自分自身も以前、衣料品を支援物資にお送りしましたが、「バザーで現金化できるか?」が1つの自分の中での基準でしたが、「父母が着れるか?」って基準も必要だなぁと実感しました。
年内で、ボランティアセンターやツアーが縮小傾向にあるように思います。
我々のボランティアバスツアー企画者の方も、「大勢でお手伝いをする時期は一段落したかも」とのこと。
個人的な物資・精神的支援は引き続き必要なように思います。
ボランティア仲間の中には、形を変えながらも継続的にお手伝いをしている方が何人もいて、本当に頭が下がります。
他者の「他愛の精神」にこんなに触れた年はありませんでした。
また、近年、仕事や勉強会仲間中心のお付き合いが多かった中で、ボランティア活動で利害関係のない仲間ができたことも貴重でした。
頻繁にあったりすることはないのですが、facebookで近況を確認しながら、同じ思いが「振れ合う」ことを感じます。
いままでにない「つながり」を実感することができた年でした。
ボランティアを通して、被災地の皆さんのお手伝いがどれほどできたかはわかりませんが、足を運ばせていただいたことで、自分自身が多くのことを感じ、考え、行動し、学んだように思います。
被災地の方は、「忘れられるのがつらい」と仰いますが、個人的には全く忘れることなどできません。
阪神淡路大震災で被災された方が「忘れることも忘れないことも大事」と仰っていました。
そんな日々が、まだ何年も続いていくのだと思います。
地震や原子力の問題、水害など国内外問わず悲しい出来事が多い年でしたが、本当に考え、考え抜いたことが多かったです。
そして、生きていく上での大きな「見えない精神的な財産」を得たように思います。
これらを残りの人生でもっと活躍させて、来年はもっと自他共に元気になれる関係を作っていきたいと思います。
書き記しておきたいことはたくさんあるので、振り返りを兼ねて可能な限り書いてみます。
11月に3回目の宮城県東松島市宮戸島に災害ボランティアにうかがいました。
熱中症に気をつけながらの7~9月までとは違って、ようやくしのぎやすい天候のもとでの作業になりました。
今回は、高齢者の方々のゲートボール場の整備と、運動場に仮設住宅が建設されたため田んぼに代替の運動場作りをお手伝いしました。
掘り起こせば、際限なく出てくる大小の瓦礫を分別します。
可能な限り、小さなガラスや陶器の破片を取り除き、裸足で走り周れることを願って根気良く作業。
それにしても、きりがない。
それから、衣料品・雑貨品の展示とビンゴ大会は、ボランティア参加者全員が力を合わせて盛り上げ、楽しんでいただきました。
「久しぶりにこんなに大きな声で笑った」と言われて、仮設住宅では隣の部屋の人を気にして当たり前の感情表出ができないんだなぁ・・・と気づかされたり。
大学生の参加者が中心になってのカフェの運営やクリスマスリース作りの時間も、お喜びいただいたようです。
何かを創ることや美味しいお菓子や暖かい飲み物が緊張感を緩める上で、本当に欠かせないことなんだと、多くの笑顔を拝見して、しみじみと感じました。
しかし、今回、最も痛感したのは、「支援物資の質」の問題です。
衣料、家電製品、雑貨の質には細心の配慮が必要ということです。
届いた衣類などを現地で分類しながら思ったのは、被災地に送るのは「使わないけどまだ使えるレベルの中古品」では選択側には躊躇の表情が見られます。
仮設住宅の2間ほどの暮らしの中で、維持できる衣料・雑貨は量的に限りがあります。
個人的に、囲まれて元気の出るものは、新品に近い「質の良い品物」だと思っています。
そして、年配の方々の体型(ウエスト・腰周りへのゆとり)に思いが至っていないものや、雪が降る暮らしに適さないもの(ファー付のコート、ウールのロングコート)も、最終的にはお譲り先がないまま持ち帰ることになりました。
自分自身も以前、衣料品を支援物資にお送りしましたが、「バザーで現金化できるか?」が1つの自分の中での基準でしたが、「父母が着れるか?」って基準も必要だなぁと実感しました。
年内で、ボランティアセンターやツアーが縮小傾向にあるように思います。
我々のボランティアバスツアー企画者の方も、「大勢でお手伝いをする時期は一段落したかも」とのこと。
個人的な物資・精神的支援は引き続き必要なように思います。
ボランティア仲間の中には、形を変えながらも継続的にお手伝いをしている方が何人もいて、本当に頭が下がります。
他者の「他愛の精神」にこんなに触れた年はありませんでした。
また、近年、仕事や勉強会仲間中心のお付き合いが多かった中で、ボランティア活動で利害関係のない仲間ができたことも貴重でした。
頻繁にあったりすることはないのですが、facebookで近況を確認しながら、同じ思いが「振れ合う」ことを感じます。
いままでにない「つながり」を実感することができた年でした。
ボランティアを通して、被災地の皆さんのお手伝いがどれほどできたかはわかりませんが、足を運ばせていただいたことで、自分自身が多くのことを感じ、考え、行動し、学んだように思います。
被災地の方は、「忘れられるのがつらい」と仰いますが、個人的には全く忘れることなどできません。
阪神淡路大震災で被災された方が「忘れることも忘れないことも大事」と仰っていました。
そんな日々が、まだ何年も続いていくのだと思います。
地震や原子力の問題、水害など国内外問わず悲しい出来事が多い年でしたが、本当に考え、考え抜いたことが多かったです。
そして、生きていく上での大きな「見えない精神的な財産」を得たように思います。
これらを残りの人生でもっと活躍させて、来年はもっと自他共に元気になれる関係を作っていきたいと思います。
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