久しぶりのブログ更新です。
なんで、時間が取れなかったのかと考えてみると、時間がなかった訳ではないのです。ずっと複数の課題が同時進行し、頭の中がスッキリしなかったのだと思います。
加えて、あれだけ今年は手を広げるのを止めようと心に誓っていたのに、新しく勉強を始めたことがあり、頭もくたびれているのかもしれません。
「はるさんは、空いたスペースができたらそこに何か入れようとする人」
って先日言われてしまいました。続けて、別の人から
「そうやって身動きできなくしてるでしょ?」
って言われたりもしました。
さすがに立て続けに別の人から言われると、部分的にでも認めなければならない気がしてきました。
1日を振り返ると、生産性が高い日だったのかというと決してそうではない日が続きます。
絵を描くとするなら、霧の中で刀を振るみたいな姿だったり、雲をちぎって他の雲にくっつけ直しているみたいな姿です。
いずれも、「もわー」としたものを何とかしたいと葛藤している状態です。
ずっとはっきりしないことをはっきりさせようとしぶとく思考が働きますが、時間無制限に考え続けることができないので、最近は誰かと話をしたり、メールをしてみたりという時間が多いように思います。
それでも、納得いかないことも多く、最終的には本質を突き、自分なりのぶれない判断基準に従うほかないのかなあと思っています。
少し、自分にバッファを持たせれば、豊かな発想ができるのか、それともこのタイトな中で締め付けながら、ヒラメキに似た発想を大切にするか?
そりゃ前者なんでしょうね・・・時間の使い方を見直す日々です。
「時間の構造化」についてしばらく書いていきたいと思います。
↓
なんで、時間が取れなかったのかと考えてみると、時間がなかった訳ではないのです。ずっと複数の課題が同時進行し、頭の中がスッキリしなかったのだと思います。
加えて、あれだけ今年は手を広げるのを止めようと心に誓っていたのに、新しく勉強を始めたことがあり、頭もくたびれているのかもしれません。
「はるさんは、空いたスペースができたらそこに何か入れようとする人」
って先日言われてしまいました。続けて、別の人から
「そうやって身動きできなくしてるでしょ?」
って言われたりもしました。
さすがに立て続けに別の人から言われると、部分的にでも認めなければならない気がしてきました。
1日を振り返ると、生産性が高い日だったのかというと決してそうではない日が続きます。
絵を描くとするなら、霧の中で刀を振るみたいな姿だったり、雲をちぎって他の雲にくっつけ直しているみたいな姿です。
いずれも、「もわー」としたものを何とかしたいと葛藤している状態です。
ずっとはっきりしないことをはっきりさせようとしぶとく思考が働きますが、時間無制限に考え続けることができないので、最近は誰かと話をしたり、メールをしてみたりという時間が多いように思います。
それでも、納得いかないことも多く、最終的には本質を突き、自分なりのぶれない判断基準に従うほかないのかなあと思っています。
少し、自分にバッファを持たせれば、豊かな発想ができるのか、それともこのタイトな中で締め付けながら、ヒラメキに似た発想を大切にするか?
そりゃ前者なんでしょうね・・・時間の使い方を見直す日々です。
「時間の構造化」についてしばらく書いていきたいと思います。
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また、実際に動き出す際も、まあまあ自分でこれが限界ではないかと勘違いしているところの能力の、7割か8割くらいで勝負している気がします。
甘えていると言われればそうかもしれませんが、それでも若干自分の判断に余裕がもてるくらいが、ベストなリアクションがとれると、今も信じています。
私とはるさんを比べて、いつか誰かに言った記憶があります。私は、目の前の山を登ったら、一度は下山して、自分が登った頂を眺めたい。
しかしはるさんは、頂上に登りきると、登山途中の頂から見えたその次の山の山頂を目指す。と。
エニアタイプの違いですかね。はたまた、人生脚本の違いからか!
基本的に私は、歩きながら考えるのが苦手です。一度渦中から身を少し引いて全体を見通せるところに立って、次の行動の基準を決めます。
信念は、「己れこそ、己のよるべ。よく調えし己こそ
、まこと得難き、よるべおぞ得ん。」
ガンバ!!
>しかしはるさんは、頂上に登りきると、登山途中の
>頂から見えたその次の山の山頂を目指す
確か、hiro1さんから直接お話いただきました。昨年の成果発表会の時の昼食の時でした。
そのフィードバックを受けて「横とびしながら、上に進む感じ」は実感としてありましたのでその翌年の今年、あまり手を広げないように心に決めたのですが・・・・。
先日、仕事関係のマッチングの場で、「40まではまだ仕入れの時期だよね」と言われました。今は、しんどいのはまだ自分を鍛えなければならない時期なのかもしれません。
ただ、学びが散漫になっているということと、散漫な割りに、学ぶ領域が狭くなってきていることは何だか良くないなあと感じています。
体力が落ちている時に、点と点をつないで、何か生み出していくしんどさと闘っているのかもしれません。
私も、「己れこそ、己のよるべ。よく調えし己こそ、まこと得難き、よるべおぞ得ん。」とありたいのですが、タイプの違い=囚われの違いでしょうね。
ひとまず自分を整えます。。。
村瀬先生の講義がとても新鮮に頭に飛び込んできます。
「カウンセリング」学ぶこと。
1、治すカウンセリング
2、育てるカウンセリング
3、支えるカウンセリング
「治す」カウンセリングでは、技巧や理論、手法にだけ走らず、現場に根ざした血の通ったカウンセラーの
姿勢みたいな点にも十分触れられて、結構ハートに染みます。
先だって問い合わせました、ロジャースの来談者中心療法、またアルバート・エリスらの認知行動療法と・・・TAからの発展形態として、新鮮に脳みそに飛び込んできます。
仕事に追われる毎日ですが、この時間が私を蘇らせてくれます。
詳細はまたお会い出来たときにでも!
どうも、私の不調の原因は、いっぱいいっぱいでかつ、日常生活に新鮮味がないからかもしれません。新しく学んでいることは、新しい発見はあっても、勉強するのが特段楽しいという訳ではないからかもしれません。
最近、狭いんです。狭い中でグルグル回っているからなのかもしれません。隙間を空けてもう少しゆったり回りたいです。
ちなみに、論理療法に興味があるかもしれません。
次、お会いできる日を楽しみにしています。
それまでは、ちょこちょこ美味しいもの食べに首都圏遠征をしますゾ!