だいありぃ。

くろねこのつれづれなるにちじょう。

生きること、、

2015-10-30 09:32:25 | 日常。
先日、妊娠がわかったりしました。

歳も歳なので、そこそこリスクあるようで、いろいろ要注意とのこと。無事出てきてほしい、と願うばかり。

これまで、ある意味「いつ死んでも後悔しないように精一杯生きよう」と、それをモットーに生きてきたところがありますが。

医療が発達した今でも、妊娠したら全ての子が無事に出てくるわけではないし、母体にも出産時死亡を含めたリスクはあり続ける。もしそうだったとしても、それはそれで、天の定めた寿命なんだろう、と、覚悟を決めたつもりでいたのだけど。

もちろん死に急いでるわけではなくて、すごく怖いのです。割り切ることによって、少し目をそらしているというか。
よく、なんかチャレンジするとき、「失敗したからって○○な訳じゃないし!」と鼓舞することがあると思うのですが(このプロジェクトダメになったからって辞める訳じゃなし、とか。私だけ?^^;)、それの拡大版かな。

なお、何度か当ブログ中で触れた気がしますが、この辺の思い、出典は「竜馬がゆく」です(笑)

そんな、下手すると二昔くらい前から思ってきた考え方を根本から覆すように、「今死んだら死んでも死にきれない」という思い、「家族三人で笑っていられる幸せを手放したくない」という思いが、抑えても抑えてもこみ上げてきます。

これが、親に(特に、母親に)なるってことなのかなぁ。なんて、思ってみたり。

生への執着のようで、すごく、、生物として自然だと思う反面、なんとなーくかっこ悪いなーって思う。
まだダメとも判断される前から、うじうじ悩んで、死んじゃったらどうしようって泣くんだもん。もっと重症のひとたくさんいて、こつちは軽度だっつーのに^^;

マタニティブルー恐るべし。^^;

まぁ、言っても仕方ないんですけどね。こちらはできることをやるだけ。
仮にどうにかなったとして、その時にベテランの上手い先生に当たるか研修医に当たるか、自宅で旦那がいるときなのか、通勤中で誰も周りに頼れる人がいない時に当たるのか、そんなのも含めて運命だし。

子どもの運がどれくらい強いかわかりませんが、私は個人的にそういう運は強い方なので(代わりに些細~なんとかリカバリ効くぎりぎりのトラブルは枚挙に暇がない…汗)、尽くせる人事を尽くして天命を待つしかないのです。

尽くしたぞ、と言えるようにがんばらないとー(^^)/

…これがさ、ここでいう努力って「家で寝てる」とか、「無理しない」とかだったりするわけよ。
すごいこう、なんというかサボってる感が拭えないわけよ(笑)

仕事とのバランスというのは正直あるのだけど、幸い理解ある職場で、私個人の焦りはともかく、医者がそういうなら仕方ないねー、身体が資本だもんねーって感じで配慮してくれているので、そちらの負担はあまりないのです。

まぁ、最優先なのは子どもと自分の命。というところではブレないので、苦しいけど割り切るしかないのかな。
無事生まれたとして、手が離れるまではやっぱり仕事セーブすることになるだろうし。
マミーズトラックに乗ったとして、復活戦があるのかどうかもわからないし、迷いはあるけど。でも、自分の選択として子供を持たないという人生は考えてなかった(持てないことはあるかもしれないと思っていたけど)ので、いつかは直面する問題だったかな。

妊娠中からこんなにいろいろ制限があるとは思ってなかったので、想定外ですが…(+_+)

後悔しないだけ、悩んで、決めたらそれでいいや。
コメント
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