ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  211

2010年01月27日 23時05分56秒 | Weblog
 プチ登りもここまでです。

 線路跡は右側の歩道から中央辺りの街灯の右側を抜け、奥へと続いています。杉木立の間があいているのが、分かります。

 宮之城線は両サイドに杉木立がある場所が多いので、杉の育ち方が線路跡の目印になります。廃線が1987年ですから、この時点で山林事業として杉を植樹してから20~30年。
 つまり現在で50~60年です。杉も適度な大きさに育ってきました。後10年ほどしたら伐採の時期になるのでしょう。そうしたら、杉木立が線路跡の目印になっている現状からすれば、沿線の景色が一変する場所がさらに増えることだと思います。
 そうなったら、廃線跡をたどることも現在以上に困難になってくることは必至ですね。
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国鉄・宮之城線の今  210

2010年01月27日 23時02分10秒 | Weblog
 9月下旬ですから、線路跡の向こうには、道路沿いに植えられたケイトウが赤紫色に染まっています。

 線路は少しずつの登り勾配がまだ続いています。
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国鉄・宮之城線の今  209

2010年01月27日 22時40分39秒 | Weblog
 コンクリートをはさんだ鉄路が姿を消した先は藪になっており、土が盛られ、すぐに線路を横切る踏切の道路になっていました。

 この藪の中がどうなっているのか、分かりません。

 これから掲載する4枚の写真は9月下旬に撮影したものですから、セイタカアワダチソウなどがほこっています。

 そうですね、また新たな発見があるかもしれないので、さつま永野ウォークの時にでも立ち寄りましょうか。
 
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さつま永野ウォークに参加しましょう。

2010年01月27日 22時24分31秒 | Weblog
 1/25(月)の南日本新聞の地域総合版のページに、「金山や鉄路の跡を散策」という見出しの記事がありました。

 このブログの正月特別編として紹介した薩摩永野駅の東側にある永野金山と鉱石運搬の鉄道をウォーキングしようという大会が2/14(日)に開催されます。

 金山坑口やトロッコ道、鉄橋の橋桁周辺の散策などを主として、8㎞コースと6㎞コースがあるそうです。

 今夜、息子と一緒に風呂に入りながら、一緒に行こうとなり、このブログに掲載することにしました。

 おとな800円、高校生以下300円(幼児無料)だそうです。

 申し込みは期限があって、昨日から31日まで。永野交流館(0996-58-0815)まで電話かFAXで申し込みましょう。

 
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国鉄・宮之城線の今  208

2010年01月26日 23時01分24秒 | Weblog
 線路が土に埋もれるようにして見えなくなってしまいました。
 と同時に、この線路跡に入る道は左上に上がり、コンクリート道路に出ました。

 線路は完全に地中です。
 否、鉄路がはがされて、ただ土を盛っただけかもしれません。


 わずか400mほどの短距離でしたが、川内から出発して初めて出会った線路にとても感動させられました。

 203で、ここだけ鉄路が残された目的を詮索しましたが、どんな目的であろうとも、こういう形で、古くからの物を残す知恵というかセンスを持った人たち、それを了として工事を許可した人たち、様々な人たちの思いが、原型を尊重した形で残されるというのは、素晴らしいことだと思います。

 188、189では怒りの言葉を書きました。

 楠元駅の時にも書きました。
 ずいぶん前ですね。1mほどの鉄路も駅名も、駅舎も、線路とは直角に移転させられていました。まるで、寺山からトンネルが掘られ、東郷橋を列車が渡っていたのかなという印象を受けます。
 こんな保存の仕方はだめです。センスが全くありません。施設等を集めておけばいいというものではありません。物には作られた目的があるからです。
 幸い、楠元駅ではあさひ元気市という交流の場が設定されて、駅の意義を、駅があった場所で再現しているという違った意味での素晴らしさはあります。
 それでも、もし私に資産がたくさんあれば、ぜひ元の形を尊重したものにしたいと思うのです。


 

 と、持論を再び展開してしまいましたが、今回の写真は遊び心で掲載しました。
 
 な、なんと廃線を再びディーゼルカーが走っているのです!

 もちろん、合成です。宮之城線が現役時代の写真から切り取り、現在の様子に貼り付けてみました。
 初めてのことなんで下手な処理になってしまったことをお許しくださいね。
 
 うれしさの余り、ついつい列車を走らせてみたくなってしまいました。
 
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国鉄・宮之城線の今  207

2010年01月26日 22時57分34秒 | Weblog
 両サイドが高い土手になり、眺望は全くなくなりましたが、日差しがさしこんでくるため、とても明るいです。

 線路の両脇には、わき水がちろちろと流れています。

 そうそう、ここは緩やかな登りであることも付記しておきます。
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国鉄・宮之城線の今  206

2010年01月26日 22時50分52秒 | Weblog
 しばらく歩くと、左側に朱塗りの神社が現れました。
 こじんまりとしていますが、とても美しい本殿です。

 線路側から見ているので仕方ないのですが、本殿の後ろを見る形になり、少し罰当たりな気持ちになりました。

 さて、山へ続く道があり、側溝には枕木なんでしょうか、15本ほどを寄せて、橋が作ってありました。
 正式な呼び名は知りませんが、紙で作った白いふさふさがぶら下がっているのが見えます。

 ・・・ってことは、ここは参道になるんでしょうか。
    もっと奥にもお社があるんでしょうか。
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国鉄・宮之城線の今  205

2010年01月26日 22時36分58秒 | Weblog
 擁壁の右端には、竣工年月が刻まれていました。

 1980年9月。

 約30年前です。

 大リーガー・松坂投手が生まれた月です。松坂もいつの間にか今年は30歳になるんですね。ちなみに、この年の夏の甲子園は松坂の母校・横浜高校の優勝でした。

 私は・・・ソ連のアフガニスタン侵攻で、モスクワ・オリンピックを日本がボイコットして、内心、第三次世界大戦が勃発して、私もどこかの戦場に行かされるかもなんて心配してましたね(汗)。

 宮之城線とは全く関係ない話ですが、きっとこのここの工事を行った方々は、仕事の合間にラジオの野球中継に耳を傾けていたのかもしれませんね。

 たまには、こんな話もいいでしょう。
 (この、「たまには」というのが、私にとってはくせ者ですけど・・・)
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国鉄・宮之城線の今  204

2010年01月26日 22時34分17秒 | Weblog
 線路跡は中央部分を明確に残しつつ、先へ伸びていきます。
 途中、カーブしているようで、先の様子は見えません。
 
 右側には擁壁がありました。
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国鉄・宮之城線の今  203

2010年01月26日 22時27分04秒 | Weblog
 コンクリート舗装をサンドウィッチにした鉄路を進みます。

 なぜ、ここのこの区間だけが、このような形になっているのか、目的自体がよく分かりません。
 地域住民の抜け道? 生活道路?
 鉄路にこだわりを持った方の要望によって保存された?
 
 この理由を知りたいところですが、今の私にはそのつてはありません。どなたか知っていらっしゃる方がいたら教えてください。

 さて、202の地点から宮之城側に少し進むと、左側に住宅や神社があります。
 それこそ、右側の山中へ進んでいく道のためでしょうか、側溝には枕木と思われる材木が橋として使われていました。 
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